ソードアート・オンライン 12


内容(「BOOK」データベースより)
幼少の頃から追い求めた少女・アリスとついに再会したユージオ。しかし、そのアリスに、昔の―“ルーリッドの村”時代の面影は無かった。禁忌目録を破ったキリトとユージオを捕らえるために来たというアリス。彼女に幼少の記憶は無く、そして自身を“整合騎士”と名乗った。“公理教会”の象徴“セントラル・カセドラル”の地下牢に繋がれたキリトとユージオだが、キリトの機転でどうにか脱出を果たす。キリトが“外部”の人間であることを見抜いた謎の少女・カーディナルの助けをかり、二人はアリスを“本当の姿”に戻すため、塔の頂点を目指す!しかし、“シンセサイズの秘儀”により生まれた最強の戦士たちが、キリトとユージオの前に立ちはだかる―。

 今月発売することをすっかり見逃していて、たまたま発売日に本屋に行ったら新刊がでていたのですぐ購入した。いやあ、運良く発売日に発見できてよかった、何週間か何ヵ月後かにこの本を買っていないことに気づくなんて最悪だからなあ。
 冒頭で、キリトは『中学校が温情で卒業証書をくれたので』(P10)といっているが、別に温情とかでなく義務教育だし、行かなくても卒業はできるからなあ、私立ならしらないし、キリトのいた時代では学力が身についていることを重視して留年とかもあるのかもしれないが。まあ、キリトはその後もアリシゼーションに来たり、あるいはアリシゼーション内でも学業を中断することを余儀なくされたことへの自嘲的な意味でいっているのだろうから、温情云々はきっとどうでもいいことなのだろうけど。
 アドミニストレータのようなこの世界の理を知っているものでも、子どものころに受けた殺人禁止の命令は犯せないというのは、彼女もその存在を認識している上位の世界の干渉からは抗えぬ箱庭の王というのを改めて感じさせ、少し哀れになる。だが、ライオスがユージオを大罪人と認識することで斬りかかってきたように、現実世界に戦争とかも含め人を殺せる人の多くもそうした自分の認識を故意に、あるいは無意識に誤魔化すことでそういう行為を実行できるようになるのだと思うので、現実でもこの世界でも基本的にはそう違いはないということかな、まあ禁止の命令や観念にこの世界の人間は現実の人よりも囚われやすいが、それは現実人よりも道徳的であるということでもあるからな。
 カーディナル、記憶を知識に変換してフラクトライトに空き容量を作ったというのはなんとなく禁書目録を連想させるなあ。
 カーディナルの目の役割をしていた、蜘蛛型の人物(?)シャーロット、今までキリトの髪を引っ張ってささやかな助言代わりの行為やまんま助言をしていたが、彼女もまたフラクトライトを持っているということに少しばかりのグロテスクさを感じる、といっては彼女には失礼極まりないだろうが……。
 カーディナル、上位世界(現実)の条件に左右され、利用されて生きるくらいなら自らがこの世界の幕引きをしようというのは、彼女は頭がいいからそう極端な方向に行ってしまうのかしら。
 ユージオに気遣って言動に注意していたから、カーディナルはキリトが野良犬に食べ物を与えたという行為から禁忌目録に縛られていないことを知り、観察し始めてから一年で世界の外からやってきたものという確信を得たというのは、意外と、と言っては失礼なのかもしれないがキリトは慎重だったのかな、それともカーディナルが外の世界の知識をあまり持っていないから、そこまで時間がかかったのかな。
 しかし、自ら記憶を消去したカーディナルが人のぬくもりを再び/初めて感じるためにキリトに抱きついたあと、キリトはこの世界の幕引きをしようと考えているカーディナルに協力するけど、他の方法を考えることは諦めない、それにこの世界を消滅させても、自分がこの世界で出会ってきた人の中から助ける人を10人選べるというなら確実に君も入れるよ、とさらっといって、それにカーディナルが、自分が脱出したら誰がこの世界を消去するのだ、と苦笑いしつつつっこんだら、だから考えることをあきらめないよといってしまえるのがさすがですねえ(笑)。
 ユージオ、『つまりこの僕は、創世の神ステイシアによって人界が創られてから三八〇年にも及ぶ歴史の中で、最も罪深い人間なのだ。』(P140)すさまじい孤独と自らの業に対する意識、誰とも分かち合うことができない孤独や認識なので、彼の孤独感がいつか癒されることを願う。しかし、こういう認識から出発して思考だけで突き進めていったら、独自の思想や哲学が生まれるのではないか、と少し想像してそれならそれで面白いなとも思ったが、まあ、そういう展開には決してならないだろうが。
 カーディナルが出してくれた食べ物、書物を変換して作り出したものと知り、ユージオが少し焦って(困惑して)いるが、僕だって自分が貴重書が永遠に失われる原因となるなんてごめんだからね、散逸書にはロマンがあるけど、より資料があれば歴史系の物語はもっと豊潤なものだったと考えられる(他力本願的思考)から、史料は残っていればいるほど有難いものと歴史家ではないし、古文なんてさっぱり読めないけど、そう思うし。
 ファナティオとキリトの斬り合い、ファナティオの自らが長い年月をかけて独習したであろう連続技を、キリトという同じく連続技を使う敵手を得てはじめて、発揮しているということを思い、そして互いに全力を出し合って打ち合って彼女は全力を発揮できる楽しさ、そして自らの独習の成果を感じられているだろうと考え、彼女の今までの独習での積み重ねを思うと、彼女がこの戦闘の場を得られたというめぐり合わせには、ちょっとゾクゾクくるねえ。