37日間漂流船長

内容(「BOOK」データベースより)
武智三繁、50歳、漁師。7月のある日、いつものように小さな漁船で一人、長崎を出港。エンジントラブルに遭遇するが、明日になればなんとかなるとやり過ごす。そのうち携帯電話は圏外となり、食料も水も尽き、聴きつないだ演歌テープも止まった。太平洋のど真ん中で死にかけた男の身に起きた奇跡とは?現代を生き抜くヒントが詰まった一冊。

 救助の連絡を取らないまましばらく船と共に漂っているうちに陸地が見えなくなり、連絡も取れなくなってしまったという場面を抜粋して紹介していたブログを読んで、その自分すら突き放してみているような描写でやられて、絶対面白い!と感じたので、以前から読みたいと思っていたがようやく読了。
 『水面上2・5mの高さから見える水平線までの距離はわずか6kmに過ぎない。/港から10kmも沖に出れば、陸は海の下に没するということだ。』(P12)水平線とか、地平線とかのイメージってもっと果てしなく遠くまで何もないというイメージだったのだが、こうして具体的な数字で見てみると意外と見える範囲というのは狭いのだな、特に10キロ離れたら陸が見えなくなるという事実を知ると、航海がいかに危険を伴うものだったかということを今までよりも強く感じる。
 あ、漂流していた武智さんは兼業漁師の方だったのか。というか、兼業漁師という人がいるということが初耳に近い。兼業農家って言うのは聞いたことあるけど、漁師さんって、みんな専業の人ばかりかと思っていたよ。というか、武智さんの人付き合いが苦手だけど、好んで独りで生きてきて、そのことをまったく後悔していないという生き方自体が格好いいし、それに独りで生きていることに強がりとかでなく寂しさを全く感じていないのもまた格好いい、というか個人的な理想に近くて憧れる。
 エンジンが止まってしまったが、たまに少しだけエンジンが調子を取り戻すときがあったし、水とか数日分の食料も積んでいたので、人に迷惑をかけたくはない、そして大事になったら恥ずかしいと思って、救助の連絡を取らずにいたら、船は携帯の圏外へと行って連絡が取れなくなってしまった。そうして漂流したあと、船や島影を探していたが、何も見つからず徒労感がつのっていって、『もういいやって思ったんだ。/もう自分は駄目なんだ。助からないんだって思った。/もうちょっと言えば意識して層思い込もうとした。どんなに頑張ったって、どうせもう俺はこのまま死ぬんだ。これが俺の運命だったんだって。』(P72)こうした諦め、死の受け入れの境地に達したのは潔くて格好いい。
 こうした漂流とか戦時下(ないし戦後初期)の生活とか刑務所、収容所とかの話で、日常なにげなく消費しているものを喉から手が出るほどに欲しくなる貴重なものへと変わるようなシチュエーションは個人的に大好き。そうした中で手に入る水やら食料といったものを摂取する喜びを描かれると、読んでいるこちらまで喜んでしまう。誰でも喉が渇いたり、お腹が減ったりしたあとに食べたり飲んだりする喜びを感じたことがあるから喜びの方向性は理解しやすいからというのもあるかな。それに、食事というのは人間(動物)にとって根本的なものでもあるし。
 それに、例えばこの本では小銭入れに870円があったから、今ここに自動販売機があったらという空想遊びをしているが、そうした中での日常的な最大の喜びや願望を空想するシーンを読むのもまた空想している当人だけでなく、その小さな幸せのかたちにほっこりし、読んでいるこちらまでその希求の念に共感できる心地になる。
 『空腹感は、それはあるんだけど、ある線を越えてしまうと、麻痺してしまうのか、そんなに辛いとは思わなくなった。/渇きがひどくて、空腹感なんて感じてる暇がないって言ってもいいかもしれない。』(P102)空腹感がなくなるほどの渇きというのは、ちょっと想像ができないよな。
 尿を飲むといっても、体内の水分が少なくなっているから刺激があり、なかなか飲み込めるものではないという場面は、そういった極限状態での尿はすごく濃厚になってしまって非常な渇きを覚えているのに我慢するのが難しいくらいのものなになってしまうのか。成人が毒素を輩出するために不可避的な尿量が400〜500ccで、逆にその尿が腎不全で止まっていたら臓器が毒素に蝕まれ、意識を失い確実な死がやってくるというのは、知らなかった。こういった水がない極限状態といっても尿と共に毒素を出すというのは重要なことだということを改めて知る。
 しかし『自分が死にかけていることはよくわかっていた。/それが明日、いやいまこのときに来ても、ちっとも不思議はなかった。/それなのに、何にも、どこにも、恐怖はなかった。/それどころか、あんなときにでも、俺にはまだ楽しみがあったんだ。』(P164)漂流で死にかけているのに、こうやって穏やかな心持ちで、追憶や夜空の美しさに楽しみを覚えていたということは素敵だ。
 末広丸に発見されて、水と握り飯をよこしてもらって、渇きと飢えを癒している場面はたまらなく好きだ。とくに握り飯についてきたふりかけに『これがまた旨いなんてもんじゃなかった。/『崎戸へ帰ったら、俺もこれ買おう』』(P182)という文章がすごくいいんだ。
 上のような気持ちが帰還後に大きく美化した嘘でないというのは、この本から伝わってくるご本人の朴訥なお人柄からも、昔の胃潰瘍のあとはあっても、新しく胃潰瘍ができていないという事実からも伺える。しかし、漂流中にストレスをあまり感じていなかったのかということには驚かされる。
 しかし、武智が救助されたあとに医者に尋ねた『先生、人間は死ぬときに苦しむものなんですか。水を呑めなくて死ぬときは、やっぱり苦しいものなんだろうか』(P195)という質問やそれについての医者の『大丈夫だよ、武智さん。そういうときは、まず意識がなくなるはずだから。すーっと、眠るように死んでいったと思うよ』(P196)という返答、このやりとりにはしびれる。