自壊する帝国

自壊する帝国 (新潮文庫)

自壊する帝国 (新潮文庫)


ソ連日本大使館の外交官・佐藤優は、いかにして“ラスプーチン佐藤”と呼ばれるようになったのか?

ソ連邦末期、世界最大の版図を誇った巨大帝国は、空虚な迷宮と化していた。“国家とは、かくもあっさりと滅びてしまうのか!?”そして、“混沌の中で人は何に従って生きていくのか?”――ソ連邦が崩壊していく一部始終を内側から見つめ続けた著者が、卓抜した調査力の全てを投じた迫真のインテリジェンス・ノンフィクション!

(新潮社ホームページ:ホーム > 書籍 > 書籍詳細:自壊する帝国 より)


 4年ぶりに再読。相変わらずとても面白かった。佐藤さんが自身の体験を語っている本はどれも面白くて外れが無いから素敵だ!去年発売した「同志社大学神学部」も自身の体験を描いた1冊であるからきっと面白いので、文庫化するのは2年後くらいだろうけど、文庫化するのが今から楽しみだ。読み終えたら、米原さんの「オリガ・モリソヴナの反語法」が再び読みたくなってきた。しかし読みたくなって探したら、本棚のどこにあるか思い出せずに、15分くらい探しちゃった、そろそろ本棚も整理しないとなあ。
 佐藤さんは大学で組織進学を学んだが、組織進学とは『キリスト教と他の宗教や哲学を比較して、キリスト教がいかに正しいかを証明し、他者に説得する「護教学」という学問の現代版である。/この学問は、まず、正しい結論があって、その結論に向かって議論を組み立てていくというものだ。だから、真理を探究していく一般の学問とは性質がかなり異なる。』(P25)というのは初読時には、宗教に疎いせいもあるだろうが、こういうものが現代にもあるのかと驚いた。まあ、神やキリストが前提としてあるのだから、当然のことだろうけど、そうしたものは中世的なイメージがあったので意外感があった。
 佐藤さんが外務省を受けようと思ったのはチェコに行くことができ、研修しながらそこで勉強が出来ることに魅力を感じたからということだが、外務省側は研修終了後退職されたらかなわないから、またチェコ語の研修者は特に離職率が高かったため、ロシア語研修を命じられたということなので、同じように考えた先人たちのせいで狙いを見透かされ、別言語(ロシア語)の研修に回されたというのは面白い(笑)。
 逮捕されたときに、外務省は「悪行」の調査を佐藤さんの友人にやらせたという話をしたときに、ロシア人がソ連時代の共産党中央委員会やKGBと同じだといったというエピソードは、そうした行為はそうして踏み絵を踏ませることで、その友人と佐藤さんの縁を切ったり、あるいはそうして「悪行」を告発させることで、その告発者が自分の行為の合理化のために、友人である「罪人」に対して、そうされて当然だったと思わせたいという狙いもあるのかな。
 ロシア語を勉強するために英国に住んでいたとき佐藤さんはモペット(原付)を使用していたが、当時ベーコンズフィールドで、原付を乗っていたら好奇の目で見られるものだったのに、半年経つと駅で10台以上並ぶのを見かけるようになり、『中古車店の店長から「あなたはこの街にモペットを普及させた」と言われた』というのはくすりとくる。
 共産圏の政府は「悪書」を廃棄せずに、西側に輸出して、物々交換で科学技術所や辞書を入手していたというのは面白い事実だ。
 チェコから英国に亡命していた人の『小民族に生まれ、僕たちは結局、運がよくなかったのだと思う』(P47)という言葉は重たく悲哀に満ちている。
 その後の活躍や人脈形成を思うと、科学的無神論学科の授業を受けることができたということは、非常に大きな転機だったようだな。しかし初めてその授業に出たときの、サー者の発表は、大学の公式の場で許される範囲を超えていたから、教授は叱責することで保険をかけておいたというのは、こういう禁止されていることだけど演技を加えることで罰を受けないようにしているというのは、現在ではないことだから面白い。また科学的無神論学科は反宗教活動の指導者を養成するためのコースであるが、宗教をまともに勉強できるのが科学的無神論学科くらいだから、信者も多く教授の半分以上が信者というのは皮肉。
 あと論文で、欧米ではこのような感化できない思想潮流があるとまず書き、そのあとその思想についてできるだけ丁寧に説明し、その後、それがいかにけしからんかをレーニンなどの引用をちりばめつつ説得力の内容に書くことで、その思想について紹介するというテクニックが広く使われていたということだが、そうした風に装えば看過されていたのか。
 セックスの回数の理想は週16回というのは、何度見ても冗談にしか聞こえない数だ、そして「毎日一回、手抜きをせずにセックスをしていれば、パートナーも大目に見てくれるが、それがこなせなくなると恋人や妻には浮気をする権利が生まれる」というのは、最低ラインでもかなり高いことには驚くよ。しかし保養地での浮気は夫婦間でも黙認されるというのは(これは流石に全階級じゃなくて、エリートだけだとは思うけど)、共産主義って言っているけど、そんなところは昔の上流階級みたいだな(イメージだが)。
 サーシャの情勢分析力や現在どのような人物が必要とされているかを見定める能力、そして今後の歴史の流れを把握する力、そのようにまあいろいろあるけど要するに本質を掴み、それを説明できる能力はすさまじいものがあるな。『人間的品性は本質的な問題じゃない。誰がソ連を壊すのにいちばん効果的な役割を果たすかということだ。ゴルバチョフのような本質的な馬鹿者や視野の狭い沿バルト三国民族主義者が最高の役者なんだ。もっと頑張ってもらわなくては。今は徹底的な破壊を考えることだよ』(P361)という台詞なんかは、品性や能力とその時代において与えられる影響力の大きさは違うとごく当たり前に認識してそれを利用できるのは流石。
 そして佐藤さんはサーシャについて、『サーシャはカリスマ性がある。ただそのカリスマ性は、エリツィンのように広範な大衆に訴える性質のものでなく、サーシャの周辺にいる、要するに顔が見え、直接言葉を交わす人々を強く惹きつけるカリスマ性だ。サーシャと真剣に付き合ったものは誰でも、その磁力で人生に狂いが出てくるのである。私もその一人だ。』(P262)と言っている。しかし「私のマルクス」で大学時代に同級生の斉藤君に『君のカリスマ性は危険だと思う。』といわれ、ロシアでも『君には独特のカリスマ性がある』という指摘を受けていたと告白しているから、ある意味似たような性質なのね(笑)。
 『ソ連時代にも、麻薬の密売、管理売春、恐喝などを生業とする「マフィア」は存在した。』(P184)というのはたいそう意外だ。まあ、民警や共産党とズブズブだったようだが。
 『マサルKGBが怖いというのは神話だよ。あいつらはテクノクラートだ。怖いのはKGBではなく政治だ。政治が秘密警察をどう使うかということだ。(中略)現状は帝政ロシアの末期に似ているよ。一九〇五年の日露戦争後の時代だ。当時のオフラナ(秘密警察)はKGB異常に優秀だった。レーニントロツキースターリンの動向も正確に掴んでいた。ファイルに記録が山ほどある。どんな陰謀を企てているかもオフラナは全て掴んでいた。それでも革命を阻止できなかった。今のKGBはオフラナと同じだよ』(P202-3)政治がそうした行為をつぶす選択ができないならば、KGBでもオフラナでも何もすることができない。ある意味当然のことだが、現状KGBが怖くないというのはイメージもあって少し驚くよね。
 神父が子供を作ることは現在でもそれほど珍しくないが、子供はいない建前になっているから、その権力や利権のある地位を子供に与えることができないという効力があるというのは、神父が子供を作ってはいけないというのが実態としてあまり保持されなくてもそうしたところで効力があるということは思い至らなかったので感心した。
 ポローシン『モスクワ大学時代の無神論者からキリスト教徒への転向、その後の反体制運動への関与、政治家への転身と政治との決別、今回のイスラームへの転宗という、これまでの経歴を突き放して見るならば、先見性もさることながら、ポローシンのなかには常に自己破壊の衝動があったことは、否定できないだろう。』(P330)ということだが、ものすごく激烈な変転だな。
 親しくなった要人との付き合いではいることが出来た「オクチャーブリ第一ホテル」の売店には、ソ連の要人の連絡先が載った電話帳があり、それを買った。その『電話帳をもとに私は日本のジャーナリストや他国の外交官に対してソ連要人の連絡先に関する情報を提供したが、これはたいへん感謝された。多くの人に「なぜ佐藤は表に出ていない要人の連絡先を持っているのだろうか」と不思議に思われたが、種明かしは簡単で、電話帳を持っていたからである。』(P353)こうした、とぼけたオチのつけかたは好きだな(笑)。
 リトアニアで一触即発の状況でソ連派と独立派のメッセンジャーを務めたので、勲章を貰ったが、その重要性や感謝されたことについて説明していなかったから、名にやったんだと逆に詰問されたというエピソードは印象に残っていた。
 妻が少し出てくるけど、あまり家庭のことについて描写されないのは何でだろうと思っていたら、離婚していたのね(現在は再婚しているようだが)。そのことをすっかり忘れていたよ。しかし離婚せず、モスクワでの家庭生活も書かれていたらきっともっと面白かったのだろうなと思うと佐藤さんが離婚されたことが悔やまれる。
 公衆電話用の小額コインが当時不足していたので、ゴルバチョフ執政不能の連絡があってから、まずコインをキオスクで額面の100倍の値段で交換して(まあ、闇の値段でも50倍程度に高騰していたようだが)コインをかき集めて情報提供者の記者に渡したというのは、目端が利くねえ。それに、その情報提供者が他の情報提供者に硬貨を分けることで更なる情報が得られたというメリットもあったようだし!
 佐藤さんが権力を失った守旧派とその後も付き合いを続けたことで、後日ロシア国内で非主流派の政治力が増してきたときに、日本大使館は他の主要国と違い、それら野党勢力への稀有な人脈をもつことができたことなので、それを考えると佐藤さんの選択は大正解だったね。
 『イワン・デニーソヴィチの一日』の作者のソルジェニーツィンがブロック積みの作業をしていたのはモスクワという話は佐藤さんの本の何処かで読んだが、どこかは思い出せなくなっていたが、この本の文庫版あとがき、570-571Pのところか!あー、それが思い出せなかったのが少し気にかかったままだったので、ようやくすっきりした。