あまりにロシア的な。

あまりにロシア的な。 (文春文庫)

あまりにロシア的な。 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
ソビエト崩壊から三年後の変わり果てたロシア―スパイ容疑をかけられた過去の悪夢がよみがえり、白夜が狂気に導く「ペテルブルグ病」にかかり、芸術学者らとの交流と思索の日々から「ロシア的なるもの」の真髄にふれた異色の体験記。酔いどれたちの坩堝で全体主義国家の光と闇が浮き彫りになる圧巻の書。

 「カラマーゾフの兄弟」の訳者さんが、手紙や新聞の引用といった、さまざまな形式の文章を用いた、コラージュ的な手法で自身のロシア滞在を書いたエッセイ。亀山さんのロシアでの行動や知識人との交流とかを見ていると、真面目で頭がいい、古き良き知識人という感じで、こういうものを知識のひけらかしや変に卑下していると感じさせることなく自然体で書いていることを新鮮に感じた(おそらく、僕の読書範囲に真面目に文学や芸術をやっている人の本が入っていないのとそういう人の本は文庫になりにくいといった事情もあってそう感じるような本を読んでいないだけだから、実際にそういう本が少ないのかは不明だが)し、このような筆者の頭のよさがわかる文章を読んでいると、ごく自然に敬意を持つことができるし、なにより格好良くて素敵だ。僕は亀山さんの訳で「カラマーゾフの兄弟」を読んだがすごく面白かった記憶があるなあ、というか個人的には小説をよく読むようになったきっかけとなった本だから、そういう意味でも印象深いし、個人的に小説の楽しさに開眼させてもらったことは人生の中でものすごく大きなことだから、本当にあの時期に「カラマーゾフの兄弟」が訳されたことや話題となっていたことには、どんなに感謝しても言い過ぎということには決してならないくらいだ。
 この本を読んで、亀山さんがすごく芸術に対して造詣が深い人だということを知った。現代美術などの芸術について説明しているところの意味は正直よくわかんないけど、現代美術の良さを理解でき、自分の感性でもそれが良いものだといえる芸術家肌の人だということは解った。
 かつて亀山さんがロシアを旅行中に立入禁止区域に誤って入ってしまい、そしてヴォルガ川と蝶を写真に撮っていたものの中に、撮ってはいけない橋が写ったものもあり、それらのことでスパイの嫌疑がかけられた。その事件についての亀山さんの結論は、『人間にとってある種の恐怖は、他人に疑いをもたれる不幸ではなく、むしろその疑いに自分から進んで同意しようとする不可解な衝動にこそある、と。簡単にいえば、人にスパイの疑いをかけられることの恐ろしさは、それによって自分がスパイではないかという根源的な不信に自分を陥れていくところにある。』(P170)そして、『それはひょっとすると原罪とよばれているもののむきだしの体験だったのかもしれない』(P171)というもので、今までは原罪というのは正直理解できていない感覚だったのだが、こうしたものと結び付けられると多少なりともわかるような気がしてくるので、そのような感覚と原罪を結び付けて考えているのは非常に興味深い。
 クンデラが18世紀の「最も偉大な二つの小説」としてスターン「トリストラム・シャンディ」とディドロ「運命論者ジャックとその主人」を挙げているということだが、「トリストラム・シャンディ」と一緒に挙げられている「運命論者ジャックとその主人」は初めて知った本だが、「トリストラム・シャンディ」と同列にされているのだから面白いのかなと興味を持ったので、amazonで検索してみたら、amazonのその本のページで


運命論者ジャックとその主人

運命論者ジャックとその主人

内容(「BOOK」データベースより)
人間は誰しも、次の瞬間にはどちらに転ぶとも知れない曖昧で危機的な生を生きていくしかない。この酷薄きわまりない世界認識を、一片の悲哀を混じえることなく、ひたすら快活な笑いをもって描ききったところに、この傑作の真骨頂がある。破天荒なストーリー展開・脱線につぐ脱線のメタフィクションクンデラブレッソンを魅了した18世紀の小説が新訳でよみがえる。

 という内容紹介の文を読んで、この本は絶対面白いだろうから是非読みたい!との確信を得たけど3,570円だから迷うなあ。と、思っていたけど結局買っちゃった(笑)。