旅をする裸の眼

旅をする裸の眼 (講談社文庫)

旅をする裸の眼 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
ベトナムの女子高生の「わたし」は、講演をするために訪れた東ベルリンで知り合った青年に、西ドイツ・ボーフムに連れ去られる。サイゴンに戻ろうと乗り込んだ列車でパリに着いてしまい、スクリーンの中で出会った女優に、「あなた」と話しかけるようになる―。様々な境界の上を皮膚感覚で辿る長編小説。

 ドイツ語版も多和田さん本人が書いて出版されたという作品だから、そこで興味を持って買ったのはいいけど、それからたぶん二年ぐらい積みっぱなしだったのでいい加減読まなきゃと思い、少しずつしか読み進められなかったけどようやく読了。
 まだ東西に陣営がわかれていた頃に、ベトナムから、「アメリカ帝国主義の犠牲者のナマの声」を聞きたいという要請から、作文が得意で声が良く通る主人公が東ドイツの全国青年大会に行くことになった。西ドイツから来た大学生ヨルクにほとんど拉致される。
 しかしヨルクという人は、そうやって半拉致かました上に、出会った翌日に帰りたいと言いったら「君のお腹の中には僕の子供がいる」なんていって彼女を留めておこうとしているが、自分の友人に主人公を紹介したりと、彼の意識では普通に彼氏彼女をやっていると思ってそうなのが子供っぽいというかちょっと理解しがたいところだ。しかし、一旦別れた後に再び連れ戻そうとして彼女の元に現れるのは、彼の性質ともあいまって、なんとなく「ロリータ」のハンバート・ハンバートを連想させる。しかし再開して連れ戻そうとしたときに、「パリの映画館と離れたくないのよ」という主人公の返事は素敵だ。
 しかし東独のホテルでロシアから来たロックバンドのステージがある、というのを見ると、やはりロックバンドはアメリカ、そして西側のものだから、東側にもそうしたバンドとかが普通にあったということにはかなり意外感がある。
 売春するために街角に立っていた人を、お金を払ってアパートに行っているから、お金を払ってとまるところを紹介してくれる人だと勘違いして、その後長く世話になるマリーにお金を渡して、そういう行為をする寸前まで行くというエピソードには少し笑いがこみ上げてきた。
 主人公が見ている映画についての描写は、台詞は主人公が理解できないのだが、その映画についての説明や解釈がとても面白い。
 パリでは亡命したベトナム人で弁護士の妻である愛雲の家に厄介になっているが、まあ主人公が西側にいる理由が相手にわかるはずもないから、亡命したけどいまだに共産主義的な残滓が残っている程度で、本当に共産主義者だとは思っていないというそうした微妙なすれ違いに少し可笑しみを覚えた。
 旋鈴、なんか少女マンガにでてきても不思議じゃないくらい素敵な人ね。その人に求婚されたということで、ようやく西ドイツにつれてこられてから、不法滞在者として、いろいろと迷走していた彼女もようやく居場所を見つけられるかと思ったら、なかなかそう上手くはいかないものだね。
 一旦出国して結婚してから、帰ってくることで、不法滞在状態でなくしようとしたがその試みが失敗してから、その後も運からも見放され続けているなあ。