偏愛記

内容(「BOOK」データベースより)
2008年、モスクワ・クレムリン宮殿最大の広さと威容を誇る純白の大広間。ロシア語とロシア文化の普及への貢献を理由にメダルを授与されたわたしは信じられない思いだった。かつてソ連留学中にスパイ容疑で尋問を受け、死ぬほどの苦しみを味わったわたしが、なぜ―。ドストエフスキーの作品と生涯に、自身の葛藤を重ねた自伝的エッセイ。


 時系列がばらついているのに、よどみなくつながっていく感じはいいね。
 同じシンポジウムに出た、精神科医の方に、腐った血を口にするという奇妙な夢について語ったところ、その行為に象徴的に示されているのは『父殺し』と言われて、驚き、それと同時に「罪と罰」そして「カラマーゾフの兄弟」という2つの小説に惹かれる一因がわかった場面はなんかすごく劇的で好き。そして、その帰り道に「わたしが『罪と罰』を読みはじめたのは、実は、抑圧的な父を驚かしてやりたいという子どもっぽい野心からだったんです」(P41)ということを言い忘れたことを思い出した、という締めまで含めてね。
 しかし中学生の頃に「罪と罰」をはじめて読んだときに、『「大地」の、つまり人類の見えざる輪から切り離されることの何たるかが理解できた。』(P42-43)ほどに主人公に深くシンクロしたという体験はため息が出るほどうらやましい。一度でいいから、そこまでのめりこんで小説を読むという体験がしてみたいものだ。
 『ロマンティストには、総じて、他人の気持ちを推し量れない勝手な人間が多いという。たとえばチェコの亡命作家ミラン・クンデラは、ロマンティストほど「自分の感情以外の信条に冷淡な者はいない」とまで腐している。しかしそれは間違いだ。彼らロマンティストは、多くの場合、自分の抱える傷とまともに向きあわないため、そう、自己防衛のために「ロマン」を夢みるのである。』(P63)自己防衛!なるほどね、そう考えると、わからんでもない、ちょっとグサっとくるけど(笑)。
 疫病の夢『ラスコーリニコフは警察署に自首して出る前、センナヤ広場の中央で「快楽と幸福に満たされながら」大地にキスをする。つかのまながら、思いもかけない高揚の一瞬だった。しかし彼はその後ふたたび無関心の闇に呑みこまれ、ほとんど罪の意識を感じることがなかった。その彼にあらためて神の「恩寵」のように訪れてくるのがこの夢というわけである。』(P92)だいぶ前に読んだということと読解力が低いというのもあって、広場のシーンでラスコーリニコフは新生したのだ、と思っていたが、その後ふたたび罪悪感を覚えなくなったときにみた疫病の夢で再び変化したとは知らなかった。というより、たぶん、それを読んだ当時の自分はその夢をダメ押しだと思ってたんじゃないかしら。