翔ぶが如く 7


新装版 翔ぶが如く (7) (文春文庫)

新装版 翔ぶが如く (7) (文春文庫)


内容(「BOOK」データベースより)
熊本、萩における士族の蜂起をただちに鎮圧した政府は、鹿児島への警戒を怠らなかった。殊に大警視川路利良の鹿児島私学校に対する牽制はすさまじい。川路に命を受けた密偵が西郷の暗殺を図っている―風聞が私学校に伝わった。明治十年二月六日、私学校本局では対政府挙兵の決議がなされた。大久保利通の衝撃は大きかった…。

 前巻を読んでから大分間を空けてしまったが、この巻ようやく西郷がたちあがることを決意し、ようやく次巻からは西南戦争であるので楽しみだ。
 乃木は相撲で足をくじいていたため、戊辰戦争時は20歳だったが従軍できなかったため、少佐という地位にあったが神風連の乱までは戦場での能力は未知数だった。しかし、小倉に着任してから私的にしていた情報活動は堪能で、神風連の決起を予期したり、秋月の乱をやや事件処理が迅速ではなかったとはいえ、飛び火させなかったなどの功があり、それに小倉は北九州一円を担当していたが兵力の処置もほぼ的確であった。
 前原、決起を決断した幹部会議の段階でも軍隊をまったく準備していなかったというのは疎漏すぎるぞ。たんなる野の人間ならそのぐらいでも準備に割ける時間が少しはあったのかもしれないけど、政権に危険視されている人物がそんな状態で起つことを決意するとは、仮にも軍人として顕職にあった人間とは思えぬほどに、甘々だな。まあ、革命政権で、しかも短期で辞めているから、まったく基本すらなっていないということがあるのだろうが。
 永岡久茂、前原と絶えず連絡を取っていたため、起たざるをえなくなった。いろんな反政府運動家とつながっているから、ここで前原を見捨てて機を待ったとしても、影響力が弱くなるというのも起たざるをえなくなった一因かな。しかし木戸の意をふくんだ伊藤博文井上馨が外務省に入れるか、さもなくば会津草倉鉱山の経営を任せようと勧誘するほど能力は官にも認められていた人だったのか。しかし、あたりが暗い中で警察と戦闘になったから、味方に敵と誤認されて重傷を受け、その傷のために獄死したというのは何とも締まらない終わりだこと。
 薩摩藩の永山休二、最初は大尉を任ぜられたが砲兵科であるため数学の学習が必要であったため、中尉に格下げしてもらい、それでも務まらないので少尉になったというのは、維新で新たに組織が0から形成されるような混乱期でしか起こらないようなエピソードなので面白い。
 薩摩人は文化について保守性はなく、西洋のものでも便利なら抵抗なく受け入れ、帯刀についても刀は戦いの道具であり、思想の象徴であるとは捉えていないので廃刀令以前から無刀で歩く士族が多かった。
 木戸、大久保を鹿児島が治外法権と化していることで7時間も責めたてるというのは、よくもまあ、そんな長時間責められるものだ、とあきれ半分感心半分。まあ、木戸は鹿児島の内部事情を知らず、その事情を知るのは西南戦争の最中のようだから、大久保がどうこうできるものでもないことも知らないから仕方ないけど、大久保は、薩摩内部のことは外に出さないという薩摩人としての感情はあるにせよ、そんなに長時間責めたてられても、自分ではどうにもならないと弱音吐いたり、どうにもできないのだとキレて内情をぶちまけないのはすごい忍耐力だな。
 西南戦争が始まるきっかけになった西郷暗殺未遂、というのは明治初期に在野の人間を政府が暗殺したという話は聞かないし、囚われた人間が攻め立てられてした自白が本当とは思えないので暗殺未遂があったというのは口実に過ぎないのではないかと思っていた。谷口のエピソードが出るまでは、本来の任務は郷士たちを説いて私学校幹部たちと鹿児島県の郷士たちを離反させようとするのと、東京の薩摩の人間が離間策を講じていることに怒らせ下の人間を暴発させることで征伐の口実を作る挑発の目的があったくらいじゃないかな、それらが裏なく全部なんじゃという気がするなあ、個人的には。もし実際に暗殺云々を喋っていても壮士的な気分から現場の人間がやったことではないかなとも思うし。しかし、谷口の証言は裁判についてのエピソードもあわせると、本当らしく見えてくるし、どっちなのかわからなくなってくるなあ。しかし、西郷暗殺に真実味を感じさせるものが谷口の証言ただ1つしかないから、暗殺未遂はあったと信ずるにはちょっと心もとなく感じるな。野村綱の口述は、正直県下の不穏さにあわてて自首した人間だから保身のために迎合したり、大分盛ったりというのがあると思うし、第一他の人が拷問で自供したあとに自供したものだから、彼のような性格だと誘導尋問でいくらでも尋問者が好き勝手に作れる余地が充分すぎるほどあるから微妙だし。谷口の証言が本当で西郷暗殺計画があったのだと信じたとしても、野村の証言が全く作り変えられていないと考えるのはちょっとありえないと思う。
 『このところ私学校生徒は非私学校生徒の家や官員の家に押しかけて、死にいたらしめるほどに暴行することが普通になっていた』(P215)というのを見ると、鹿児島県下が治外法権状態になっているかのがよくわかる。
 永山弥一郎が考えていたように、西郷一人が東京へ行き大久保らに詰問するという展開も十分ありえたことなのだよな、本人が他者に任せずに自分で意思決定していたならば、だけど。西郷が陸軍大将という職を征夷大将軍のように認識していた、彼がその職にあった折はそれに近かったようだが、現場を離れて久しいから、官の人間に対しての影響力は著しく減じている。
 西郷が愛した性質が、知的で情勢を読めるというようなものではなく、朴強かつ剽悍という性質を持った桐野や辺見のような薩摩型の好漢であったことは悲劇よな。