いとま申して 『童話』の人びと

内容(「BOOK」データベースより)
父が遺した日記に綴られていたのは、旧制中学に学び、読書と映画を愛し、創作と投稿に夢を追う父と友人たちの姿だった。そして彼らが夢を託した雑誌「童話」には、金子みすゞ淀川長治と並んで父の名が記されていた―。著者の父の日記をもとに、大正末から昭和初年の主人公の青春を描く、評伝風小説。

 久しぶりに北村さんの本を読んだ。本屋で、大正から昭和初年という個人的にすごく興味がある時代が描かれていると、裏の内容紹介を見て購入した。あと、評伝風小説と書かれていることもあって、ベッキーさんシリーズみたいにその時代を舞台とした小説かと思ったが、実際の北村さんのお父さんの日記を基としてその時代を描いたもので、父の日記からの引用やそれについて北村さんが場所や人名について歴史的な解説みたいなことをしていている。もちろん「評伝風小説」なんだから日記の記述から小説風に膨らませているところはあるけどね。この本は、当時の日常の雰囲気が味わえるのですごく読んでいて面白かった。
 また父は副題にもある「童話」という雑誌に小説などを投稿していて、その後同人誌などでも創作をしていた。そのような副題からわかるように、父の青春時代とともに戦前の児童文学史についても語られている。しかし父の青春時代に関わった、あるいはわずかに交錯した、つまり日記に登場している作家や詩人などに関しても結構ページが割かれている。
 父が生前に辞世の句を作って北村さんに見せたが、辞世に自ら注をつけていたというのはちょっとくすりとくる。というか、最初はまるっきり小説だと思って読み始めており、北村さんの小説は女性主人公が多いから、一人称がわたしということもあって、女性だと思っていたので息子とあってちょっと驚いた(笑)。
 『講釈師は落語家に比べ、《先生》と呼ばれて格式が高かった。』(P25)というのは知らなかったし、落語家は現在でもいるが講釈師は現在ではいなくなった職業であるので意外だ。
 しかし父が育った家は裕福な家だというのに、4人の兄のうち3人が肺病で亡くなっているというのだから、当時の肺病がいかに恐ろしいものだったのかがよくわかるよ。解説に「肺病が死病の時代」とあるように当時は現代と比べ物にならないほどに、死のリスクが高かったのだと強く感じる。
 試験前に『学校は俺には負担が重過ぎる。/俺は落第するかもしれない。/私は今、非常に嬉しいんだ。(中略)「その悲痛の中から、/偉大なる熱が生まれる然して/その嬉の中から芸術は……?』(P84)このあとに北村さんの突っ込みで「逆説的な居直りも、ここまで来るとさすがに無理がある。自分を納得させられなかったものか、文章は≪?≫で止まって」いるとあって非常に笑った。他にも『いよいよ十日になりやがった。もうかうなると糞度胸が定マル。いくら出来なくたつて、いいや。出来るだけやれよ!!』(P122)というように開き直ろうとして開き直りきれていないことには非常に共感できる、現在と変わらんねえ(笑)。
 他にも、創作したいと思いつつ「しきりに、何か書きたいとのだけど、テーマが無いんで悲観しちまう。」と日記に書いてことなんかみてものは、ああ現代と同じだなとも思う。あと根拠の無い自信とかを見ていると、なんつうか、大正・昭和のワナビっぽいな。
 あと『戦前の学生生活を描いた本には、よく美少年が出て来る。校内に女性が居ないわけだから、それだけ美貌が目立つのだろう。/そして昔は、こういう当人が≪男≫に対し、≪美少年であること≫を意識していたように思える。実際に手を握ったりはしなくとも、心の上では女性的なのである。美を力として持ち、気を持たせる。』(P215)というように、当時の美少年がそういう挙措をしていたというのは驚いた。
 しかし解説読んで気づいたけど、そういえば冒頭に登場した≪その人≫がこの本には登場してきてないな、だが解説の最後に「本書の続編を読みたくなる」とも書いてあるので、そのうち続編が出てそちらで明かされるのかな。