ユダヤ人の歴史

ユダヤ人の歴史 (河出文庫)

ユダヤ人の歴史 (河出文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
世界をまたにかけて移動し、世界中の人々に影響を与え続けているユダヤ人の起源から現代までの三千年以上にわたる歴史を、簡潔に理解できる入門書。各時代における有力なユダヤ人社会を体系的に見通し、その変容を追う。オックスフォード大学出版局の叢書にもおさめられている基本図書。多数の図版と年譜、索引、コラムを収録。

 ユダヤ人については、欧州中世に折々に不満をぶつけられていたイメージと第二次世界大戦の悲劇とイスラエル建国からのアラブ諸国とドンパチやっているくらいしか知らないので、ある程度まとまったユダヤ人とユダヤ教に関しての本を読みたいと思っていたので、この本が文庫化されているのをみて、これはある程度ユダヤのことを知るのに適しているかなと思って読んだ。ユダヤ教のことはあまり書かれていないが、歴史についてはかなり詳しく書かれている、ただ、いかんせん知識がなく、ユダヤ人社会(ディアスポラ)が色々な地域にあるので、(ユダヤ人の大規模な、弾圧に伴う、移動でユダヤ人社会において隆盛を極めている場所がかなり変わることで)結構色々な場所でのことが扱われていることや、もあってか、数ページ読むごとにその数ページ前の知識がぽろぽろとこぼれて言っているけど(笑)。全く情報を引っ掛けるフック(あるいは網目)がないから、どれが重要なのかわからず、読むのに時間がかかったわりには得るものが少なかったなあ。もうちょっと簡単なものをいくつか読んでから読んだほうがよかったな。今書いていて気づいたんだが、どうした理由でどこの場所へ移動のした、というところは結構重要だから、そこだけでもしっかり記憶すべき、それならまずまず満足がいく読書となったのに、と自分の要点を見抜く能力のあまりの低さにがっかりだ(苦笑)。アシュケナジム(ヨーロッパ系のユダヤ人)、セファルディム(中東系のユダヤ人)この二つはどうも、読んでいる最中にどっちがどっちだったかすぐ忘れてしまうので、忘れないように書いておこう。といっても、感想を格段になると既に忘れてしまっていたが(苦笑)。あと、巻末に索引が付いているのはありがたい、今度他にユダヤ教イスラエルについての本を読んだときに、なにか良くわからない語があったときに参考にできるし。
 『本書においては、中東におけるユダヤ人についてもしっかりと触れるつもりであるが、それは、しばしば辺境の、あるいは異国的ととらえられていたそのユダヤ人社会が、実は一番強力で成功した社会であったからである。』(P19)やっぱりユダヤのことをろくに知らないけど、欧州のユダヤ人社会が常に本流だという風にとらえる感覚は強いなあ。
 紀元前九世紀に書かれた「サマリアヤハウェ」と彼の「アシェラ」を述べた碑文『学者の中には、碑文の中の「アシェラ」はヤハウェを象徴する言葉だとするものもいるが、多くは、カナン人の女神でありおそらくはヤハウェの妻であると説明している。』(P50)おっと、イスラエルには多神教時代もあったのか。一神教へ変わっていった理由はなんだったのだろうか。
 プトレマイオス朝エジプト、ユダヤ人が神官と長老達に神政政治を行うことを認め、ユダヤ人は傭兵として重要な役割を果たしていた。また、彼らはすっかりギリシア化していたため、法律的にはギリシア人として扱われた(つまり被支配階級のエジプト人の上に立つようになった)。ギリシア人として扱われたとか、傭兵として重要な役割、とかは知らなかったので面白い。特に傭兵はユダヤ人に戦士というイメージがないから新鮮、現代になれば軍のイメージはかなりあるがそれも高性能な兵器を持っているというイメージが先行しているし。
 ファリサイ派『個々のユダヤ人は、祭司が自分たちの代わりに犠牲を捧げ宗教的義務を果たすことでよしとせずに、それがいかに複雑で詳細なものであっても自らの細心の注意をはらって神の法を守ることを強調した。』(P69)自分たちの実践というのはユダヤ教で重要なものというイメージがあるが、それはこの派が主張したことによって、そうした趨勢になったのか。
 ユダヤ戦争(ググって調べるまで、「テルマエ・ロマエ」に描かれていたものだとおもっていたわ。ここでいうユダヤ戦争は第一次の方〈というか、一次・二次があること自体ググってようやく知った(苦笑)〉)によって、宗教的中心であった神殿が失われたことで、祭司が衰退し、新しい宗教的指導者層であるラビを生み出し、そしてその後、ラビは主要な地位へと。
 ハドリアヌス帝のユダヤ教への締め付け(こっちが「テルマエ・ロマエ」で描かれたもの)も次代からは緩められ、2世紀にはユダヤ教の公認と皇帝崇拝、ローマの神に対する儀礼を行うことを免れ、更に後になると割礼も認められた。『ただし、認められたのはユダヤ人に対してのみで、非ユダヤ人にはあいかわらず禁止されていた。そのため、結果的にユダヤ教に改宗することは禁止された茂同然であった(改宗はやがてはっきりと禁止された。このことが後にユダヤ教が改宗を積極的に進めなくなった理由の一つと考えられる)』(P86)ユダヤ教に改宗というイメージが同根のキリスト教イスラームにあって、マルでないことが不思議だったがこうしたことの影響か。
 『ギリシアの都市において、ユダヤ人たちは寄りそって住むことを選び、市民権を主張しながらも、できるだけ別個の独立した一つの共同体として活動することを望んでいた。』(P96)それは反感買うわwww、統治者はそれを認めてリスクを背負いたくないだろうし、後の時代に既得権になるのも心配するし、他の民族が流入してきて同様なことを主張してきたらたまったもんじゃないしで、それは警戒されるわ。庶民としても毛色の違う連中がまとまっていて、そんな意識を持っているのは怖いし。
 イスラームの勃興により、ユダヤ人の大部分はイスラム世界に居住することとなり『ディスアポラとなって以降初めて、ひとつの文化、ひとつの経済、ひとつの政治体制のもとで暮らすことも意味した』(P106)という文章には、そうか、そういう形でも一つの世界観の中にいるという状況もあるのか、と目から鱗
 『ビザンチン帝国はパレスチナ、エジプトに対する支配権を失い、ペルシア帝国は単に消滅したのである。今やこの地域の運命と西洋世界の歴史は、七世紀に出現した新しい勢力の手に委ねられることとなった。すなわち、イスラムである』(P102)とか『この時期のイスラム社会は西洋において最も進んだ知的社会であり』(P117)とあるが、西洋って中東や西アジアのような地域も含んだ概念だったっけ、それとも広義の意味で使っているのかな?まあなんにせよ、イスラーム世界を西洋に含めるという見方は新鮮だ、まあ、ギリシアの学問をよく研究していて、ユダヤ教キリスト教と同根であるイスラム教を信奉しているのだからそんなに不思議でもないのかな。
 イスラム帝国の繁栄の名残が終焉をむかえ、力と富がキリスト教国に移っていくことで、非イスラム教徒への締め付けが強くなっていった。というのは、イスラムが特に寛大だという印象(偏見)をもっていたが、実際には単に自分たちの国が強大であるうちは、どこでも少数派にはある程度寛容というわけなのかなあ。まあ、現代の移民政策の1つのタイプである寛容型(イギリスなど)も経済状態がいいときはうまくいくが、経済状態が悪くなると移民に皺寄せがくるというから、現代でも経済の状態が悪いときはそうなるんだから仕方ないか。
 十字軍、ユダヤ人に対する大量虐殺や強制改宗、そしてそれを避けるために一家で自殺したりということがあったということは、今までキリスト教イスラームという構図しか知らなかったので、ユダヤ教徒もということは知らなかった。十字軍関係の本、いい加減読まなければな(ということをずっといっている気がする(苦笑))。
 ユダヤ人がスペインから追放された時、オスマン帝国は軍事・農業技術は先進国だったが、商業、貿易、法律知識が劣っていたため、その能力を持つセファルディム(スペイン系ユダヤ人)を喜んで受け入れ、特別の税も払えばユダヤ人社会内での自治も認めた。でも、結局帝国が経済的文化的衰退と軌を一にして、寛容さが失われ、差別的な面が強く出てきた、ということは結局その国の経済状態が良好なら少数派(宗教、民族、言語など)として社会に認められるが、停滞してくると皺寄せがくる、というのは古今どんな国でも変わらんものだね。どこででも、全く弾圧されない、(ある程度以上余計に税を払っていても)と括弧をつけてもなお、安住の地はなかった、ということを知ると、ユダヤ人たちが、世界中から嫌われても、自分たちを自分たちの力で守ること(だっけ?うろ覚えだ)が揺るがないし、嫌われようが気にしないんだという姿勢はこういう歴史の経験からきているのか、と同情的な気分になる。
 ゲットーが作られたのは16世紀になってからか、思ったよりも大分遅いな。もっと昔からのことだと、なんとなく思っていたよ。よく考えれば、中世にそうした施設(?)を維持できるほど強大な権力はなかった(イメージがある〈笑〉)からかな、他には宗教改革との絡みでもあるのか。16世紀とだけ聞くとゲットーって一過性のものだったのかなという感じも受けるが、それから数世紀多くの国でゲットーが築かれたと聞くとすごく長い期間だけど。
 30年戦争以後の裕福なユダヤ人の出現、『特筆すべきことは、彼らはユダヤ人社会の指導者でもあり、自分たちの有利な立場を利用して同胞の待遇改善や攻撃からの保護に尽力したことである。』(P225)そういう連帯は中々不思議、一旦上の階級にあがったら他の連中が入ってこないように、あるいは自己保身の為に全精力をつくしたり、どう階級の人間と同化したりすることが現在でも結構あるのにね。やはり、自分たちが少数派というとき、その仲間を守る意識は、多数派よりもずっと、大きくなるのだろうな、一般的には。
 ナポレオンが召集したサンヘドリンという集会は、『ユダヤ人という概念を民族的同一性よりも宗教的同一性で括った』(P230)という意味でユダヤ主義の歴史において決定的な瞬間だった。明確に宗教的同一性が優先であると示されたのはこれが最初ということでいいのかな?