ある家族の会話


ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

内容(「BOOK」データベースより)
イタリアを代表する女流作家ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。舞台は北イタリア、迫りくるファシズムの嵐に翻弄される心やさしくも知的で自由な家族の姿が、末娘ナタリアの素直な目を通してみずみずしく描かれる。イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な一時期を乗り越えてきた一家の物語。

 この本を翻訳した翻訳家でもあり、名エッセイストでもある須賀敦子さんに多大な影響を与えた自伝的小説であり、須賀さんのエッセイの中でも何度か言及されていたので、以前から興味はあったんだけどようやく読了。しかし、こういう作品は毎日一定のペースで読むとか、あるいはまとめて読んだほうがいいのだろうけど、どうも時間が取れないというか、あまりこういう作品を読む気分でないときに読んでしまったから、数ページ読んで、しばらく空いてという風によくない読み方をして読んだので、いまいち各人物についてどのエピソードで出てきたのか忘れているし、読んでいる最中でも印象がボヤッとしてしたままだったので、いずれきちんと集中して読めるときに、読み返さなくてはな。冒頭数ページで、好きな雰囲気だったから、面白く読める確信があったから、十全に楽しめなかった後悔がなおさら積もる。
 『私たちは五人兄弟である。いまはそれぞれが離れたところに住んでいる。なかには外国にいるものもある。たがいに文通することもほとんどない。たまに会っても、相手の話をゆっくり聞くこともなく無関心でさえある。けれど、あることばをひとつ、それだけ言えばすべて事足りる。ことばひとつ、言いまわしのひとつで充分なのである。あの遠い昔のことば、何度も何度も口にした、あの子供のころのことばで、すべてがもと通りになるのだ。「われわれはベルガモまでピクニックに来たわけではなァい」あるいは「硫酸のにおいはなんのにおい?」というだけで、私たちの昔のつながりが、これらのことばや言いまわしに付着した私たちの幼年時代や青春が、たちまちよみがえる。どこかの洞窟の漆黒の闇の中であろうと、何百万の群衆の波の中だろうと、これらのことばや言いまわしのひとつさえあれば、われわれ兄弟はたちまちにして相手がだれだか見破れるはずである。これらのことばは、われわれの共通語であり、私たちの過ぎ去った日々の辞書なのだ。』(P29-30)家族だけに通じる特有の言い回し、というのは須賀さんのエッセイでも何回も言及されていたから知っていたが、なんかそういうものはいいよね。
 『父は大食漢だったが食べるのがはやくていつ食べたのかわからないほどだった。いつ見てもお皿はからっぽだったからである。そして自分では小食をもって任じていて、それを母にまで信じ込ませてしまった。その結果、母は父にもっと食べてくださいといつも拝むようにしてたのんでいた。』(P38)というのはユーモラスで好きなエピソードだ。
 しかし、小学校の課程は家庭教師で済ませたり、『お金が無くてインモビリアーリの下部が下落し続け、暗くてじめじめした家にいた時代を、「パレトレンゴ通り時代」と母は呼んだ。』(P33)お金が無かったときに住んでいた家でも、10~12部屋あったっていうんだから、かなりのお金持ちの家なのね。
 結婚後も、どんぶり感情だったから月末にはお金がなくなるような状況なのに、女中が来てくれていたというのだから、本当に上流階級の人ということがよくわかる。
 著者の幼少期に、兄の友人が作った詩の『雨が降る。緩慢に単調に。/緑の草に。黒い岩に。/遠くに漠然と物の形が/淡い霧につつまれて、見える。』という一節を素晴らしく思い、それと同時に、いつも見ているようなものが詩になることを知り、それを書いたのが自分でないことが悔しかったというのは、流石後に作家になるだけあるなあ。このエピソード結構好きだな。
 それと、父が推理小説を「退屈だ」なんていいながらも、よく読んでいた。しかも、「少しでも軽薄さから救われると考えていたの」かその多くは外国語で読んだという、その自分をも推理小説を好むという事実を、外国語のものに手を出してごまかしながらも読んでいたというのは、逆によっぽど好きなんだな、と思って、なんだかほっこりする。
 戦争が間近になってから反ファシストの運動などについての記述や知人や兄弟がそれに関わっているという描写も増え始めるなあ。しかし、父はファシストに逮捕されて大満足のていだった、というのは、まあ、その期間が数週間だったこともあるから、わからんでもないけどちょっと可笑しみを覚える。
 兄のマリオ、『彼の評価する新しい小説はほとんどどれもレジスタンスをテーマにしたフランスの作品だった。しかしそれらの評価についても以前より慎重になっていた。というよりは以前のように突然身も心も投げ出してなにかに夢中になるということがなくなり、自分の好みについても慎重になっていた。しかし、人をこきおろしたり糾弾したりする際の慎重さはあいかわらず皆無で、昔から憎悪の対象としていたものには抑制の効かない暴力をもって対した。』(P194)というのは、そうした、自分の好みについて狭まってきて、夢中になれるものが減るのに対して、苦手なものを苦手だからと切り捨てる感じはよくわかる。個人的には、小説を面白く感じて、多く読み始めるようになってから、量をそれなりに読んでいくと、夢中になれる小説が少なくなって、逆に苦手なものがはっきりとわかって、読むジャンルが狭まっていくということとパラレルになって、この一節はすごく印象に残った。
 『母から手紙が来た。母もどうすれば私たちを助けられるのかわからず、おびえきっていた。そのとき私は生まれてはじめて、だれももう自分を守ってくれることはできないのだと、自分で道を切りひらく以外方法はないのだということに気づいた。そのときはじめて私の母にたいする愛情の中には、私が困っていればかならず母が助けてくれるという確信が深く根ざしていたことに気がついた。そしていま私の中には、それまで自分が持っていた保護への願望と期待がさっぱりと消え去ったあとの純粋な愛情だけが残っていた。それだけではなく、これからは、自分が母を守り保護してあげなければという考えが私の中に芽ばえた。母も年をとって暗い気持ちで心細い日を送っているのだと私は思った。』(P211)この劇的な心境の変化についてのエピソードは、なんかいいなあ。
 ラストの父と母の会話での締めもいいな、好きだな。