終物語 上

終物語 (上) (講談社BOX)

終物語 (上) (講談社BOX)

内容(「BOOK」データベースより)
真っ暗な眼の転校生・忍野扇。彼女が微笑みながら解き明かす、阿良々木暦の“始点”とは…?高校一年生のあの日、少年は絶望を味わった―これぞ現代の怪異!怪異!怪異!青春の、終わりを告げる影がさす。


 「物語」シリーズ、個人的には初期はただ単にとても面白いと思いながら読めたし、中期のメタとエロが増えた時期もメタについては若干食傷気味になりながらも、読みやすかった。だけど最近は人の内面、黒い部分に踏み込んだ、重たいテーマになることが多いが、そういうのは苦手。重いテーマを深く掘り下げているから、そこが好きだと感じる人もいるだろうが、僕はこういったことについて関心も問題意識もそんなにないから、そういうのを読んで興味深いなとか面白いと思うことがあっても、そういう類の重さを持つ作品を積極的に読みたいとは思わないし、またいくら面白く思っても、別の作品や続きの作品を買うことはないからな。
 老倉が嫌悪の情をストレートに阿良々木に向けられているし、その彼への悪意ある態度の理由がわからないので彼女にイライラするし、読んでいてしんどいので、読み進めるのに根気が必要だった。まあ、真意がわかったあともやりすぎだという思いはいまだに残るが。
 本書に収録されている連作の短編3つ、どれもミステリーとして一応犯人を当てることができるようになっているということはちょっと驚きだなあ、推理してみる人はなかなか居らんと思うけど、それはちょっと面白い。
 忍野扇は、得体が知れない。なんだい、あの催眠術のように自分の言葉を信用させる能力は。彼女自体が怪異といわれても全く驚かないだろう。
 冒頭は出会った当日の阿良々木と忍野扇が携帯も通じない密室状態の教室に閉じ込められているところから始まるのは、なかなかわくわくさせる出だし。
 羽川と戦場ヶ原は普段昼食を2人で食べているって、酷い(笑)。阿良々木くんを入れてあげなよ。
 阿良々木が高校1年のときに「友達を作ると人間強度が下がる」なんて信条を持っていた契機となる出来事、老倉委員長が自主的に開いたクラス会でテストの不正について争われた出来事、があったのか。まさかそんな出来事があるとは思わなかったし、そんな出来事について語られようとは輪をかけて思わなかった。まあ、最初からこうしたエピソードがあったという設定だったのかについてはちょっと疑問があるけど(笑)。高校のその出来事以来変わったのかと思いきや、「昔から結構、クラスで孤立しがちな奴だった」ということだから、そういうところは変わっていないのね(笑)。
 しかし阿良々木くんはよく一年のときのクラスメイト全員について詳細な印象をいまだ持っているな、それは感心してしまう。
 老倉育、最後に無理に決を取って、「民主的に」犯人を決めようとして、自分が犯人にされたというのは、まあ普通に考えればそうなるよな。当然だし、可哀想には全く思えないなあ。その出来事を「自滅」という人もいたということだが、それはその通りだし、それ以外の何物でもない話だな。しかし真相と真犯人はひどいわあ、そんな立場にいる人がそんなことをやっていたら、そら正義を気取ることが出来なくなるのもやむなし。
 というか最初は今回忍野扇の話かと思ったが、老倉の話だったのか。扇の話と思っていたから、2話目で老倉がまさか過去じゃなくて現在にまで出てきたときは、ちょっとびっくりした。
 「もてもてなのだろうか?/今時の若い者は……。/それともライトノベルの主人公か何かか?」という文章には思わずクスリと笑ってしまった。
 久しぶりに学校に来た老倉が同じクラスと判明して、彼女が宣戦布告のように阿良々木くんの席に座っていたので、阿良々木くんは自分は君にとって大した人間でないということを強調するためにわざとらしい台詞回しをしたうえに、出席番号2番を強調しているのには笑う。しかし学校に来た老倉の言動は阿良々木を糾弾しているが、その事情は彼が責任を負うべきものではないので、自分勝手な主張でイライラしてくるなあ。まあ公衆の面前でそんなことを言っているから、最後まで読んでも、精神的な安定性に書いていたという理由があり、また彼女に同情すべき事由はあるとわかってもこの行為だけはどうしても許せなかった。まあ、その行為があったから、かなり最後のほうまで実は彼女が既に死んでいて怪異となっているという疑念を抱きながら読んでいた。といっても本当に疑っていたというより、そう考えたほうが精神衛生上よいからそう考えていたという面のほうが大きいが。
 かつて阿良々木が通い、千石が現在通っている中学の名前が公立七百一中ということで、思わず八百一中でなくて良かったなんて考えてしまった。
 そして中学生時代の老倉と阿良々木のエピソードについて、忍野扇が「進研ゼミ中学講座の広告漫画みたい」といっているのは実に適切な譬えだ(笑)。しかし中学生時代のエピソードを思い出した段階で、阿良々木が彼女が僕を嫌うのもわかると理解を示しているのは、ちょっとそうした態度に出る理由まではいまいち納得できないが一応理解できても、ああも強烈に嫌う理由は理解できないから、その記憶を思い出して、納得して今まで自分が受けた強い嫌悪のことを忘れて彼女に素直に謝るような気分でいるのはちょっとなあ。この段階では最初に受けた悪印象のせいもあって、老倉の独り相撲で、彼女の事情については可哀想だけど、それで阿良々木に嫌悪を抱いて高1のときに突っかかってきていたのは逆恨みだとしか思えないので、その逆恨みに対して素直に反省しているのはちょっと自罰的じゃないと思ってしまう。こうしたことを自分の罪として自然に背負ってしまっているというのは、やはり彼はいまだに、彼自身の意識としてはともかくそうしたメンタリティについては、ヒーローなんだなと感じる。そう考えると老倉の主張がある意味ヒーローに対してなぜ助けてくれなかったという普通の人の不条理な主張/糾弾といった意味合いもあるのかな。彼女が不登校になってから、主義として正義を純粋に信じて実行するみたいなことをしなくなったから、その再び投降してきたと気に入った糾弾はヒーローに対しての糾弾であるが、実際彼は既に意識の上ではヒーローとか正義を純粋に信じる人間ではなくなっているので、その糾弾が突き刺さってこないでチグハグになっているという面白みもあるのかな。まあ、読んでいる最中にふと頭に浮かんだことを適当に書いているので、全くの見当はずれなのかもしれないが、というかその公算のほうが高いが。
 羽川は忍野扇の危険性、怪しさがわかっているので、彼女が阿良々木に同行するのを避けるため、羽川は自分が同行するといった。しかしどちらを選ぶか阿良々木に委ねられた後、阿良々木が忍野扇に丸め込まれそうになっているのをみて、「おっぱい触らせてあげる」といったところで一旦切れて。章が変わって「そして僕は現在、羽川と二人で老倉宅の前に到着していた。」とあるのは笑った、それまでのピリピリした空気が一気にほぐれた。そしてその後、真面目な話をしている最中にその約束はどうなるのかと考えていたりしているのも、それまでの流れとのギャップで笑う。
 一時期老倉が阿良々木の家に保護されて一緒に暮らしていた時期があるなら、それでも中学時代(というか別れて1年後)に彼女に、そして彼女のSOSに、全く気づかなかったというのなら、阿良々木にそうした態度をとっていた理由もわかる。ようやく腑に落ちた。だけど、久しぶりに学校に来たときに公衆の面前で誹謗中傷したのは許しません(何度でも言います)。
 老倉、家庭訪問時に話そうとして噛んだり、阿良々木にほっぺをつつかれたりした時の反応とか案外可愛らしいな(笑)。最後に好感度あげようとするなんてあざとい!
 老倉は「だけどさあ、お前のせいにでもしなきゃ、やってられないんだ、阿良々木、申し訳ないけど、私の悪者になってよ。もう駄目なんだよ、追いつかないんだよ、親を悪者にしているだけじゃあ」(P340)と自分の行為の不条理さについて、自覚していることは良かった。かつての記憶を忘れているので、彼女にとって阿良々木はどうしようもなさから生まれる絶望や怒りをぶつけるスケープゴートになっていたというわけか。それを彼が思いだしたからこそ、その怒りを向けることが出来なくなって、素直にこういった独白をしたのかな。それまでの態度を肯定することなく、自分の醜さを見つめて、つい先ごろまで怒りをぶつけていた阿良々木に対してこんなことをいえるなんて、その自分の中で正当化できなくなったらそんな弱みを出して彼に対してお願いをしてしまう、せずにはいられなくなるなんて、その長らく続いた愚行があっさりと揺らいで、崩れるなんて、ずっと自分を正当化せずに、態度を変えるような賢明さを持っていると知ったら彼女のことを嫌いにはなれないよ。