現代語古事記 神々の物語

内容(「BOOK」データベースより)
「信じられないほど読みやすい」「はじめて最後まで完読できた」「今までで最高の現代語訳」との声が続々!あの竹田恒泰氏が日本最古の書に挑戦、神話編から初代・神武天皇までを非常にわかりやすく現代語訳し、旧皇族の視点による独自の解説をほどこした、これまでにない現代人のための古事記。日本の神々の息吹が、初期の天皇たちの躍動感が、リアルにダイレクトに伝わってくる一冊!


 以前から現代語訳の「古事記」を読んでみたかったが、なかなか読む機会がなかったが、この作者さんにも少し興味があったので、今回文庫化されたのを契機に読了。単行本版をそのまま文庫化したものかと思ったら、この本で収録されているのは単行本の前半部なのは少し残念だが、そのうち後半部も出そうな感じもするからいいけど。
 ある程度重要な神様については太字で表示されていることで、全部覚えなきゃと言う強迫観念が薄れてよかった。まあ、はじめにで、「太字の名ですら覚えなくても構わない」とあるように太字の名すら覚えなくても、物語追ってく分にはあまり困らないしね。あと、とりあえず、何代もの神の系譜が一気に書かれるときは覚えなくても全く差し支えないということがわかった(笑)。しかし書かれた経緯的に仕方ないのだろうが、氏族の祖となる神々がたくさん出ているから、やたら名前ばかり続いて読みにくい印象になっているなあ。
 しかし序盤は、次々と名前が登場しては直ぐ消えていき、というのが繰り返されるからなんだかダイジェストっぽく感じてしまうなあ。
 伊予国を愛比売(えひめ)と呼ぶって、そのころから呼び名の一つとしてあったのか、それと「比売」って女性的な名で呼んでいたのか。まあ、愛媛に限らず他の多くの島についても、男性的な名と女性的な名がついているけど。
 神避る(かむさる)、神が亡くなることをこういうのか、なんか中二的な格好よさがあって素敵(笑)。また天皇が亡くなったときは崩る(かむあがる)ともいう。
 イザナキが一つ火を灯しイザナミの変わり果てた姿を見てから忌み嫌われるようになり、現在も神棚や仏壇で原則として2つの火を灯す。そして、夜に一つを灯すとあの世のものが見えると考えられ、「こっくりさん」では一つ火なのは、あの世との交信の手段となるからというのは全然知らなかったが面白いな。
 死後の世界とか異界が複数あり、黄泉国と根之堅州国は別物というのは驚いた。あと葦原中国(この世界、日本)と高天原は同じ秩序の元にあり、葦原中国高天原の一部のは全く知らなかった。
 しかしヤマタノオロチに娘が食われていたやつもまた神なのか、その神も正体が分からない怪物で、スサノオもだまし討ちのような形で決着をつけたって、ヤマタノオロチってどんだけ強いのか、そしていったい何から発生したのか書かれていないから不思議に思えるし気になる。
 大国主神系図スサノオの6世孫というのは、当時皇位継承権があるのは5世の皇子までだったということが反映されているというのは、ああ、それってそういうことだったよね、そういえば、以前どこかで呼んだことがあったがすっかり忘れていた。
 稲羽の素兎(イナバのシロウサギ)の話って、大国主神大国主神という名前になる前だが)が主役の神話だったと今回はじめて知った!今までてっきり民話かなにかだと思っていた。そしてウサギが騙した相手はワニであるが、日本にワニはいないので鮫か、あるいは空想上のもの。しかしそれなら、普通の爬虫類のワニが日本語でワニになった理由ってなんだろ、動物のキリンと伝説上の麒麟みたいな関係なのかな。
 大穴牟遅神大国主神)が兄たちに2度殺され、一度は悲しんだ母が神産巣日之命に頼み生き返してもらい、もう一度は母が自らの力で生き返らせた(しかしどんな方法か書いていない)、本文でも著者が「とにかく凄い気合です」と書いているが、自力で出来るなら最初から自分でやれよと思わず突っ込みたくなってしまう(笑)。
 あと、三輪山に鎮座する「御諸山に座(いま)すの神」というのはすごいインパクトのある名前だなあ(笑)。他に大物主神ってちゃんとした名前もあるようだけど。
 十掬剣(とつかのつるぎ)、『帯びていた十掬剣を抜いてその喪屋を切り伏せ、足で蹴飛ばしてしまいました。(中略)その斬るのに用いた太刀の名を大量といいます。またの名は神度剣といいます』(P138)とあるが、十拳剣と十掬剣って読みが同じだから、同じものと考えていいんだよね?そうだとしたら、その「とつかのつるぎ」それまである剣の名前だと思っていたのだが、ここを見ると剣の種類のようにも見えるから、どちらなんだろう。
 高天原統治機構が合議で重大事を決めているところから、当時の朝廷もまた合議で重大なことを決定していたという説明には素直に納得できる。
 「古事記」を見ると、神様は葦原中国のことがよく見えていないことがわかると文中に挿入されている解説に書かれているのは、ちょっと今までなんとなく思っていたことと違うので少しショック。
 考古学の成果によれば、古墳時代を通じて戦争の形跡が見られないことから、国譲りが史実である可能性が高いというのは純粋に驚く。あと前方後円墳が作られたのが3世紀初頭ということでヤマト王権もそのころには成立していたというのはなんか思っていたより早いな、空白の4世紀云々というから、4世紀ごろ成立だと思っていた。