狙うて候 上

狙うて候 (上) (実業之日本社文庫)

狙うて候 (上) (実業之日本社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
時は幕末、薩摩の地に生を享けた村田仙次郎(後の勇右衛門、経芳)は、荻野流砲術師範に入門、たちまちにして頭角を現した。藩主・島津斉彬に取り立てられ、西洋流射撃法と新銃の開発に取り組むが、斉彬の死と維新の風が彼の行く手を阻む―名狙撃手にして日本初の国産近代的小銃「村田銃」を開発した技術者・村田経芳の生涯を描く新田次郎文学賞受賞の傑作巨編。

 「翔ぶが如く」の序盤で村田が銃の開発者にして、銃の達人だったということを知ってから、この本を読みたいと思っていたが、「翔ぶが如く」を読み終えてから読もうと思っていたが、思ったより大分「翔ぶが如く」を読むのに時間がかかってしまった。でも、ようやく読了。上巻では、まだ幕末を扱っているので、一番興味があったヨーロッパで銃の名人っぷりを発揮したエピソードはまだ見られないが、その分下巻が楽しみ。
 冒頭にいきなり現代の著者がこの本を書くことになった契機、しかもスペインでの出来事が書かれるからちょっと面食らう。しかし、スペインで村田が描かれている伝記漫画を読んで、村田について書く切欠となったというのは面白い。
 村田は子ども時代身体が弱かったということや幕末の1857年あたりから既に兵学の蘭書を読んでいたというのは少し意外だった。
 具足は虫除けに樟脳が使えないので、虫が嫌うタバコを隙間に詰めて鎧櫃に保管していたとあるが、タバコの伝来以前はどうしていたんだろうかと少し気になった。
 斉彬、先代の父の動員のように浜辺での踊りではなく、関狩という獣の駆除と戦備えを行うことを目的とした動員したことで、薩摩の武士たちは喜んだというエピソードは、薩摩武士の「そうでなくちゃ」と思いや気分が高揚しているさまがありありと想像でき、なんかいいな。
 村田が的の真ん中に当てられた弓に当てられるかと言われて、実際に正確に一直線に玉を貫通させたという挿話で、そのあとに『「箭を縦断して金的を貫き……」/と『日本人命題時点』村田經芳の項にもこの場面が書かれているから、多分本当の話だろう』(156)と書かれていることに思わず笑ってしまう。
 松代藩の甚助は完全密封型の茶筒を作る修行中の身であったが、銃を扱う優れた技術を持っていたとは、その2つのイメージが重なり合わなくて初見で少し笑っちゃった。
 日本人が火縄銃に固執したのは、命中精度と構造が単純で故障が少ないという理由。
 村田と斉彬の初邂逅のシーンはいいな、こういうの好きだわ。しかし、『先代の斉興公が贅沢三昧に暮らしていた頃、磯には多くの遊興施設が建てられたという。』(P231)というのは、なんとなく倹約家のイメージがあったので意外だ。
 斉彬が亡くなり、洋銃がおろそかにされつつあった時に、乱暴者であった清五郎に洋銃の扱い方を教えたら、洋銃で皆中するようになり、そのことで銃床の有用さを知らしめたというエピソードはいいね。