獄中記

獄中記 (岩波現代文庫)

獄中記 (岩波現代文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
微罪容疑によって逮捕、接見禁止のまま五一二日間勾留された異能の外交官は、拘置所カフカ的不条理の中で、いかなる思索を紡いでいたのか。哲学的・神学的問いを通して難題に取り組んだ獄中ノート六二冊。文庫版書き下ろしの新稿では小沢氏秘書問題を独自分析。また、独房の「所内生活の心得」を初公開する。

 獄中においても、全くネガティブにならずに飄々としていて、たとえ身柄を拘束されようとも、自らの行為に後悔や自分に対する疑念や迷いを持たず、変わらない志操の堅固さは凄みを感じる。
 逮捕されて最初の三日はさあ仕入れが認められない上、文房具は金曜日に申し込み、翌週の水曜日に受領するというシステムになっていて、『その期間、被疑者は記録をとることができないという著しく不利な条件化で検察との攻防戦を余儀なくされる。』(P17)取調べが見えないようになっているのに、更に重要な最初をすぐに自分で記録をとることができないというのは、酷いなあ。そんなにも、被疑者に不利なようになっているとは知らなかった。
 獄中から弁護団への手紙でも、『国益を基本に考えるという姿勢だけは堅持していきたいと誓っています』(P50)という逮捕されて獄中にあっても変わらない姿勢・思想は感嘆する。
 『「新たな国策」へ転換する舵は既に切られており、この流れを止めることはできません。恐らく、四−五年経って、日本の地域格差が拡大し、地方住民の不安が高まり、日本と周辺諸国との緊張がかなり高まるようになったところで、「新たな国策」の問題点が認識され、「従来の国策」の肯定的側面が見直されるのでしょう。』(P40)ここらへんの分析は当たっているかな。いや、当時から現在でどれほど変わって、どれが新たに問題としてでてきのかについて詳しくないから、なんとなくそれっぽいな程度の印象でしかないが。
 『囚人になると欲望が小さくなるのですが、文房具と食品に対する執着は強くなります』(P76)とあって、置いておけるノートの数が制限されているからか『取調担当官が「手控え」用にB5判コクヨの一〇〇枚ノートをもっているのですが、これが羨ましくて仕方がないのです。』(P76)と弁護団に手紙で書き送って、なるべく厚いノートを差し入れてくれるように頼んでいるのはなんか微笑ましい。「文房具と食品に対する執着は強く」なる、ということだが、こうした獄中記などにおいて、それに対する執着が強く力点が置かれているのもあるのだろうが、大体において食事のシーンは読んでいてとても面白い。この本でも例に違わずそうだ。
 『ソ連時代、コーヒーは大変貴重品でした。特に私がモスクワ大学で研修していたころ(一九八七−八八年)は、たいへんな物不足でインスタントコーヒーは「賄賂」として大きな効果を発揮しました。』(P80)とあり、「自壊する帝国」でそんな場面があった気がして、20分ぐらいパラパラとめくって探していたが、見つけられず諦めた、読みたかったのに……、と思っていた、そして現在、感想を書く段になって改めて考えてみると、記憶違いだった気もして、自分の記憶を疑い始めている(笑)。
 『?一つの壺が燃焼中に割れてしまった。これはおそらく塵のせいである。壺を検べて、塵が原因かどうかを見てみよう。これが論理的かつ科学的な思考である。?病気は魔法使いのせいである。ある人が病気である。だれがその病気の原因である魔法使いなのかを見付け出すために、お告げに伺いを立ててみよう。これは論理的であるが非科学的思考である。(ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』上、未来社、92-93頁)』(P99)論理的観念と心理であることは関係ないということについての引用文だが、後者の例であっても論理的ではあるのか……、そう考えると確かにその2つはイコールではないな。
 仮監では、官本を読むしかないが、大抵がヤクザ漫画や犯罪小説で退屈だったが、あるとき「イギリスはおいしい」というエッセーがありついていたという話があり、ちょうど「イギリスはおいしい」を読もうかと思っていたところだったので、こんなところを見ることになろうとは思わなかったので、これはもうこの本を読め、ということだなと思うことにして、この本を読了後に早速読み始めた。そして、こうしたほんの少しの幸運を喜ぶようなエピソードを見るのは好きだな。
 『帝政ロシアの検察は、思想犯に対しては拷問よりも、死刑判決→恩赦という形で実存的に極度の緊張を与えれば、知識人という人種は内側から変わっていくということに気づいていたのだと思います。ドストエフスキーと同様の経緯をたどって革命思想からキリスト教に転向した知識人は多数います。』(P212)ドストエフスキーのような例は、特殊ケースではなく、そうした効果を狙って意図して死刑判決した後に恩赦にするということをしていたのかとすごく驚いた、今までは皇帝の気まぐれだと思っていたことが、そうすることで思想犯を無害化することを意図したと考えると、イメージが大きく変わるな。
 『神学プロパーの勉強をした人たち以外に、「汝の敵を愛せ」という言葉ほど誤解されてきたイエスの言葉はない。まず、誰でも愛せと言うことではなく、味方と敵をきちんと分けて、敵を愛せと言うことである。』(P367)まず、分けて敵と認識しても、なお愛す、愛せることが肝要であるということか。
 『「日本と平行して帝国主義に転じたアメリカの植民地政策である。これは、いわば日統治者を「潜在的アメリカ人」とみなすもので、英仏のような植民地政策とは異質である。前者においては、それが帝国主義的支配であることが意識されない。彼らは現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている。それは今日にいたるまで同じである。そして、その起源は、インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズムにあるといってよい。その意味で、日本の植民地統治に見られる「愛」の思想は、国学的なナショナリズムとは別のものであり、実はアメリカから来ていると、私は思う」([注、柄谷行人「ヒューモアとしての唯物論」(講談社学術文庫)内の「日本植民地主義の起源」]333頁)』(P372)この引用されている部分には、目から鱗。特に「現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている」なんてところは、現在でもそうだったと思っている人がいるから耳に痛いんじゃないかな(笑)まあ、僕も人のことは言えないが(苦笑)。
 『時代は「ポスト冷戦時代」に入った、この新しい時代は、冷戦や冷戦後よりも、その前の、古典的な帝国主義の時代との連続性を強くもつようになると僕は見ている。』(P411)ああ、もう既にこのときから、「人間の叡智」でそのことが語られていたような「新帝国主義」の時代が来ると考えていたのか。
 小泉政策、大前提である持続的経済成長『が満たされなければ、今後三年で日本社会内の貧富の差がかつてなく拡大する。これが総体として「頑張って勝ち組に入るぞ」という人の数を増やし、日本全体の活力を増すのか、それとも「競争、競争と負われてもなかなか勝ち組に入れないので、どうせ食べていけないほどの貧困はないのだからそこそこ生きていければよい、むしろ自分の時間を大切にしたい」と言う人々の数を増やし、日本の活力が低下するのかについては見方が分かれるところだが、僕は後者の可能性が高いと思う。』(P425)大正解ww、ワロタw、ワロタ……。
 小沢逮捕の著者の見解『本件は国策捜査ではなく、青磁がだらしない状況で「世直し」を真剣に望む特捜の現場検察官たちが劇画「巨人の星」の主人公・星飛雄馬のように瞳に炎を浮かべた「正義の味方」たちが、戦前の青年将校のような気運で、「悪いやつらは俺たちが全部成敗してやる」と頑張っているのだ。』(P534-5)検察内の「世直し」が行われないなら、自分たちでやらなければ(促進しなくては)という気負いから発したもの、というのはある程度納得がいく、『検察官は、弱体化した麻生政権に義理立てするようなお人よしではない』(P534)というのも含めてね。