前へ 東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録

内容(「BOOK」データベースより)
大震災の夜、漆黒の闇を走り回り、救命部隊のルートを切り啓いた国交省チームと民間建設業者たち。曇ったマスクを投げ捨て、原発への放水に挑んだ自衛隊員。爆発した原発の傍らで住民の避難誘導を続けた警察官。医療器具を抱えて自主的に被災地へ飛び込んだDMAT(災害派遣医療チーム)…地震発生直後から「前へ!」と突き進んだ、名もなき人々の壮絶にして感動溢れるドラマ。

 第一章では原発が危機にあるときに給水作業などで最前線に居た自衛隊の話を扱い。第二章では、国土交通省出先機関の大組織である東北地方整備局は事態の深刻性を早くから知って迅速な行動を行った。また、市町村長の下に交渉ごとのスペシャリストとしてリエゾンを置いた。彼らは複数の省庁がかかわる問題の解決のために交渉役として活躍した。三章では東京で役所の代表が集まり、さまざまな問題を即決して、ダイナミックに問題を処理していたあまり知られていない事実があかされる。しかしそんな中で菅総理は彼らの指揮せず総理専用室に篭って、東京電力保安院原子力安全委員会の面々と密室で秘密裏に何事かを話していた。
 「一章」3号機の建屋が爆発して吹っ飛んだときに、3号機原子炉を冷やすための第3ポンプ室の給水口に水を入れるために中特防の人たちが来ていて、後者が数分遅れていれば使者が出ていただろうという事実にはゾッとする。P39-40では「降車が、たった一分でも早ければ、間違いなく彼らの命は――」、P55では「あと数秒、車から降車するのが遅れていれば負傷だけでは済まなかった」とあり、ベストタイミングだったということなのか、どちらかの記述が間違いだったのか、状況を詳しく把握したら前者でなく後者だったことが分かったのかいまいちよくわからないが、ともかく数秒前後にずれていれば死人が出たという状況だったのはわかる。そのような下手すれば自衛隊原発に対処できる専門家集団である中特防の士気が崩壊しかけない状況で、隊長の岩熊さんは安全な化学防護車でなく退院と同じ車に乗って負傷したことでむしろ士気が上がった。しかし岩熊さんはもともと研究者で現場に出るような人ではなかったのだが、そうした事態(実戦)を経験したことではじめて指揮官となったというのは、こんな状況下でいうのはあれだけど、燃える展開だ、こういうエピソード大好きだけど、そういう実戦を経験して一回り大きくというのを現代日本を舞台に起きてしまったということ考えると複雑な心境でもある。
 メルトダウンを起こしている最前線から退去することが決定してそれがいったんは命令されたのに外国に第一原発の対処を放棄すること意味するため、海江田大臣が政治的に拒否して12時間ただ無駄に人員を危険にさらしながら待機していた。他にも海江田大臣は、所轄大臣ではないのに、真偽が分からない総理の命令という言葉を振りかざして現場を混乱させる命令を発しているなどろくでもないな。
 自衛隊消防隊員の下士官の一人の気負わず言った「どうせ誰かが死なないといけないのなら、妻も彼女もいない、自分のような者が死ぬべきだ、そう思っただけです」(P140)という言葉は格好いい、自然にそういうことが言える人間は本当に格好いいし、あこがれる。なんというか前から、危機のときにそうわりきれる人間になりたいという淡い憧れみたいなものは少しあったが、そういうことを現実の危難に際して思えるという自信はないので実際に言ったこの人は本当に凄いと思うし、あこがれる。もちろんそういう気性の人間を当てにして、そういう人間を人身御供とするのだとしたら腹が立つが、今回はそうでないので純粋に凄いという思いを抱ける。
 この本を読むといかに東京電力が、被害を抑えようとしていた自衛隊ハイパーレスキュー隊などに対しての協力姿勢が皆無だったか、死の危険性を覚悟して原発の給水をしようとした彼らに対して、平時に雇った工事の作業員程度の扱いをしていたことを知り腹立たしい気分となった。自衛隊との連絡を取る人に知識がなく、東電の専門家集団から軽んじられているような人をあてて、その人を通して自衛隊が給水するのに必要な原発の詳しい内部構造について要求しても、ろくに情報を渡さないという自分が原因となった非常時なのにありえない当事者意識のなさ(当事者意識が希薄でもあるかどうか)と行政的対応、秘密主義には怒りが湧いてくる。
 「二章」東北地方整備局は、72時間が救命の可能性の高い生存限界期間なので、直ぐに救命救助の緊急車両が入れるように道路が一車線でも通れるように、道路をふさいでいる流されてきた物品を撤去する啓開作業をすることを決断する。
 啓開作業の対象となるのは南北を貫く国道4号から太平洋沿岸部に伸びる16本と数を絞って、即時に道路を空ける作業へと移った。
 現地の土木作業会社も自分たちの連絡が満足も取れないまま、その仕事を志願するなどの心意気を見せる。しかし道路に堆積した瓦礫の撤去といっても津波で流されてきた被災物の中には遺体があり、作業員にとって精神的に辛く苦しい作業となった。
 東北地方整備局のトップである局長が、大畠大臣に津波大災害を想定すべきといったのに対して大臣が直ぐに「すべて任す。国の代表と思ってあらゆることをやってくれ!」と言ったのいいな、当時まともな大臣もいたのだとホッとしたような気分になる。その後も大畠大臣は「予算のことは考えなくていい!国土交通省の枠にもとらわれるな!国の代表として、迷わずやってください!」というなど、災害後の対処は「巧遅は拙速に如かず」だということ、そうしたスピードを被災地の人々が求めていることを良く分かっている。
 また東北地方整備局ではリエゾン班や物資調達班を臨時の部署を置いて、各市町村長の下にリエゾンの班の面々を置いた。そのことでリエゾン班の人間は、中央の省庁の人間との交渉、他の省庁との交渉でも、行政のプロフェッショナル、交渉ごとのスペシャリストとして解決のために搦め手含めた交渉をして複数の省庁にまたがる問題などでも活躍した。たとえば『あるちっぽけな市役所の幹部が、中央官庁の担当者に電話を入れたときのことである。担当者は、”消極的権限争い”によって、冷たい反応しかしなかった』相手に、リエゾンが電話を替わり、法律に詳しく、専門用語をまくし立て、相手の痛いところをどんどん突いていって、相手は呆気にとられたなんてエピソードは痛快で面白い。しかしこんな非常時でも中央官庁は通常運転の対応しかしていなかったということには、怒るよりも、そうした現状に悲しくなってしまう。
 被災地の市町村長からの不便をリエゾンを通して訴えることで、東北地方整備局がどんなものでも直ちに物資を送れる体制を整えた。大畠大臣から許可を貰ったということもあり本来は公共事業の予算で買うことは出来ない棺桶や遺体収納袋も購入して現地に送っていた。
 「3章」大震災が起こってすぐに少なくとも上では役所の代表が集まって、問題を即時に処理できる体制を作っていたことは知らなかった。しかしそんななかで菅総理は専用室に篭って、他の役所の代表を入れずに東京電力保安院原子力安全委員会の面々と密室で秘密裏に何事かを話していたというのはほとほと呆れるし強い怒りを覚える。日本国の一大事なのだから、他の役所の代表になぜ聞かせないのか分からないし、他の問題を放っておいて、それだけなぜ特別扱いしているのか理解に苦しむ。
 しかし東電の要請が二転三転どころか七転八転もしているのは、どれだけ現実見ずに都合のいい想定をしていたんだってことだよなあ。