さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫)

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
都を落ちのびて瀬戸内海を転戦する平家一門の衰亡を、戦陣にあって心身ともに成長して行くなま若い公達の日記形式で描出した「さざなみ軍記」。土佐沖で遭難後、異人船に救助され、アメリカ本土で新知識を身につけて幕末の日米交渉に活躍する少年漁夫の数奇な生涯「ジョン万次郎漂流記」。他にSFタイムスリップ小説の先駆とも言うべき「二つの話」を収める著者会心の歴史名作集。

 井伏さんの小説を読むのははじめてだ。ジョン万次郎の話を読みたくて、買ったのだが、この本の最初にきていて、150ページ程度もある中篇の「さざなみ軍記」が中々読み進められず面白いとも思えなかったため挫折しかけたが、頑張って一日数ページずつ読み終えて、なんとか「さざなみ軍記」を読み終えて、「ジョン万次郎漂流記」を読むことができた。
 「さざなみ軍記」平氏の貴族が都落ち以後に書いた日記という設定。都落ちしたとはいえ、平家に肩入れしてくれ、褒められたり、褒美の品を与えられたことに非常に喜んでいる純情な人がいるのは微笑ましいが、時を経ずに平家が滅亡することを思えば悲しく見える光景だ。この日記を書いている人も少なくとも今の自分たちには根無し草で土台がないとわかっているから、『今は私達の階級以外の人から行為を示してもらいたい』ということを書いて、他者、庶民から指示されたいという気持ちが強まっているのだろう。何回か、逃げるときに乗り捨てた乗馬が船のあとを泳いで追ってきたという描写があるから、こういうことは実際に起こることなのだろうなあ、と思い、僕が動物を飼ったことがないからかもしれないけど、そういった動物が飼い主に信頼とか愛情みたいなものを見せているシーンを見るたびに少し不思議な気分になるよ。あと、ちょっと気になったのは、京のことを「帝都」とあるが、それは明治時代〜戦前までのイメージ強いが、平安時代にもみやこを指して「帝都」と呼ぶことはあったのかな?明治以後からというのは、単なるイメージで平安にもあったといわれれば、そうかと納得できるがどちらかわからんのが一番困るわ。まあ、自分の無知さが困っている主原因だといわれれば、そうだけど(苦笑)。
 「ジョン万次郎漂流記」三人称ですらすらと読みやすく、どことなく「椿説弓張月」(現代語訳でしか読んでいないが)みたいな調子の文章だ、wikiみたら「椿説」は読本とあるから、読本風と呼ぶべきか、それとも単に江戸的な文章というべきか。伝蔵父子、贅沢はできないにしても安楽に暮らせるだけの地盤を好意で得ながら、それでもなお日本に戻りたいと行動したのは、それだけ望郷の念が強かったのか。つうか、五右衛門は既にその土地で結婚しているのに、妻を捨ててまでそういう行動をとる、というのは容易には納得しがたいものがある。万次郎たち、琉球や薩摩では歓待されたのか、薩摩でのことは「風雲児たち」で知ってはいたが琉球においてもというのは知らなかった。咸臨丸、洋上に出ると帆走する新旧混合の船とあるが、混合というかこの頃こんなものなんじゃないの?確かペリーがやってきた際の船も確かそんな感じでしょ(僕の記憶が確かなら)、それに太平洋を横断するのだから帆走もできなきゃこの頃の船の性能的に無理だと思うが。でもこの頃は日進月歩だから、短い距離なら全部蒸気機関をたいていってしまう船が新型としてそこそこでてきている時なのかなあ?よくわからないけど。それと咸臨丸で日本に買える登城にホノルルによって寅右衛門と会談したというエピソードは、再開したとは思っていなかったから、一度でも再びめぐり合えてよかったな、という気分になるなあ。しかし「漂流記」と題についているから気づいてしかるべきだったのだろうが、日本に帰ってきて以降の活躍の描写が少ないのはちょっと当てが外れたなあ。そのうち、また、別のジョン万次郎を扱った小説を読もうかな。
 「二つの話」疎開時に同じく疎開してきた子供たちにタイムスリップして、新井白石豊臣秀吉とあうような話を書いて、そこに登場させてあげようと約束しながら、リアルに考えていくとどうも、相手に自分たちのことを信じてもらうことは難しいといくらか書いた後に投げてしまった、子供たちが期待して書いてくれるものと信じているのに、それを諦めているのは純粋な子供を騙していると感じ具合が悪くなって再び書き始めたとなっているが、どちらの物語にしても「銀河ヒッチハイクガイド」のアーサーデントのように(つっても読んだことがなく、HONZという書評サイトで「ゼロからトースターを作ってみた」の著者のインタビューでそのことが触れられているのをみただけだけどwww)、現代人は0からはサンドイッチしか作れない(過去の時代においてその当時の人より優れているわけでは全然ない)のを痛感させるような話だな。