女中譚

女中譚 (朝日文庫)

女中譚 (朝日文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
90歳を超えるばあさんは「アキバ」のメイド喫茶に通い、かつて女中をしていた若かりし頃の思い出にふける。いつの世にもいるダメ男、わがままお嬢様、変人文士先生につかえる、奥深い女中人生…。直木賞受賞作『小さいおうち』の姉妹小説。

 同じ元女中が語り手の小説ということもあって同著者の『小さいおうち』と同じような雰囲気を期待していたから、主人公のすみの悪意には面食らってしまう。まあ、こういう悪意や嗜虐心がなければ、強かで人間的(というか気風のいい姐さんって感じ)というキャラクターは、主人公だから何とか見れるけど、脇キャラだったらイライラしどおしだったろうな、まあ、主人公でも好感は全く持てなかったけどさ。
 「ヒモの手紙」、弱く人の悪意で落ちた人間に更に鞭打つような悪意にはゾッとする。金で人を売るというのもゾッとするが、悪意で人を売るというのは尚恐ろしい。話しぶりには後悔があまり感じないが、現在、多くの人にそんなことを話しているということは、懺悔したいような気持ちはあるんだろうなあ。
 「すみの話」かつて女中として勤めていた伊牟田家のイルマ婦人へ好感を持っていたから、戦中や戦後に少し食べ物を融通したりしていたなど、好感を持っている人には彼女も優しいのね。しかし萬里子の非日常への憧れは、その後の歴史を思うと皮肉だ。そして、戒厳令の夜の萬里子と交わり、なかなかシチュエーションは幻想的。しかしすみは、萬里子といいヒモの男(彼女の、ではないが)といい、厄介な人というか個性的な人というかに気に入られる性質みたいね。いや、あのヒモと並べるのは、萬里子に失礼か。
 「文士のはなし」現代のパートで、秋葉原通り魔事件のことが描かれているとは想定外だったからびっくりした。しかし、過去の話で「ヒモの手紙」の男が殺され、それについて当時のパトロンだった男が関与していたことを自ら告白して懺悔してきた、糾弾されたかったのを、本当にそんなに興味が無いというのもあって、恨んでいませんといったのは、まあ、そんなことを急に言われても困るのが本音だろうが、そのパトロンの男にとっては、彼女がその男とそれなりの付き合いがあったことで、彼女に告白し、糾弾され、恨まれることが啓示のようにおりてきて、そうされることで始めて自らの傷が癒されると感じたのだろうに、それをいってやらないのはある意味、知り合いだった男を殺されて何も思わないことよりも残酷だ。そして、ラスト近くに小説家の先生が言った「お前は見方によっては、今の世に謂う一種の強者かもしれないね」という台詞は、彼女の非常に色々と割り切る性格やら、感傷とは無縁に見える性質をよく言い表しているような言葉なので(他にもまだいろいろ含意がありそうだけどね)、印象に残った。