オツベルと笑う水曜日

『私は、何一つ悪事を働いておりません。故に私は、己の身が清廉潔白である事を証明しようかと思います』
 先日少年刑務所から出てきた容疑者の部屋で発見された声明文。そして殺人現場の壁に残る『私は無実です』のメッセージ──。
 芸能ゴシップや都市伝説等を扱う、とある雑誌の編集部。そこは編集長の乙野辺ルイ、通称オツベルが若き女帝として君臨していた。そんな部に急遽配属された、強面で顔面に傷痕が走る巨漢、喜佐雪弘。自分を悪人だと自負するルイと真面目ながらも謎の多い新人記者・喜佐が、いつしか連続殺人事件に巻き込まれ──。
メディアワークス文庫 オツベルと笑う水曜日 より)

 「デュラララ」と同じ世界観(ただし非ファンタジー)ということで読んだが、なるほど濡井村とかチンピラの感じがそんな感じだなあ。しかし、「デュラララ」とか「バッカーノ」とか「越佐大橋」とかって同一世界観のものだったんだ。いやあ、改めて考えると「デュラララ」にもそうしたことが書いてあった気がするが、クロスオーバーみたいに違う作品のキャラクターが登場したことはたぶんない(「バッカーノ」とかは、いまだに読めていないので絶対とはいえないが)と思うので、すっかり忘れていたよ。まあ、しかし、こんな他シリーズと世界観が同一であることがかなり明確に示される。たとえば「デュラララ」で登場したキャラクターが幾人も、多くは名前だけや喋らず遠くから見ているというだけだが、出てくるというのは珍しいのではないかな。
 タイトルにあり、乙野辺の愛称である「オツベル」というのは、宮沢賢治の小説から来ているのか。しかし、宮沢賢治の小説好きって人多いよね、新潮文庫の「銀河鉄道の夜」を1度読んだことあるくらいだから、もうちょっと他のものも読んでみようかな。まあ、どうも物語の意味を読み解くみたいなことをしなければならない感じだけど、そういうことは苦手だから、読んでも大好きとは思えないだろうけどね。例えば、この本の幕間で、宮沢賢治オツベルと象』についての一解釈がなされているが、こういうのを見るのは好きだけど、自分では解釈できないからなあ。
 喜佐、乙野辺でさえ緊張を隠しきれないほど人相が悪いとは、並大抵の人相の悪さじゃなさそうだ(笑)。しかし、ものすごく有能かつ万能だけど、巷をにぎわす強盗犯『包帯男』のインタビューとか、カッパを捕まえるくらいインパクトのある記事をよろしくという無茶振りに対し、それが当然のことのようにあっさりとこなした、しかも『包帯男』を取り押さえてインタビュー(相手からすれば尋問に思えただろうが)したのには、彼がこんな場末(失礼)に来た理由がより一層わからなくなって、かえって不気味だ。
 しかし、喜佐は本当に何を考えているかわからない人間であったが、自分の外見が怖いことをちゃんと認識していたことがわかったことで、ほんの少しだが彼の得体の知れなさが薄らいだ。
 乙野辺、山神千一が弟が起こしたと目されている事件について、かなりしつこくマスコミに追求されて、彼が怒っているのをみて、自分も質問しつつも、そのそも以前の事件についても彼が冤罪なのではと聞いてみたり、それに伴い周囲のマスコミに「弱いものいじめしちゃ駄目ですよ」と喧嘩を売っているのは素敵!まあ、自分たち家族が同じような立場(父が殺人をしたと疑われていた、後に真犯人が出てきて冤罪が証明されるが)に置かれたときと重ね合わせていて、マスコミ連への私怨でそうやってあてこすったという面もあるけどね。しかし、乙野辺が母を自殺にまで追い込んだ、マスコミ連中への復讐として、『記者が私に聞いてきた事は全部録音してたし、雑誌も全部取ってあったからね。父さんが疑われた間に何をされたのか、事細かく纏めて動画サイトにアップしたの。記者と雑誌の実名付きでね。』『いやー、あの時は祭りになったよ。実名を出された記者が何人かクビになったしね。』(P220)というように復讐を果たしたのは実に爽快!
 狐崎と樫井、他の人は喜佐が仕事場に居るだけでびびって大人しくなっている中、いつもどおり振舞えっているくらい平常心でいられるのとは、彼らは記者向きな性格しているね。他の連中がたぶん普通な反応なんだろうから、どれほど喜佐の外見が怖いのかという話だよ(笑)。しかし、樫井は常識人かと思いきや『上司の弱みの一つぐらい握った方がいいだろうという理由だけで、他人のパソコンを平気で除きそうな雰囲気はある。』(P244)というくらいには真面目そうでいて、中々ぶっ飛んでいるな(笑)。
 喜佐、かつて継母とか腹違いの兄・姉の行為を疑っていたが、本当に愛してくれていたと感じてから、そのことを疑っていた自分に自責の念を感じて、今度は自分が家族を護ろうと決意し、家族を護るためいろいろな能力を習得した、そしてボディーガードになろうとしたが、しかし家族を盾にはできないと断られて、それから庭の整備をしつつ日々をすごしている中、乙野辺の継母に乙野辺ルイのことをよかったら護ってあげてといわれた(彼女からすればそんな重い言葉ではなかったであろうが)ことから、彼女を護ろうと決心したというのは、まず最初から底抜けに人の善意を信じられる性質ではなく、努力して第二の天性にしたものだとは意外だし、護るべきものを探すというのは本来の目的(家族を護る)とは離れて迷走している感が(笑)。
 しかし、濡井村の『はい、しゅーりょぉー、俺、終ー了ぉぉぉー』(P292)という台詞には思わず笑ったわ。しかし、濡井村、越佐大橋に逃げたとエピローグで書かれているが、既にそのシリーズでは彼が登場しているのかしら?そこがちょっと気になる。
 最後の黒幕たちの末路、自業自得だが、主人公があの結果を予期して罠にはめたというのはどうもモヤモヤする、濡井村の行動を察していたとかならともかく、自分で動かしているからなあ。まあそういうところが彼女が善人でなく「悪人」である所以なのかもしれないけどさ。しかし、そういうことをした彼女でも喜佐が見捨てないのはなぜだろうか、最も簡単なのは惚れちゃったということなのだが、そこらへんどうなんだろ?と思ったが、善人である彼女の義母に頼まれたからというのが、彼が彼女を護る大きな理由でありそうだ、あと彼女は危なっかしいから放っておけないというのもあるだろうな。