異国トーキョー漂流記

異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)

異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)

出版社 / 著者からの内容紹介
外国人と彷徨う東京は不思議なガイコクの街。
故国を追われたイラク人、盲目で野球狂のスーダン人。様々な外国人とつきあう著者の眼に、東京は不可思議な外国に映る。笑い、戸惑い、驚きつつトーキョーを旅する友情物語。(解説・蔵前仁一

 HONZで「移民の宴」のレビューを読んで、初めて高野さんという作家を知った。「移民の宴」は単行本では文庫化の望み薄の場合などでしか買わないので「移民の宴」は文庫化したら買おうと思ったが、高野さんの本はちょっと読んでみたいなと感じていた、そこでこの本が「移民の宴」の原点と書いてあったので、読んでみようと思って購入。それと同時にデビュー作である「幻獣ムベンベを追え」とこの本以前の著作である「アヘン王国潜入記」も買って、高野さんの冒険譚を読んでからの方がより面白く感じることができそうなので、それらを読み終えてから読み始めようと思っていたが、「幻獣ムベンベを追え」を読了後にこの本も早く読みたいとうずうずしてきて、そんな中違うのを読んでも気が急いてしまって楽しめないのと思ったのもあって、当初の想定と違い「アヘン王国潜入記」より前に読了することになった。
 第一章で扱われているシルヴィ、「幻獣ムベンベを追え」で『ある日電車に乗っていると隣の座席にすわった若い女性がフランス人であることに気づいた。』(「幻獣ムベンベを追え」P22)と描写されていたところの人か!と直前に「幻獣ムベンベを追え」を読み終えたばかりだったので、それだけでなんか興味がそそられた。「ムベンベ」を読んだときは、『フランス人であることに気づいた』というのは、これだけ読むと直感やら第六感で気づいたようでどうにも笑えたが、実際には単にフランス語の本を読んでいることに気づいたというだけのことか。
 『よくあるように、日本の画一的な社会に個性的な自分が合わないというわけではない。/逆だ。私の体質が日本社会に合いすぎるのだ。』(P23)高野さんのような、普通はいかないような場所に行くようなノンフィクション作家が『体質が日本社会に合いすぎる』と考えていたということは意外だった。
 2章のコンゴのエリートであるジェレミーは、さして交流が深いわけでもなかった高野さんを結婚式に友人代表として呼んだ、そのことを少し変に思っていたが、実際に当日披露宴の出席者を見ると、10年以上も日本に在住しているのに、友人として結婚式に呼べる日本人の友人が高野さんだけで、いつも自信に満ち溢れるような彼が日本では孤独な異邦人であることがわかった、というのは泣ける。そのあと高野さんのスピーチで、以前会った彼の家族の人間性や故郷の雰囲気が分かる話をして、新婦の両親や親戚に感謝され、そしてジェレミー本人も目を真っ赤にして喜んだというエピソードはすごくいい話だ。
 最後の8章、日本に来てラジオを聴いているうちに、野球好きになった盲目のスーダン人マフディが、高野さんと一緒に東京ドームの「巨人対阪神」戦で初めての野球観戦をして、そのときラジオを持っていくのを忘れたため、高野さんが実況をしてマフディが解説をするという形で楽しんだというエピソードはすごい好きだ。やはり日本に失望されることや失意のまま帰国されるは辛いし、なんだか申し訳なくなる。そんな中で最後の8章でのマフディの話は最近のことなので、まだ帰国しておらず留学中だったということ、そして本人の非常に明るい性格もあいまって、読後感をさわやかな気分にしてくれる。