龍馬史

龍馬史 (文春文庫)

龍馬史 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
明るくて合理的、自由で行動的。貿易を行い、戦争もする「海軍」として、亀山社中を創設し、薩長同盟を実現させた坂本龍馬土佐藩で、どのように育まれたのか?どんな世界を見ていたのか?誰に暗殺されたのか?龍馬をめぐる数々の謎に歴史家の磯田道史が挑んだ。龍馬を知れば、幕末が見えてくる。


 龍馬の手紙が面白かったからこそ、今日の龍馬人気になっている。ということは、資料を残さなかったら、同様の業績があっても、魅力が伝わりにくいから、現在のような人気にはなっていなかったのかもね。幕末に死んだ有能な人物でも現代では非常にマイナーな人間は数多いし、一般にはそういう人たちみたいな扱いになったり、そうでなくとも現在のように日本史の人物の中で屈指の知名度、人気を誇る人物にはなっていなかっただろうなあ。そういった個人の一性質が、歴史上でのその人の重要度が変わるというのは、史料の少ない時代ではより著しいだろうから、完璧な捉え方の歴史を読むというのは困難だということがよくわかるよ。
 龍馬の姉へ、佐那について詳しく紹介した手紙を読むと、『龍馬は、恋に落ちている自分を突き放してみているところがある』(P21)ことがわかる。龍馬は好奇心が強く照れ屋だったせいもあっていまひとつ女性だけにのめりこめなかった。
 寺田屋事件で押収された薩長同盟関係などの重要資料を押収されてから、坂本龍馬の危険性を幕府が強く認識してしまった。
 寺田屋や長州戦争(海軍として参加)で生き残ったことで、自分が死なないという自信を深めることになり、その自信が死ぬ間際の無防備な行動を惹起して、結果彼に死をもたらした。
 龍馬は和戦両様の構えだったが、幕府との戦争を辞さない基本思想を持っていた。ので、「平和主義者」だという論には疑問符がつく。
 坂本家は、分家したときに現代のお金に換算すると数億円の財産が譲渡され、さらに武士として所有する土地の小作料が40両あったので、かなり裕福だった。親戚(本家)が富裕な商家という家出身だとは知っていたが、郷士だし、何代か前のことだから、竜馬の大まで裕福だったのはなぜだろうと思っていたが、分家したときにお金をそんなに譲渡されていたというのは知らなかったし、才谷屋にとっても親戚筋に武士がいることは商売するうえで有益だったようなので、分家して代を経ても結構支援があっただろうから、それで裕福だったのかな。
 専売制が成功した藩は、大都市の経済に飲み込まれることのない、土佐や薩摩などの辺境の藩で、紀州などは物産が豊かでも阪神圏に近すぎたため専売制は成功しなかった。
 龍馬は江戸での剣術修行中に藩邸暮らしをしていたが、その時地元の土佐では上級武士と同等の屋敷に住んでいたが、藩邸では上級武士は個室を与えられ、郷士の次男坊の龍馬は大部屋の畳数畳をあてがわれただけ、という経験をしたことで、竜馬は身分制度についてはじめて目が見開かされた。そのような意味で、剣術修行中の藩邸での体験は龍馬にかなり影響を与えた。
 薩長同盟は中岡のほうが役割は大きかったという論者も居り、大政奉還についても驀進の大久保一翁松平春嶽が先んじて提唱していた。それらのことよりも、著者が重視するのは、誰よりも早く海軍の重要性に気づいた上、実際に海軍を創設して、実戦(長州戦争)を戦ったということで、そういう点においては龍馬は過小評価されているかもしれないとのこと。そして龍馬は政治現象を事業化する能力もまた優れていたし、特筆すべきものだ。
 現在では江戸時代の体制のことを、「鎖国」ではなく「海禁」という言葉で表現されているというのは知らなかったが、それは納得がいく言葉だ。
 紀州藩の船と衝突した際に、龍馬は巨額の金銭を賠償させることに成功する。しかし。それは積荷の分も含んでいたいたがための高額な賠償金。しかし、龍馬が積んでいたという積荷は、はじめは「米や砂糖」だったが、交渉が進むと「銃」に変わり、さらにあるときから「現金を何万両」も積んでいたと主張して、賠償金を引き上げていたが、近年船体の引き上げ調査によると鉄砲類も多額の金貨も発見されていないようなので、それらは巨額の賠償をせしめようとした龍馬の「はったり」だったようだ、そうした嘘をついてまでがめつく賠償金をせしめるというイメージがなかったから意外だわ。そう考えると、「竜馬がゆく」のどこかで書いてあったように維新後にある紀州藩士が龍馬のことを悪く言っていたのにも納得(笑)、きっとそうとうに押しの強い交渉(極めて穏便な表現)をしていたのだろうな、と想像がつくから。
 龍馬は薩摩藩にとってエージェントして有効な存在であった。
 龍馬は平和的工作で幕府の骨抜きを図りながらも、一方で武力倒幕を画策(薩長とは買って土佐に銃を運んで戦の準備を)していた。そして王政復古は薩土芸が一緒になって押しし進めていたもので、薩摩にとって龍馬は(武力討伐に反対まではしていないから)邪魔どころか必要な存在だったし、龍馬が幕府と交渉していることも幕府を政治的に無力化資する条件闘争をやってくれているのと同じだから邪魔にはならない(ので、龍馬暗殺の黒幕が薩摩というのは無理のあるもののようだ)。なので、龍馬はぎりぎりまで交渉を頑張るが、上手くいかなかった時のために戦争の準備もしていた、というまあ、ごく当たり前のことをしていただけか。それと、龍馬は、紀州からの賠償金を朝廷軍の当座の軍資金としようとしていた、ということには、へえ。
 龍馬の秘策であった慶喜を関白にするという策は、彼の幕末当時の有力なプレーヤーの中で唯一とも言える尊王精神、一戦やったが逆賊として名を残すことを恐れ自ら謹慎していたことからわかるように、を持っていたようだから、なるほど呑む可能性も十分あった策だったのね。
 龍馬は相手が同意してくれる意見を無邪気に信じることができる純粋さを持っているから、好感をもたれる。
 本書の後半に龍馬暗殺についての様々な説について書かれているが、その様々な説について難点などをあげられているのを読むと、たしかに、松平容保が命令して会津配下の京都見廻組が実行したというのが一番もっともで、結構証拠もあり真実であろうと思えるのに、なんで今だに一般的には議論百出、というか謎という風に見られているのかがよくわからなるほど説得力がある。