母なる海から日本を読み解く

母なる海から日本を読み解く (新潮文庫)

母なる海から日本を読み解く (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
母の故郷、沖縄・久米島。その新垣の杜には世界の中心がある―琉球古謡集『おもろさうし』の一節は、緊迫の北方領土交渉に努めた著者を揺さぶった。では久米島が世界の中心なら、世界そして日本はどう映るのか。思索は外交の最前線から、遙か琉球人の意識の古層へと飛び、やがて日本の宿命と進むべき未来が現れる。瞠目の国家論。

 やたら引用文が多く感じて、今まではなんとなくで引用文を流し読みして、佐藤さんの体験を面白く読んでいたから、佐藤さんの本が読みづらいと思ったことなかったが、この本のように佐藤さん個人の体験がほとんどない本を読んではじめて、読みづらいといわれている理由がよくわかったよ。引用文が多く、いつものように流し読みだとさっぱり理解できなくなってしまうし、なんだかかたい歴史の新書を読んでいるように途中からわけわかんなくなるし、関心を持って読むことは困難だった。しかも新書なら200ページ程度だからまだいいが、450ページもあるから読みきるのはしんどかった。
 「はじめに」でブルブリスが述べた日本に北方領土を返すことでロシアがスターリン主義と決別したことを世界に示すことになり、ロシアの権威が向上しロシアの国益になる、という理屈で論理を組み立てて、佐藤さんはロビー活動をした結果、北方領土について理解を示すロシアの政治エリートが多く出てきたというが、領土のような後の世代とも関わるもので譲歩しようとするのは中々リスキーな選択なのに理解を示す人が多くでてきたのは佐藤さんの魅力とか当時の混乱したロシア情勢あってのことだと思うから、残念ながら現在ではもうかなり難しくなっているんだろうな。
 ソ連には、『民族間の差異を解消して合理的な社会主義市民を作ろうとする融合政策と民族の差異を強調し、ナショナリズム社会主義社会の建設動機とするような開花政策の間を振り子のように往復して』いた。ブレジネフ、『ソ連の安定のために物事をあまり突き詰めて考えてはいけないという経験知をもっていた』政治にも突き詰めたらいけないことが面白い、民族問題のみならず領土問題とかでもそういうケースでもそういう場合があるだろう。
 旧ソ連では黒パンも白パンも無料で食べ放題だったので、パンで手を拭いたり靴を磨いたりしていた。それが、ゴルバチョフペレストロイカでパン代として2コペイクをとるようになるまでなくならなかった、つまり長年続いていたというのは凄いわ。
 北方領土、外務省の宣伝などで日本に正当性があると日本人は認識しているけど、もしロシアもサンフランシスコ平和条約に署名するとなればかなりの確率で国後と択捉の2島が失われるように、4島を日本のものだと理論的に説得力のあるものはないのね。だから、佐藤さん見たく外交で頑張ってもらいたいのですが、外務省の能力は国際政治の世界で外国と渡り合えるほど優秀とはいえないようだからなあ。
 標準日本語と沖縄の言葉の差異は、ロシア語とウクライナ語よりも、ロシア語とチェコ語よりも離れ、ラトビア語とリトアニア語くらい離れていると佐藤さんは述べているが、いくら言語と方言の区別が曖昧といっても、そうして幾つかの言語間の差異よりももっと離れていると述べられるとかなり標準日本語とは差異があることがうかがえる。
 佐藤さんの母の田舎である沖縄の久米島に焦点を当てて、この本は書かれているが、沖縄の歴史について無知だということもあるけど、さらにそのうちの久米島という非常にローカルなものなので過去の歴史の出来事が断片的なエピソードしか頭の中に入ってこないなあ、いや断片的にしか覚えていないのはいつものことだからローカルとか関係ないのかな(苦笑)。後の方の仲原善忠に焦点を当てて書かれているところは、子どもの頃の明治時代とかその時代を感じさせる面白いエピソードがあったので読んでいて面白かったけど。
 沖縄には、琉球王国時代に王朝の交代があったため日本にはない易姓革命思想があるということは大きな差異だなあ。しかし、奈良時代は沖縄とヤマトの交流は頻繁だったので、現在よりも言語的に近いものだったというのはかなり意外だ。
 久米島の人の、力関係を冷静に把握して、無駄な抵抗はせずに長いものに巻かれるというようなメンタリティを伝説的でもある「堂のひや」という人物から見ている。
 沖縄のメディアは地域的利害に固執しているだけで、右や左といった区分けは本質を見失う、という説明は目からウロコ。今後は、それを忘れずに意識しておかねばな。そう考えれば、他の公害問題(あるいは原発)とかである地域に甚大な負担がかかっているのに抗議の声をあげるのが当然なのと同様に、米軍基地の問題も地域で公害を発生させているものについて当然のこととして非難しているのだから、それを批判するのはどうかと思うし、国益云々という目を曇らすもととなる基準は置いて考えてみるべきということか。
 『沖縄は独立できるのだが、あえて日本の一部に留まっているという「大きな物語」こそが沖縄の保守思想なのだと私は考える。』(P244)
 ブラジルの日系人の間で、太平洋戦争で日本が敗れたあと、日本が戦争に負けたと信じない「勝組」が現れたというのは知らなかったし、そうしてできた組織のうちの一つ『共同連盟は65年ごろまで続き、日本の勝利を固く信じていた』(P397)というのは驚き。
 ロシアの民俗学者ユーリーブロムレイのエトノス論からすれば『沖縄人という自己意識は、民族(ロシア語のナーツィヤ)に至る前段階の亜民族(ロシア語のナロードスチ)であるということだ。亜民族意識は日本人というアイデンティティーに吸収されてしまう可能性もあれば、独自の民族に結晶することもある。結局、沖縄人は、完全な日本人であるか否か、沖縄人という民族であるか否かという問題意識を常に抱えざるを得ないのである。』(P424)