昭和天皇のお食事

昭和天皇のお食事 (文春文庫)

昭和天皇のお食事 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
二十六年間の宮内庁勤務のなかで一番印象深い、昭和天皇の下での十八年間の記録の一部をお伝えしたかったのです。両陛下のお人柄が社会に正しく伝わりにくいこともありました。そこで大膳の一職員としてお仕えしてきた私の視点から、その生活の一端をできるだけ正確に伝えるべく、時の一部分を取り出しました。

 やる夫スレで昭和天皇を描いたものを見て以来ずっと読んでみたかったがようやく読むことが出来た。しかしそのやる夫スレの中で出てきた、芋とかかしわ餅のエピソードはこの本が出展だったのね。
 天皇の食事を作る大膳での設備は、非常にゆったりとした広さがある恵まれた環境で清潔で設備も整っているということを知ると、そして日本のトップにふさわしい立派な厨房だということを知ると、なんだか少し嬉しくなるというかホッとする。
 千切りするにしても、全く同じ大きさにしなければならず、食材がもったいないという考えを働かせてほんのわずかでも違う大きさの千切りが数本混じると、その数本の千切りを除けるということをしないで「二、三本太さの異なるものが入ったということ自体が仕事としては失敗なのだから、最初からやり直すのは当然という、妥協のない考え方を徹底的に仕込まれました。」というのは、そうした時に最初からやり直しとその千切りをゴミ箱に捨てるとはもったいないとも思うけどけれど、日本にひとつくらいはこんな求道的、職人的な料理人のための場があってもいい、あってくれるのはいいねと思える。一流の仕事人たちがわずかばかりも妥協をしない空気がある職場というのは、端から見ているぶんにはとても魅力的だ。まあ妥協がないと過ごし辛い人が大半だけど、だからこそ1つの職場に一流のプロたちが集まり、非妥協的な仕事をする場というのが日本に1つあってくれるというのは、縁がない場所でもなんとなくホッと安心する感じがする。フランス料理を作るのに肉や魚を焼くときに箸を使ってひっくり返したり、あるいは盛り付けに箸を使う(当時の日本の洋食店でもそれらのことをしていたが)と「フランス料理のエスプリが抜けてしまう」と箸を使うことを「天皇の料理番」秋山さんがやめさせたというエピソードからもそうした雰囲気が伺えて好ましい。だから大膳という究極の職人仕事の場に強い魅力を感じるな。
 しかし現在ではフランス料理、日本料理などそれぞれの専門職が居たが、現在ではオールマイティのスタッフが天皇家の職を支えると変わってきているということなのは、そうした職人的な気質が薄れているだろうということが容易に想像できるのでそれは残念だな。
 著者の渡辺誠さんが大膳に入った1970年くらいだと「レストランでさえ」オリーブオイルがそれほど普及していないということは時代を感じるし、現代から見れば考えられないから、当時の一般の洋食などのバリエーションは現代と比べると非常に少なかったという、考えればわかるし、知ってもいることだが、なかなか意識に上らない事実を再び思い出させてくれる。
 昭和天皇の食卓には、昭和59年にはおでんが年に七回食卓に上った。そういう普通のメニューも食べているというのも微笑ましいけど、せっかく素晴らしい料理人が居るんだから、もっと料理の腕が出るようなものも出来るだけ出して欲しいし食べて欲しいとも思ってしまう。まあ、普段からそれは昭和天皇もキツイだろうからしょうがないのかな。でも、おでんにしてもそうした和食のプロたちがプロの仕事で作ったものだろうから、料理の腕の無駄遣いではないのだろうから、まあそういう凝ったものを作り、食べて欲しいなんて思うのは的外れかな。
 渡辺さんがこれを持って行けと布を掛けた器を持っていったが、中身が気になってみてみたらサツマイモが入っていたが、皮付きだったため、サツマイモの皮を細心の注意を払いむいたところ起こられたが、その理由がわからないと思っていると、当時女官だった北白川宮の奥様に「陛下はお芋は皮付きのまま召し上がるのがお好きなのよ」ということを知らされたというエピソードは、中々印象深い。しかも、わざわざ細いサツマイモを5本持っていったというんだから、そこからも皮つきで食べるのが好きだということがわかるよ。
 現在は献上品を受け付けないようにしているということだが、昭和天皇の御世には毎日のように献上品が届いたようだ。それから大膳でも予算が限られて贅沢な食材を購入できないというのはちょっと世知辛いなあ(笑)。まあ、予算が限られているということだから今上天皇になってから、献上品がなくなったあおりを受けて食卓が貧弱になったということがないことを祈るばかりだよ。
 あと作者さんの仕立て屋の父はかなり進歩的で、昔フォークとナイフが普及していなかった頃から家で良く使われていた。そして当時、弟子たちを自分の家によく呼んでご飯を食べさせていて、弟子たちのためもあって食事にトンカツを出すことも多かったが、トンカツでもライスを洋皿に盛りナイフとフォークで食べるのが決まりとしていたから、当時の弟子たちはご飯はありがたいけどナイフとフォークで食べるのは食べにくくて、食べるのに難儀してもどかしい思いを味わったというエピソードはかなり好きだな。
 料理人になるのに、ホテルに就職しての修行時代に当時の料理人の世界ではありがちだった新人イビリというか虐待を受けて生傷が絶えなかったようだが、当時の料理界がそんな新人イビリ・イジメが常態化しているごろつきみたいな輩が大勢居るような世界だとはまるで知らなかったのでひどく驚いた。たった50年位前の情景とはとても信じがたいほどだ、それに加えてそれなりの格式あるホテルのようだから、そこでもそんな奴らが蔓延っていたということが尚更その信じがたい思いを強くする。
 大膳の料理長の秋山さんが「フランス料理アカデミー協会」から、海外料理人として始めてゴールドメダルを貰い、渡辺さんは新婚旅行時にその答礼としての役割も貰って答礼に行ったら、夫人も連れて答礼に来たため、副料理長だと勘違いされて『三十数名のフランス人しか持っていないという、「アントナン・カレーム」の金賞を授与してくれた』というのは笑えた。後に、誤解していたことを相手方が知り返してくれといってきたようだが、秋山さんが与えたものを返せといってきたことに起こり、そんなんだったら今後フランス料理関係者とは付き合わないと怒ったため、結局その渡辺さんがその金賞を貰っていいということで解決したようだ。この勘違いのエピソードは面白いなあ。
 最後「解説にかえて」ということで渡辺さんの親友の映画監督・大林宣彦さんが渡辺さんのことについてエッセイを書いているがこれがまたいいんだ。フランスのミッテラン大統領が来たときに出すフランス料理を研究するときに、大林さん夫妻にそれらの料理を出したというエピソードは面白い。そして、後にミッテラン大統領を迎えて催された晩餐会のメニューが新聞に出て、アレも食べた、デザートも同じなんて喜んでいる大林さん夫妻は見ていて微笑ましいわ。しかし上質なサーモンをただ焼くだけの料理で、ほんの15秒の時間だけで大きく味が変わっている「それはもう全く異なる、別の料理となっていた」ことを体験したというのは羨ましい、そうしたシンプルな料理で違いが出せるとは、本当に名人芸だな。