救命 東日本大震災、医師たちの奮闘

救命: 東日本大震災、医師たちの奮闘 (新潮文庫)

救命: 東日本大震災、医師たちの奮闘 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
あの日、医師たちは何を見、どう行動したのか―津波の恐怖にさらされ、家族との別れを覚悟しながら患者を誘導、極寒の病院の屋上で人々を励まし続けた医師がいた。自身も心に深甚な傷を負い、ともに涙して患者を癒した医師がいた。個人とプロフェッションの狭間で揺れながら彼らはなぜ行動し、何を目指したのか。9名の医師による東日本大震災の貴重な証言、感動のドキュメント。

 被災地での医療活動に携わった医者9人のインタビューを収録している。インタビュー自体は震災から数ヶ月しか経っていない時期にしているが、かなりガッツリとそれぞれの人の背景も含めて丁寧に聞き取って書かれている。そしてそれぞれの医師たちの後日談、2014年現在の現状が、各医師のインタビューの末尾に数ページ付されて記してある。
 しかし自分も被災して自分の病院などの施設が破壊されても、休みも取らずに被災者の医療活動に従事して、自腹で薬を買って無償で患者たちに渡している医者の高潔な姿には感動を覚える。しかもそれが例外的、英雄的な1人、2人ではないということも素晴らしい。監修の海堂さんが本書の末尾で書いていたように、普段は医療関係者の善意、善行は表に出ず、バッシングばかり大きく聞こえ悪役なイメージもあるけど、それは大きな間違いだということが、多くの医療関係者が無私の心で被災地のために駆けつけたことからも伺える。
 この本を読んでいる最中、何かに似ているなと思ったが、同じ大きな災禍が起こったときにそれに直面した当事者にインタビューして当時の体験を語ってもらうという形式がちょっとだけだけど、地下鉄サリン事件についてのノンフィクションである村上春樹の「アンダーグラウンド」に似ているんだ。まあ、こちらはインタビュー者の質問が入っていなくて一人で語っているような感じの書き方をしているから、その大きな災禍を経験した人へのインタビューということ以外の共通点はあまりないけどね。
 被災した医師たちが、同じく被災した患者と触れ合うことで自分も癒されていると感じているという言葉を聞くとなんだか心が温かくなる。
 福島県、同心円状で20キロの範囲内に入ったから避難しなければならず、ペットを置いてこなければならなかったのに、線量的には避難先のほうが高いのに帰れない、そういう状況下では早く帰してくれという声があがるのもごく当然のことだなあ。人間というか行政の場当たり的な対応のせいで、犠牲となったペットや家畜たちがかわいそうだ。
 非常事態にも関わらず四面四角な対応を取っていた行政の話も何箇所も出てきて、行政の頼りなさというか、煩わしさというものを強く感じた。本書の末尾の海堂さんの話に出てきたAiもそうだが、非常事態でも不合理な対応をとることで、行政の存在を見せ付けたいのか、自分たちの偉さ、影響力を確認したいのかと失望してしまう。
 そして海堂さんの『スピードは愛、である。』(P350)の言葉が強く印象に残って、それを東日本大震災でスピードという愛を行政が与えなかった。
 植田俊郎医師の震災に会っても妙に昂ったりせず、平常心でおおらかに悠然と構えて医者としてするべきことをしている姿はいいな、こういう常に平常心でプロフェッショナルな仕事をする姿勢はあこがれる。
 この東に本題震災の津波被害では、線を引かれたように津波によって被害を受け、全てが破壊された地区と全く無傷の地帯がくっきりとわかれてしまった。そのため『今回の津波の一時的な病気や負傷の印象をいえば、オール・オア・ナッシングだった。避難できて生き残ったか、流されて死ぬかの二つにひとつです。』(P165)
 そうした状況なので救急隊員や自衛隊員は一人でも多くの人を助けようとするが、今回の場合は生き埋めになっている人を助けられたということもなく、ひたすら変わり果てた姿で死んでいる遺体を見続ける結果となり、救助しに言った側にも心理的な傷を負う結果となった。
 医者は統制されることを嫌うため、被災地救援のために被災地へ向かう医師たちをまとめる機能が医療の世界にはない。そのことで、どうしても効率的には機能しない。