プラハ歴史散策

プラハ歴史散策 (講談社+α新書)

プラハ歴史散策 (講談社+α新書)

出版社/著者からの内容紹介
歴史を彩る芸術家、壮麗な塔。黄金の古都をガイド!!
中欧チェコの美しい街並みを残す古都プラハ。その波乱に満ちた歴史と人物、記念的な建築物を辿り、歴史の余韻を体感する。プラハが身近になり訪れてみたくなる本!!

「黄金のプラハ」と、中世以来讃えられてきた、中欧の美しい古都。「百塔のプラハ」とも呼ばれ、塔が林立する独特の幻想的な景観を誇る町プラハ……。ヨーロッパのちょうど中央に位置するこの古都は、波乱に満ちた長い歴史を経てきた。ここでは、様々な劇的な歴史絵巻が繰り広げられ、様々な個性的な人物たちが歴史の舞台で活躍し、その記憶と記念が町のあちこちに残されている。(中略)
本書はプラハを歴史の劇場として捉え、第1部では「プラハ歴史劇場」で演じた主役と脇役にスポットライトを当てて、プラハに残る彼らの足跡と記念を訪ねながらプラハチェコの歴史を再現し、第2部では歴史の舞台となった主要な場所を訪れて、プラハの町に刻まれた歴史の跡を辿るという意匠を凝らした。


 第一部のプラハの歴史の人物たちが書かれているところは面白かったけど、第二部のプラハの地域や建造物の歴史が書かれているところは、そういった場所の歴史というのにそもそもあまり関心を持てないし、プラハ(に限らず海外にも)に行ったこともないので、個人的には微妙かな。タイトルからして、想定させる内容は第二部の方なのに、何故この本を読んだのかというと、この本の著者が「あまりにも騒がしい孤独」の訳者さんで、「あまりにも騒がしい孤独」の文章がすごく綺麗だったから、そんな訳文を書いた人だから、普通の文章もさぞ綺麗だろうと重い、内容は二の次で手ごろな本書を読んだ、という理由である。内容は人物だったり場所だったりを簡潔にわかりやすく書いているが、美しい文章ということではなかったのが残念。まあ、こういう内容なのに美文で説明よりも文章の綺麗さに目が奪われるというのでは元も子もないことだろうから、読む前から想定してしかるべきことだとは思うのだが、「あまりにも騒がしい孤独」の訳文の印象が鮮烈過ぎて、ああいう文章が新たに読める可能性がわずかでもあるなら、他の余計な可能性を考えないという具合に、自ら目を覆っていたようなものだったからな(笑)。
 『第二章 劇的な運命、「プラハ歴史劇場」の主役たち』では、伝説的人物などプラハを語るのに欠かせない有名人の事跡に加えて、彼らの伝説などについても書かれているが、そうした重要人物に焦点をあてて書かれているため、人物のエピソードという形で歴史的、伝説的な一幕やその時代の背景について説明してくれているので、歴史の本などよりもずっとチェコプラハの歴史について、わかりやすく知ることが出来るし、伝説なども書いてくれていることでその人物ないし人物像に現在・過去にチェコ人が持っていたイメージがわかるし、なおかつ極めて簡潔にまとまっているのも嬉しいところだ。
 プラハの春のあとに、ソ連に占領され改革を潰された。そのとき、改革派の多くが職を追われたり格下げされたりして、知識人たちが掃除夫になるなどの事態が起こり、また、それらの人々の子供が大学に入れないなどの不当な差別があった。そして、当時の第一書記として国の頂点にいたドゥプチェクは森番とされたが、1989年末の「ビロード革命」後、連邦議会議長やスロヴァキア社会民主党の党首となったというのは、彼の人生は劇的な変転の連続だな。こういう知識人が、政治が変わることで能力と合わない仕事を余儀なくされるのは、社会主義の国によく見られるものだけど、そう追いやられた本人は可哀想だとは思うが、同時にこうやって追いやることによって、知識人の家系というか、知識人などの上の階級が完全には固定化しない、といったプラス面もあるのだろうとも思えるから複雑。まあ、特に最近日本でもかなり階級が固定化しているようだから、そういったプラス面もあるとも思えるのだろうけど。
 チェコ宗教改革時に生まれた「兄弟教団」(互いに兄弟と呼び合ったためそう呼ばれた)の最後の司祭であるコメンスキーの「おおチェコの人民よ、汝の事柄の統治は再び汝の手に戻るだろうと、私は信じる」や「神に捧げられた民族よ、生きていよ、死ぬことなかれ」は格好いいし、独立運動の指導者で初代大統領である、マサリクもコメンスキーの言葉を座右の銘としたように、民族復興運動以降に再評価されたというのも頷ける言葉だ。
 チェルニーン宮殿、『宮殿はバロックの絵画、彫刻、家具などで一杯になったので、プラハの人々の注目の的となり、多くの人々がこの宮殿を訪れた。それが宮殿の所有者をあまりにも悩まされたので、彼はついに誰も中に通さないように召使たちに命じた』(P140)118世紀の話だが、「小説フランス革命」でも日本とは違って宮殿などに市民が結構簡単に入れていたという印象があるが、欧州では宮殿は(全域ではなく一部であろうが)市民が簡単に入れるような場所だったのかな?とそういうことがちょっと気になったので、ヨーロッパの宮殿のことが書かれた本を読んでみたいと思った。