よいこの君主論

よいこの君主論 (ちくま文庫)

よいこの君主論 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
マキャベリの名著『君主論』を武器にクラス制覇へと乗り出した小学五年生のひろしくん。だが、彼の前に権力への野望を持つ恐るべき子供たちが立ち塞がる。『君主論』はひろしくんを覇王へと導くことができるのか?小学生の権力闘争を舞台に楽しく学べる『君主論』。クラスを牛耳りたい良い子のみんなも、お子様に帝王学を学ばせたい保護者の方も、国家元首を目指す不敵なあなたも必読の一冊。


 小学生と権力闘争があまりにイメージ違い、よくそんな発想が出てきたなと感心するよ、そうしたギャップがあることで笑いながら読むことが出来た。まあ、だいぶ強引なところも多いけどね(笑)。しかし冒頭からたろうくんが「困ったなあ」といって出てきたら、どうしたのかたずねられると『たろうくん「ぼく、こないだ4月にクラス替えがあったんだけど、あれからもう二ヶ月もたつのに、いまだに新しいクラスで君主として覇を唱えることができないんだ」』(P14)というぶっとび具合は、たろうくんとはなこちゃんのイラストは子供向けっぽいイラストだから、なおさら違和感を覚えるが、その思いがけない組み合わせが笑いを誘う
 「君主論」は読んだことないけど、たぶん章立ては「君主論」に準拠して、その章で扱われていることを同じ章のナンバーで5年3組の出来事として書いているのかな、たぶん。だから、その分小学生たちの話として扱うにはいささか苦しい部分が散見されるなあ。そしてその後に解説としてたろうくんとはなこちゃんとふくろうせんせいのパートが置かれている。
 あと冒頭に5年3組の仲間たちというイラストも付いている登場人物紹介ページに10ページ以上も使っていることは笑う。でも読んでいる途中で、しばしば見に戻って使ったし、使うと脇役でも覚えやすいから案外よかった。
 『新しいクラスメートに囲まれ、ひろしくんたち5年3組のみんなは、この時期、野望の炎にわが身を燃え上がらせています。』(P31)というこちらのパートも初っ端から飛ばしているなあ。そしてクラスメートの多くがクラスメートの全てを支配することを目標としている時点でもう現実感がないという、現実に沿わす気がさらさらない潔さは逆に素敵(笑)。その第一章では「僭主」という語が出ていなかったのに、その後の解説パートで、ひろしくんが開口一番「うわー、5年3組にはたくさんの僭主が割拠しているなあ。」といっているのは思わず吹いた。
 5年3組のパートはですます調でナレーションみたいな文章で書かれているが、その文章で「所詮、たかしくんは5年3組を統一するほどの器ではなかったのです。」(P41)ときついことが書いてあるとどうにも笑えてくる。
 マキャベリが正規の防衛兵よりも殖民兵を奨めている理由は、『防衛軍を駐屯させると維持費がたくさん掛かってしまうからだよ。また、防衛軍は点々と場所を変えて野営をするため、あちこちの場所で略奪を行い、たくさんの人から君主は恨まれてしまうんだ。その点、殖民兵はとっても合理的なんだよ。殖民兵は占領したごく一部の人の田畑や家屋を奪い取るだけで、そこに住みつかせることができるからね。殖民兵はごく一部の人の恨みしか買わないし、田畑や家屋を奪い取られた人は最下級層まで落ちぶれるから、そんな人から恨まれたって怖くとも何ともない。殖民兵はとても安全で効率的なんだ』(P51)と説明されているが、なるほどなあ、殖民兵屯田兵って実際は役に立たなかったとかいう話も聞くから、マキャベリが殖民兵を奨めている理由がいまいち分からなかったが、正規の軍は金がかかる上に略奪が起こるという時代的な背景があったのか。しかし一部の人の家や畑を全部奪うとは流石マキャベリズムというべきか、まあ、えげつない手法。広範な人間の恨みを浅く買うよりも、ごく一部の人間の恨みを狭く深く買うほうがいい、しかもその一部の人間の力を根こそぎ奪ってしまえというのは、まあ効率的なんだが、なかなか思いつかないなあ。
 『新しい制度を取り入れようとするものは、必ず多くの困難にぶつかる(中略)以前の制度で旨い汁を吸っていた人たちは、当然新しい制度に強く反対するよね。じゃあ、新しい制度になることで新しく旨い汁が吸えるようになる人たちはどうかと言えば、これは大して役に立たない味方なんだ。なぜなら、彼らは理屈では『次は自分たちが旨い汁を吸える』と分かってはいるんだけど、まだ実際に旨い汁にありついたわけではないからね。人間には猜疑心というものがあるから、実際に旨い汁を吸ってみないことには信じられないんだよ。だから、彼らは疑い半分のまま味方につくので、どうしても弱腰になってしまう』(P68-9)という説明には、旨い汁を吸えるのに乗り気にならないということが起こるのは、ものわかりがわるいとかではなくて平常なことだったのかと感心した。
 他にも『極悪非道で平民を害するのは一度きりで終わらせるべきだけど、恩恵を施すときは時間をかけてゆっくり与えてやるのが大切なんだよ。民衆は恨みはなかなか忘れないくせに、与えてやった恩恵は直ぐに忘れてしまうからね。』(P92)いつも害してばかりいると配下・平民を信用しなければならない場面で信用できなくなるため、害は一度きりで済ますべき。そして恩とかは常に与え続けることが肝要というのは、過激な言葉を使っているが、一度恩を与えたから君主がわが自分の義務を果したと満足して、あとは税を課すだけで民に無関心になるのは民にとって不幸せなことでもあるから、継続的に恩を与えることで民のことにもしっかりと目を配れと進言しているよねこの言説、だから好ましい。それに現在の幸せ、不幸せで判断するのは仕方ないことだし、安定していることも重要だしね。
 君主に服従しない有力者でも、2つにわけ優柔不断や心の弱さから服従しない場合は、その人が知恵モノであったら重用すべきだが、逆に自身の野心のために服従しない有力者は不安定になったときにすかさず牙をむいてくるため敵として扱うべきだというのもその二分法は知らなかったがなかなかに説得力のある分け方。
 城外の田畑や家は守らなくてもいい、なぜなら彼らが失ったものが大きい方が取り返したがつかないため、自信の犠牲を国家のための犠牲であり、それに君主は恩義を感じていると思って君臣の結びつきが強まる。あと相手に対しての敵愾心や、失ったもの同士の連帯感みたいなものも当然あるだろうね。まあ、愚行とかでもそうだけど、行動し始めると自身の行動を肯定する作用が生まれるからね。『多くの被験者は被害者を害する行動をとった結果として、辛辣に被害者を貶めるようになっていた。「あの人はあまりにバカで頑固だったから、電撃をくらっても当然だったんですよ」といった発言はしょっちゅう聞かれた。いったんその被害者に害をなす行動をとってしまった被験者たちは、相手を無価値な人間と考え、罰が与えられたのは当人の知的・人格的欠陥のせいなのだとかんがえるしかなくなっていたのだ。』(「服従の心理」)みたいに、行動をしたことでその行動を肯定する心理が発生する。
 マキャベリは狩猟を推奨しているが、それはその土地の地形に詳しくなるし、初めて訪れる土地でもある程度地形を判断できるようになるため。単に今まで動く的を撃つことで弓とかが上手くなるといったことしか狩猟の効用を覚えていなかったが、そんなものもあったんだ。恐らく忘れていただけであろうが。
 気前が良いよりもケチと思われたほうがいい、なぜなら自分の財産を切り崩して貧乏になると当然侮られるから。ただし戦争で略奪した敵の財産の分配は自分の懐が痛まないためその限りではない。そう考えれば鎌倉時代に蒙古襲来したときに、幕府/北条氏が自分たちの財産を切り崩さなかったというのはあながち間違いでもないのかな。
 人をつなぎとめるには恩愛よりも恐怖が有効。まあ、優しい人間というのは概して侮られがちであるしな。
 国王は自分が恨まれないために、自分とは関係のない『第三者の裁判機関』を作り、それに貴族を裁いてもらって、憎まれ役を他に押し付ける。現代でも司法がそうした独自性を持っている淵源には、そうした君主が憎まれないためという事情もあるのかな。
 分断工作が有効なのは平和時だけ、なぜかというと戦時になると弱い派閥が敵方に内応してしまい、強い派閥は敵に勝てなくなってしまうから。
 自分が味方をしたほうが負けても中立を守るよりもましな理由は、『もし負けたとしても、苦しいときに共に戦ってくれた恩を相手は忘れないだろう。だから、相手はきみのことをかばってくれるだろうし、その後も応援してくれる。もし相手に運が向いてきて復興したならば、そのとき相手はきみのことを重く用いてくれるはずだよ。その一方、中立を守った場合は単に勝利者の餌食になるだけなんだ。勝利者は苦しいときに助けにくれなかった者など仲間にしたいとも思わないし、敗者にしたって、自分を助けてくれなかった者をかばってやる義理などないからね』(P247-8)中立になっても、その後に餌食になるだけで、中立を守る目的である現状維持はとてもじゃないが叶わない。
 しかし5年3組のトップが1つに統一されるのに1年かかってしまっては、1つにまとまっている期間がほとんどないじゃないか(笑)。そう思ったが、5年から6年に進級するときはクラス替えがないという設定なのね。1年でクラス替えするなら、単にクラス内でトップに立つという目的のためだけに合い争っている遊戯みたいなものというだと思ったが、一応統治、というかトップとしての仕事(?)をしている期間が1年あるのね。