移民の宴

移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

内容紹介
おとなの週末」の人気連載を単行本化。年明けにクリスマスを祝うロシア人、カレーライスもラーメンも食べられないけれど、寿司は大好きというムスリム(イスラム教徒)の人々、屋台街のような中華学校の「園遊会」、レストランの賄いもワインとチーズ付きのフランス人……。知られざるご近所さんの食卓に突撃。日本初の”ごはん”文化比較論的ルポ。


 この本はHONZで紹介されていたときから凄く面白そうで読みたいと思っていた、というよりもここで高野さんの名前をはじめてみてそれ以降高野さんの本を何冊も読んだ、が文庫にならないなんてことはなさそうなので、文庫になるまで我慢しようと思っていたけど、図書館に置いてあったことに気づき図書館にて読了。やはり期待通り面白かったので、文庫化したらきっと購入して再読するよ。このシリーズが連載途中で3・11が起きたから、それに関連した話や章がいくつもでてきた。
 はじめに、において「長年の旅の相棒でもあるカメラマンの森清とともに」とあって、丁度「西南シルクロードは密林へと消える」を読んでいたところだったので、その後も一緒に仕事しているのだな、と少し意外に思った。だって、「西南シルクロード」においては密林を歩き続けた挙句途中で帰国せざるをえなくなったのだから、もう一緒の旅はごめんとなってもおかしくないからね(笑)。
 タイの僧侶が守って暮らしている戒律の1つが、正午を過ぎたら固形物を一切口にできない。というものだが、その「固形物」の解釈はいろいろあるが、『ヨーグルトは不可だがアイスは一般には「可」とされている』(P24)というのは面白いなあ、常温で液体になるかどうかの差なのかな。また、タイではお布施セットが町中で売られているが、日本ではないからこの成田の寺では、寺の受付で販売しているものを買うというのは、なんか微妙に腑に落ちないものを感じるわあ(笑)。それと、高野さんが誰がお金を出したのか疑問に思っていたら、かつて取材した人が建てたものだと知り、その昔取材して雑誌に載った記事を読んでみたら、今の自分が知りたいことが簡潔にまとめてあったという顛末、とそのことについて過去の自分について自画自賛しているのは面白かった。
 イランは伝統的に歌と踊りが好きな民族だとか、イランには大きく分けて24の民族がありダンスも同じ数だけあるというのは、抱いていたイメージと違うので意表をつかれた。しかし、ミーナさん24歳にして色々と濃い人生送っているなあ。というか、姉との関係が若干古めかしいスポーツの師弟関係みたい。しかしイラン料理、17時間かけてようやく仕込が終わった段階というのは驚くわあ、というかこの他にも本書の中で色々といわれているから当たっているのだろうが、日本食って焼き魚などの簡単な料理が多く、楽な部類の料理のようだ。その分、一回作ったらしばらくそれが出てくるというのではなくて、毎回違う料理を作るという、差異があるけど。
 南三陸町のフィリピン人女性たち、苦労して自分たちの場所を獲得した土地だから愛着があり(在日フィリピン人対象のアンケート調査では、自分が愛着を持つ場所という項目で、「フィリピン」や「日本」を押さえて、「今住んでいる町」が一位だったようだ)、他の場所へ離れるつもりがないというのは、なるほどなあ。しかし、家を流されたりしている状況なのに明るく振舞っているのは、すごいわ。
 フランスでレストランを開くのは、店舗をレンタルする習慣がなく丸ごと買わなければならなく、また「商業権」というものがあり前の店の一年分の売り上げをはらう必要があるなどの事情があるので、店を開くのは難しいということだ。また日本の生活は便利だ、といっているのは少し驚いたが、ただし日本の生活はすべて日本語で行われるため、便利さを教授するには頼れるパートナーがいるから享受できるもの、と説明されれば納得。そして、子供の語学教育についてお父さんと会話できない子どもにしたくないからフランス語を覚えて欲しく、従兄弟と話ができない子どもにしたくないからアラビア語も、といった誰と話ができるかということに重点を置いているのは、そうした個人的な事情によるもののほうが自然と思えるので、こういう考え方はいいね!
 館林は在日ムスリムが多い町ということは初めて知ったが、そうなんだ。あと日本に住むムスリムの人たちは宗教上の理由もあって、寿司好きが多いというのは意外。
 インド人のチャンドラニさんが、高野さんに「寛容なんですね」といわれて、それを間違った存在や行動を大目に見るというニュアンスを含む寛容とは違って「排他的でないんです。いろいろな考え方があって、どれが正しく、どれが間違っているではない。どれも正しい。それを理解するということです」という言葉は目からウロコだった。
 10章で白系ロシア人の裔であるリュボフさんがでてくるけど今でもいるのかと驚き、しかし1932年下関生まれだというのだから、普通に使う言葉や口調が普通の日本の80歳と相違ないというのは、それはそうなのだろうけど、一瞬不思議に感じてしまう。
 あと「異国トーキョー漂流記」で盲目のスーダン人アブディンの話が好きだったので、最後の章で彼が登場しているのは嬉しいし、その後も継続して高野さんとアブディンさんがかなり親しい友達付き合いをしていたということもわかって、それには思わず少し顔が緩んでしまう。ムスリムは会食で酔っぱらったような多幸感に浸ることができる、ということは酒席がなくともそうした会食に同様の意味があるのか!
 そして「おわりに」で、アブディンは作家としてデビューを果たし現在はウェブ上で「わが盲想」を連載しているということで、早速読んでみたが面白い。5月中旬に単行本が出るようなので、文庫が出るかどうか心配だし僕としては珍しく単行本で買うべきかどうか悩んでいたが結局発売日に購入、面白かった!