忘却の河

忘却の河 (新潮文庫)

忘却の河 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「忘却」。それは「死」と「眠り」の姉妹。また、冥府の河の名前で、死者はこの水を飲んで現世の記憶を忘れるという―。過去の事件に深くとらわれる中年男、彼の長女、次女、病床にある妻、若い男、それぞれの独白。愛の挫折とその不在に悩み、孤独な魂を抱えて救いを希求する彼らの葛藤を描いて、『草の花』とともに読み継がれてきた傑作長編。池澤夏樹氏の解説エッセイを収録。


 何年か前に数十ページ読んだあと、ずっと投げていたので、いずれ読まなきゃと引っかかっていたが、ようやく読み終えることができた。というか、以前は数ページ読んだ後、何日も放っておくというのを繰り返して筋がすっかりわからなくなってしまったのだが、そのせいで何かわかりづらいイメージがあったが、一念発起して継続して読み進めてみたら普通に読めた。まあ、冒頭はただでさえ頭の中に入らないのに、数ページごとに何日も放っておけば、わからなくなるわな(苦笑)。
 全編同じ家族の話を扱っているけど、短編ごとに語り手が変わる短編集。最初の短編から順に、父→長女→次女→妻→長女に惹かれている男→次女→父と語り手が変わる。
 「忘却の河」最初の短編かつ表題作。また、この短編は父(夫)が語り手。初読時は、これの途中で読むのを中断したのだが、その原因はたぶん過去の回想の場面への導入がただでさえわかりにくいのに、彼が戦友の遺族を尋ねた話を自分の友人の話として語っているので余計わかりにくくなったので、ただでさえどういう話かつかめていなかくて、なおかつ日に数ページずつしか読んでいなかったので、こんがらがってしまったのだと思う。場面が大幅に変わるなら、章分けしてとは言わなくても、空白の行を1行つくる位のことはして欲しいわあ。解説には、『大抵は、現在と過去のふたつの時間の情景を説明ぬきでいきなり並列させるのである。それでかまわないのである。』(P342)とあるけど、個人的には構ってほしかったわ(笑)。
 『本当は私が、妻のいうとおり、心の冷たい人間であったせいかもしれない。人は他人の見るようにしか見られないし、他人によって見られることの総和が、つまりその人間の存在そのものであるのかもしれない。私は格別異を立てるつもりはない。』(P56)これは、個人的な話だが、最近本当の自分云々なんてものを胡散臭く感じ、こういう他者から見られるものこそ真実というような言説の方が魅力的に見える。
 「煙塵」、長女が語り手。母親が知らない2つのわらべうたを自分が覚えていることで、自分が貰い子なのではと心配になるが、子供の頃にねえやがいたことを思い出し、彼女がそのわらべうたを子守唄として歌っていたのではないかと思い、彼女を訪れるが、彼女が知っていたのは片方のみだった。しかし、彼女が急に昔のねえや(初ちゃん)を訪ねていったのに、未だに「お嬢さま」と呼んで歓迎してくれるという、初ちゃんの心根の優しさには、心が和む。
 「夢の通い路」、妻が子供の頃、母が震災で死んで、そのことで父が悲嘆に暮れていたことで、父の母への愛情の深さを知ったというエピソードはいいね。しかし、彼女の初恋かつ不倫のエピソードは、どう反応していいのやら。基本的にそうしたNTR系の話は苦手なのだが、のちにそれを知った夫も許している、というか彼女も愛したことがあったことに安堵しているようだからなあ。長い時間を経て、彼女の父の死に目や息子の死顔を見なかったことが、薄情なのではなく、『今から思えば、あの人には何かしらそれに触れると疼くような深い傷跡が心にあったにちがいない。ただわたしはそれをたずねようとしなかったし、あの人はわたしに教えようとはしなかった。』(P187)という風に一定の理解を示すくらいにはなって、死ぬまで軽蔑したままではなかったということは良かった。
 「賽の河原」、最後の短編。無事、伊能と長女が結婚することになったようで何より。そして、長女が覚えていたどこで知ったかわからなかったわらべうたが、父が彼女に歌ってくれていたものだと知るシーンは凄い好きだなあ。それまで、子供の頃父が戦争から帰ってきたときに、父のことをずっと待っていたのに、まず次女のところに行ったことに長らくわだかまりを抱いていたようであるが、こうして昔自分に子守唄をこっそりと歌っていたという父の思わぬ一面を知り、またそれに付随して父が自分のことを話したことで、大きく二人の間が親密になったようで、良かった。しかし、母が死んだことでお互いの関係が否応なしに変わるから、その中で衝突したりすることで、今まで親しい交わりをせずに停滞していた父子関係が親密になったのは良かった。実際にもそういう大きなきっかけがないと、中々お互いの距離感は変えられないのだろうけど、誰かの死によってポジティブに変わるというのは割り切れない気持ちや、死ぬ前になんかできなかったのかという思いが残って、いまいちすっきりしない。子供だね、と言われればそうかもしれないが。