終物語 中

終物語 中 (講談社BOX)

終物語 中 (講談社BOX)

内容(「BOOK」データベースより)
神原駿河は、私の姉の娘だよ―眠らせておくには、惜しい才能さ”“何でも知ってるおねーさん”臥煙伊豆湖。彼女が阿良々木暦に課す、終幕へ向かうための試練とは…?四百年の時を経て、蘇る武者―これぞ現代の怪異!


 案の定というかなんと言うか、中巻が出て、これでシリーズ16作目。けどようやく、あと2冊で完結と終わりが見えてきたなあ。でも、いままでもガンガンと巻数が嵩んでいったから、終わった後にさらにエクストラシーズンとか言ってまた出るのではと若干疑心暗鬼になっていることや、シリーズの巻数がどんどん増えていったこともあって、きっと終わっても寂しさは感じないだろうなと思ってしまっていることが寂しい。
 鎧武者に阿良々木が声を奪われたときに、まっさきに阿良々木くんのレーゾンデートルが!と思ってしまった(笑)。だけど、奪われて声を失ったのは一時的で、その後直ぐに普通にしゃべれていたので良かった。
 そして阿良々木が、下ネタばかり言う神原に対して『そんなことばっかり言っているから、お前が主役の話、飛ばされたんだよ。』(P60)とアニメのことを言っていたが、本当にそんな理由で飛ばされたの(笑)。
 自殺しても死に切れず、400年かけて復活したとは、本物の吸血鬼の不死性はどうやら想像以上にとんでもないようだ。
 臥煙さんはこの街に来た専門家たちのことを「ひと癖もふた癖もある」と評しているので、そうした専門家というのは全員が全員、キャラが立っているようなやつらというわけではないのね。しかし影縫は、臥煙さんですら制御できない、「一生髀肉の嘆を託っていてもらいたい」といわれるほど特殊な人間だったのか。
 神原の理解力かなり良くて少し驚いた、普段の言動はアレだけど頭は相当いいのね、彼女。
 そして阿良々木がおまわりさんの巡回ルート・パトロールのタイムテーブルを暗記しているという衝撃の事実にはビビるわ。彼はいったい何をやらかそうとしてそんなものを覚えたのか。
 神原の頼みでBL小説を書店で買ったとき、中和として(同性愛者でないアピールとして)臥煙さん似の女性の写真集を同時に購入したが、その時に斧乃木の足跡が頬についていたというのは色々とレベルが高すぎる。しかも平日の昼間だということだから、よりそう思われていそう。
 そして臥煙さん似の女性の写真集を、臥煙さん本人に見られて『こういうのはおねーさん、きみが思っている以上に本当に引くから本当にやめて』と、本気で引かれていたのには笑った。それと同時に、何でも彼女の掌の中という全能で、不気味な人だったので、その本気で引いている姿を見て、彼女のことをはじめて可愛いって思ったわ(笑)。
 神原と忍の言い争いのシーンは、阿良々木は神原の主張を正論といっているけど、ひとつの主張で彼女の経験から生まれた、彼女の考え、思想ではあるが、一般的に正しい答えというわけでは全然ないから正論というのは違和感があるな。普通は、どちらが正論かといわれれば、忍のほうを正論だと思うし。ただ、正論が複数あるという前提なら、神原の主張「も」正論といえるが。結局忍が言い負かされる形になったのは、神原の熱量に負けたというだけの話で、筋が通っているか、正しいかとは別の話だしね。個人的に、そうした誰も幸せにならない選択でも、真正面からぶち当たれという考え方は苦手だからなおさらそう感じるのだが。自分の主張を述べて、最後は忍の判断と考えているからぎりぎり許せるが、自分の考えを強制して、他人に最後まで押し付けようとするようなら、シリーズの終盤にもなって神原のことが嫌いになるところだったわ(笑)。
 結局この巻はよくある、動物と人間を隔てるのは向上心だ、とか、ヘーゲルマルクスの人間観のように、静止していることは堕落することであり『たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものになること」』(「寝ながら学べる構造主義」P28)という、前進し続けろという話でしょ。あとがきに、はじめはこれを含めて3編を束ねて1冊にしようとしていたとあるが、そういう意味でテーマはシンプルなので若干間延びしていた印象がある。
 それに個人的には停滞、安定にこそ幸福を見出す性質の人で、こうした前進し続けろ、上昇し続けろという圧力は嫌いだから、あまり楽しめなかったな。
 鎧武者を構成していた雑多な怪異の中に、椎茸の怪異という面妖なものがあってちょっと笑った。