パンをめぐる旅

パンをめぐる旅

パンをめぐる旅

内容(「MARC」データベースより)
おいしいパンが食べたくなる、今すぐ旅に出たくなる! パリッとした皮のバゲットから、史上最強・米軍の「完璧な」パンまで、パンと旅をこよなく愛する著者が美味しく綴ったパンと旅のエッセイ決定版! レシピ付き。


 パンの歴史についての本と思って読んだら、その土地でのパン食品とかパンに携わる人々との交流とかの方にも結構な分量が割かれているエッセイ、紀行文だった。何故勘違いしたかというと、図書館でそうした本が置いてある棚と同じ場所に置いてあったから、そうしたものだと思って手に取ったから、そうしてみるとタイトルもそれっぽいし。まあ、そうした思惑違いや、微妙に普通の文庫本とかよりも1ページあたりの文字が多いのと、著者の皮肉屋、偽悪家めいた毒のある他者への視点がどうも受け入れられなかったということもあって、中々読み進めることが出来なかったというのもあって、はじめに手に取ってから読了までにかなり時間がかかってしまった。
 『私たちの目の前では、先祖代々のパン屋と粉屋の子孫が働いている。彼らが生まれついた職業は、あるいはこの星で二番目に古い職業かもしれない。』(P21)「二番目に古い職業」という表現をみて、そういえば、米原万里のエッセイで二番目に古い職業とされる(称する)ものが一杯あるというのを読んだことを思い出したが、世界最古はなんだったっかすっかり忘れてしまっている。
 「2 パンこそわが道」で、なんか詩人のように描いて、過度に褒めているような気がして、またここであつかわれているパン職人が宗教的な姿勢でパンを扱っているに感じたので、ちょっとなあ、と思ってこの中途で読むのをやめて数ヶ月放っておいたが、一人のパン職人をあつかうのではなく、もう一人タイプの違う(パンを非常に重要に考えているという点では同じだが)パン職人も書いているというのもあり、相対化していたのでそれを読んでようやく一息つけた気分だった。また、その後の著者の文章から見て、あの過度に褒めているように感じられた文章はその求道的な人への皮肉交じりの文章だったのかなとちょっと思ったりするが。
 『サミールは(中略)若くして自動車事故で死にたいと私に言う。何とも奇妙な宣言だが、ヨルダンを離れるまでに、同じ言葉を何度も聞いた。』(P96)ヨルダン人の青年の言葉だが、「若くして自動車事故で死にたい」というのは、漫画の「神戸在住」で日向さんの学生時代の「三十歳までには死にたい/ただ漫然と老いてゆくなんて堪えられないよ/醜悪だ/死ぬときは一瞬で死にたい/怖いとか痛いとか嫌だから/事故とかでパッと終わりたい」(「神戸在住」10巻P162)という台詞とオーバーラップするような言葉で、なんていうか、こうした感情は普遍的なものなんだ、ということを感じさせられた。
 「6 苦しみのパン――ニューヨーク、ブルックリン」マツァ、モーセに率いられ砂漠を逃げるときに急いで焼いた種無しパンの再現で、過越祭の時に食べるもの(著者自身もユダヤ系で子供の頃からマツァを食べている)で、この章で取材しているのは、正統派のマツァ製造所で発酵が万が一にも起こらないように、木製の道具は一度使った後紙やすりで磨くまで再使用しないというくらい、厳格に作っているところ。いくらその場所が発酵しないようにきわめてちゅういぶかくせいぞうしているから、緊張感が非常にある場所だからといって『マンハッタンに帰る電車の中で、ハンドバッグのひだに埋もれていた食べかけのチョコチップクッキーを見つけ、ますますほっとしたのである。』(P180)というのは、なんとなく正統派の製造所のことをないがしろに扱っている(それを製造所の中に持ち込んで、見学していたら、彼/彼女らは怒髪天を衝くだろう、とわかっているのに、「ほっとした」と表現しているのは…)ような気がして、なんか嫌な感じ。
 パラーター(インドのパン)、自然に発酵させた生地を円形にして、澄ましバター(ギー)を縫って、細い棒状に延ばして、それを渦巻状に巻き、更にギーをつけてから鍋で焼いて、ひっくり返してギーを足して裏も焼く。『私は数ルピー渡して焼きたてのパラーターをもらう。きめが詰まっていながら同時にさくさくしていて、バターたっぷりのシナモンロールのようにほどけて広がす。』(P225)これは、この本で出てくるパンの中で個人的に一番おいしそうと感じ、実際に食べてみたいなと感じた描写だ。
 米軍の長期保存袋詰めのパン、それを作るための試行錯誤中『良さそうだと思ったパンの中にも、極端な温度や湿度にさらすと崩れたり溶けたり爆発したりするものがあった』(P265)崩れるや溶けるはともかく爆発(!)って、と思ったが内部でガスが発生して、袋がパンパンになって結果爆発するということか。
 有名な伝統的な南部のビスケット(これも、文中でかかれる人気ぶりを見ると、きっと美味しいんだろなあと思い食べたい気持ちがわいてくる)を食べさせる店で『レギュラー?ディキャフ(カフェイン抜き)?』(P282)と尋ねるシーンがあり、ああ、カフェイン抜きって一般的なのね、と思った(いや、日本でも一般的なのかもしれないけど、コーヒーとか飲まないから知らなかった)。というのはなぜかというと「アメリカン・サイコ」で語り手の狂人が、しょっちゅう頼んでいてなんだろうなと思っていたが、その作中で出てきた変な創作和食とかみたいに、一時的に流行した変なものかと思っていたよ。
 『時に「パン食文化」と称されるフランス文化において』(P301)というのには、欧米の中で言われるところと、そうでないところがあるのかと思ってちょっと驚いた。「イギリスは美味しい」で、パンはジャムとかを載せる台としての役割とか書かれていたり(というか、主食の概念薄く、あえて言うならジャガイモとも書いてあったし)、イタリアではパスタとかのイメージが強かったりと、それほどでもない国もあるのかな。無論、キリスト教圏だからパンはどこでもある程度以上重要視されていたのだろうが。