僕と彼女のゲーム戦争 5

内容(「BOOK」データベースより)
伊豆野宮学園に、珍しいお客がやってきた。甲斐ヶ原女学園の祇方院つかさ。関東ゲーム部ネットワークのメンバーである彼女は、天道しのぶに「学校対抗戦」への参加を呼びかけにきたのだった。ゲームでの勝負が大好きな天道は、二つ返事で快諾し、現代遊戯部は1泊2日の学校対抗戦へ参加することに。だが、ある問題が発生!伊豆野宮学園以外の参加校7校は、すべて女子高。ということは…男は岸嶺ひとり!?果たして無事に一晩過ごせるのか、岸嶺?


 カラーイラストの浴衣の鈴鹿、改めて見ると彼女って素でジト目な感じの眼の形をしているんだね。今までどこを見ていたんだって話だが、それは言えねえよ(笑)。あとこのイラストの引き戸を足の指で挟んでいるところとかいいですね。
 理事長、うわあ、まあ、なんとなく予想はついていたけどこれまで通り、登場しないほうが良かったかな。式典とかでバカやっているとかなら、阿呆だなあと思い呆れつつも微笑ましく見ることができるのかもしれないけど、語り手たちの周囲に出現すると単純にうざいだけだ、しかも普通に盗撮をやっておられるようだしね。しかし理事長が出たのは、天道ヒロイン化のために必要なアイテムの入手させるために登場させただけであってほしいよ。だから、もう出なくていいよ(ニッコリ)。
 今度の合宿では鷹三津も共にチームで戦うことになりそうで(まだこの巻ではチーム戦は描かれていないので)楽しみ。しかし来週の土日、泊りがけで合同合宿と急に言われて運よくスケジュールがあいていて良かったな。というか、そのあたりのくだりを読んで鷹三津が「行けなくはないと思います」と断言していない歯切れの悪い返答だからちょっと気になったんだけど、ああした仕事って大体どれくらい前からスケジュールが埋まるものなの?しかしこうした合宿の大会でもJGBC公認になるのね。
 天道、鈴鹿のスナイピング・テクニックにまで中二的センスの名称をつけようとして、そうした名前を恥じらいなく本当に格好いいとおもって善意でこの名前はどうかと薦められているのは、非常に微笑ましさを感じるけど、薦められている鈴鹿にとってのは悪意が皆無なだけに断りづらいだろうなあ(笑)。それから今回判明したが、どうも鷹三津もそうしたセンスの名前は好きなようだな。
 瀬名先生も合宿内の大会には参加ができなくても、引率として付いてきてくれるようなので、それに駿河坂の顧問も含めて少なくとも3人は男がいるので岸嶺1人だけが男ということがないとわかり、ホッと安心した。まあ、高校生の合宿だから、先生が付くのは当然なんだけどちょっとよくわからない上流階級的、秘境的で常識はずれな学校だから、うっかり失念していた。
 しかし合宿行くまで岸嶺は男が自分ひとりだとは知らされていなかったのか、しかしそう知らされて『まさかここで「む、無理です。自分が抑えきれないかもしれません」などと言えるはずもなかった。』(P65)そんな考えが真っ先に浮かぶなんて、案外岸嶺、君って豪胆なのね(笑)。まあ、その後に居心地悪いとは書いているけど、たとえ一瞬浮かんだ冗談の切り返しやわずかに浮かんだ妄念とかでも居心地悪いと思うよりも先にこの考えが来るのは精神強いねえ。前巻あたりで岸嶺は、瀬名先生、天道、鈴鹿について彼らは人に見られようが緊張しない性質だと評していたが、表にあまり出ていなかったり自覚していなかったりするだけで、君も案外そうした肝の太さはあるんじゃないかな(笑)。
 しかし甲斐ヶ原の祗方院、まあ必ずしも彼女一人の判断ではないと思うが、岸嶺を一人だけ格差をつけて扱うのはちょっとイラッとくる、伊豆野宮側から是非に参加したいといったのであれば、ともかく伊豆野宮に参加を求めているにもかかわらず、女子が使う部屋から話すために本来客室でないところを使わせるというのは不愉快。たとえば他に客室が開いていないという事情があったり、女子たちの部屋と離すために瀬名先生と同部屋でいいかと他の選択肢を示したり、あとはせめてもっと申し訳なさそうにするとかなら、そうした不快感は低減していただろうが、自分の中で仕方ないと勝手に決めて了承するのが当然とでも言いたげに岸嶺に説明していることにイライラするし、岸嶺が唯々諾々と承諾しているから、一向にそのイライラは晴れない、せめて反語法で皮肉でも言っていればすっきりしたんだろうけど。
 一番成績が悪かったら罰ゲームは否定されて、一番成績が良かったら他の人に命令できるというのは承認されるのは、あまり変わっていないような(笑)。
 それと今回はゲームでの出番がない瀬名先生は今まで他の部員と比べて上手いゲームが明かされていなかったが、宵闇の魔術師に一方的かもしれないがなにかしらの思いを抱いていたり、それなりにゲームに真剣に向き合っていた時期があるように思うのに、正直瀬名先生はゲーム上手いという印象なかったので、「みんなのGOLF」や「ぷよぷよ」など瀬名先生の得意なゲームがわかったこと、得意なジャンルがあったことが嬉しい。
 宵闇の魔術師がJGBCの初代のチャンピオンになったせいで、日本のゲーマーたちの間で二つ名をつけるのが流行ったということで、そうした名前をつける元凶となったのはあんたか宵闇!(笑)今回の主催校の甲斐ヶ原の部長も<吹き抜ける風>という二つ名を自ら名乗っているしね。
 しかし甲斐ヶ原の副部長祗方院、くじに細工して、自分たちが1回戦で対決することで唯一の男子である岸嶺を早めに落とそうとしているのは、おいおい一応この大会もJGBCに公認されているのだから、月2回の制限に引っかかるのだろうから(合宿地が関東圏でないというのならともかく)もし岸嶺が個人戦でもそれなりに成績を残そうとしている人だとしたらとんだ嫌がらせだったね。それから祗方院はその後個人戦の準決勝で戦ったときも岸嶺に負けるように促してくるなど、不快な言動を繰り返している、それで感想を書いていてわかったのはこの人は酷く独善的で自分のためといわず他人のため云々といっているけど、本質的には自分の勝手な考えを通すためというエゴイストなんじゃなかろうか。しかし甲斐ヶ原の副部長の株がグングンと鋭角に落ちていっているから、相対的にちょっとマナーが悪いが悪気はない部長の株が何もしていないのに自然と上がっていくよ。副部長はあまり強い権限を持ってはいけないタイプだと考えたので、彼女が部長じゃなくてよかった、<吹き抜ける風>が部長でよかったと思える、まあ最上は祗方院を扱える人間がトップにいることやそうでなくても全面的に自分の手腕を振るうような人がトップで、そのワンマンタイプの大風呂敷を繕う下働きで苦労するというタイプであったほうがよかったなと思うが。
 それと1回戦の「みんなのGOLF」で魂転生がなされるとは思っていなかったわ、そしてそんな急によくわからないことを言い出した彼に対する祗方院のツッコミはまあ、そうなるよな(笑)。
 しかし1回戦ごとに戦うゲームが変わっていくという形式の大会は詳しく描写されたなかでは何気に初めてじゃないかな、そういう大会もありなんだ、へえ。
 2回戦は「ぷよぷよぷよぷよというと、ニコニコ動画アイマスのキャラで初代ぷよぷよで様々な戦術を駆使して、熱い対戦が繰り広げられている動画シリーズが思い浮かぶなあ。あれはとても面白いよね。
 岸嶺は鈴鹿と鷹三津の仲間同士で争いあう勝負でも、非常に真剣なのを見て感心しているのを見ると、その要因というか元凶はあなたにあるから、と思わず突っ込みを入れたくなってしまう(笑)。
 しかし鈴鹿も気づいていたというのに、瀬名先生は鷹三津の招待にまるで気づいていないのは何でなんだろうか、声優好きなら声が好きなんだろうに、部活をやっているのだから声は気づきそうなのに気づかないとか、もう彼は声優をしているときの彼女の何が好きなのだろうかと疑問に思ってしまう(笑)。
 あと岸嶺はゲームを始めてそんなに立っていないはずなのに、有名なシリーズは一通りやっているのか、まるでプレイした経験のないゲームが出てきて困るということがないのは不思議だ。
 岸嶺は理事長から賄賂(?)として渡された写真を普段使わないポケットに入れられていたからあることに気づかなかったがその写真の存在を合宿中に気づき、更に天道に見られてしまった。それに岸嶺が悩んでいると瀬名先生は「キミの体が余りに綺麗だったんでつい写真に残しておきたくてね」とでも言っておけとのアドバイスをしているのをみて、それで天道は岸嶺を恋愛対象としても認識されていなかったのを、天道に彼を恋愛対象として意識させてヒロイン化させるつもりだったのか、それで理事長が冒頭に不意に出てきたのだとわかり、なんだか感心してしまった(笑)。
 決勝ラウンドの「東方花映塚」岸嶺は自分も初心者なのに、今の対戦相手は『プレイを見ていれば分かる。STGはそれなりに上手いようだが、知識は足りていない。彼女には勝てて当然だったのだ。』(P272)といっているのは、どういった立場から言っているの!と感じ思わず笑ってしまった。しかし瀬名先生、相手がモブだから勝てるとか、名前もありキャラが立っているから彼女が勝つだろうとか今回暇なのか、そんな自由でメタな発言をしているなあ。しかし東方って対戦できるようなゲームだったのか、そして自分の使えるキャラが案外多いのだね、今までせいぜい霊夢魔理沙と早苗くらいしか使えないものだと思っていたよ。
 しかし甲斐ヶ原の部長の<吹き抜ける風>の使用キャラがチルノということを見て、ああ、だからそういうキャラだったのかと納得してしまった(笑)。
 それと最後まで祗方院がすごく小物なので、以前に駿河坂の部長一条を小物っぽいとか言ってごめんなさいって気持ちになる。まあ語彙が少ないから、同じような表現にしちゃっているだけで、一条は言動がちょっと部長の貫禄がなくて、自分たちの有利なゲームで勝負しようとする子供っぽさがあるのが、小物っぽくて(雰囲気)可愛いということだけだが、祗方院は姑息な人間なので小物(事実)という違いがあると弁明しておこう。