泥棒日記

泥棒日記 (新潮文庫)

泥棒日記 (新潮文庫)

内容紹介
言語の力によって現実世界の価値をことごとく転倒させ、幻想と夢魔のイメージで描き出される壮麗な倒錯の世界。――裏切り、盗み、乞食、男色。父なし子として生れ、母にも捨てられ、泥棒をしながらヨーロッパ各地を放浪し、前半生のほとんどを牢獄におくったジュネ。終身禁固となるところをサルトルらの運動によって特赦を受けた怪物作家の、もっとも自伝的な色彩の濃い代表作。

 ジュネを読むのは初めて、この本も結構積みっぱなしになっていたが(といっても2年経ってないと思うけど)ようやく読了。途中2ヶ月弱読まない期間があるなど、長々とかかってようやく読み終えた。
 巻末の「改訳にあたって」で書かれているように、基本的に時間の流れどおりになっているが、説明的挿入句がフラッシュ・バック的に挿入されていることや詩的で思弁的な文章が理解できなくて混乱して、正直序盤はよくわからないまま読み進めていた感がある。途中から詩的なものとか思弁的な部分とかは、字面を追ってなんとなく読んでようやくわかりやすくなった。「解説」に『この作品をジュネの「文学的遺言、少なくともひとつの結論」』であるように、そうした思想的な部分も多く、それを詩的で歌い上げるように述べられているのでわかりにくかったし、実際よくわからなかった(苦笑)。なのでエピソード群として楽しんでいたし、実際それぞれのエピソードだけでもかなり魅力的。実際、各エピソードを分けてエッセイ形式で書いてもかなりのものに仕上がったんじゃないかと思うほど、ジュネの独特な視点や感受性そして体験は面白い。
 冒頭のサルヴァドーレが「お前のかわりに物乞いしてくるよ」(当時のバルセロナでは、そうすることで物乞いの男同士が愛を伝えていたようだ)といって、雪の降る中ぼろぼろの服と垢だらけの顔で出て行き、それを秘かに彼が幾人もの女性たちに哀れっぽく訴えているさまを遠くから見て、また彼が昼過ぎに野菜と脂身を少し持って帰ってきたことに感動したということが書かれてあるように、その情景にはなにかしら心に訴えかけてくるものがあるなあ。それに両者垢まみれで、どん底の中でその行為によって愛が芽生えたが、元々ジュネもサルヴァトーレは貧相な顔をして外見的に好みでもないのに、そうなったというところに一種の感動がある。
 『そのときわたしはそれが、夜中に物乞いをしていた最前の年を取った泥棒女であってくれればいいがと思ったのだ/「もしあれがおふくろだったら?」と、わたしはその老婆から遠ざかっていきながら、自分に向かって言った。「ああ、もしそうだったら、おれは飛んでいって彼女を花で埋めてやろう。水仙菖と薔薇で、そして接吻で埋めよう。おれは感動のあまり彼女の両目の上に優しい涙を流すだろう、あの銀ふぐのような、まんまるい間抜け面の上に――」「だが、なぜ涙を流すと限ることがあるのだ?」とわたしはさらに心の中で思った。そして、わたしの精神はたちまちのうちに、そうした愛情の普通の徴(しるし)を、なんでもいい何かほかのしぐさに、そしてさらに、わたしが接吻や涙や花などに劣らないだけの意味を担わせた、もっとも恥ずべきものとされている、最も穢らわしいしぐさに置き換えたのだった。/「俺は彼女の上に涎をたれ流すだけで満足しよう」と、わたしは愛情で旨がいっぱいになりながらおもった(中略)「彼女の髪の毛に涎をたれ流すか、彼女の両手の中にゲロを吐くだけで我慢しよう。そして、そうしながら、おれのおふくろであるあの泥棒女に熱烈な愛を捧げるだろう」』(P23)最初のほうから、この愛からゲロを捧げるという書かれているのはかなり衝撃的というか、記憶にとても強く残る文章だ。
 『もし、裏切りがわれわれを歌わせるとすれば、それは、それが美しいからにほかならない』(P25)彼にかかれば裏切りすらも美しいのか。
 スティリターノは相手が三人の女衒だと気づかずにすれ違ったときに身体が触れたことで横柄な声で罵ったら、相手がその喧嘩を買ってきたら、自らの手首までしかない手を見せて冗談めかした調子を装って喧嘩になることを回避した、そんな情けないスティリターノの姿を見て、当時彼を愛していた著者の眼にはその「卑劣な安芝居」が「彼の姿を高貴にした」というのは惚れているからそう感じたのか、ジュネの全編を通してある逆説的な悪や汚穢の中に美を見出す性質からそう感じだのかどちらだろう。
 『「こうしてお前が、おれに寄り添って呆然自失しているとき、おれはいつもお前を護っているような気がするんだ。」/「おれもそうだよ」と彼は言う。そしてすかさず例の返答=接吻をする。/「え、お前もだって?」/「うん、おれもやっぱりあんたを護っているような気がするんだ」/「へえ、どうして?おれが弱々しく感じられるのかい?」/彼はもうほとんど聞き取れないほどの声で、可愛らしくつぶやく/「うん……あんたを護ってあげるよ」』(P217)なかなか印象的な場面だった、なんていい会話なんだろう。
 しかしジュネがスペインで物乞いをやっていた折に、フランス人の観光客の集団が来て、物見高く、物乞いたちを見て風情とか何とかいいあったり(ジュネがフランス人だったからその内容が聞こえていた)、あるいは金をいくらか払って彼らは物乞いたちにポーズをとらせて写真を撮ったりというのは、その観光客の無邪気な残酷さと物乞いたちとの世界の差異の大きさにある種のグロテスクさを感じる光景だなあ。
 あと沿岸警備員相手に一晩の情交をしている最中に密貿易の船がきたとき、外に出ようとした彼に対してより一層愛撫を激しくしてその場に引き止めて、警備員に職務を裏切らせ、「世のすべての法外者に責任があると感じて」見知らぬ密輸入者が捕まらないようにしたということ、法外者たちのひそやかな勝利に、満足感を覚えている場面はなんだか静謐な雰囲気もあいまってとても印象的だ。
 それから自身を買春しようとした金持ちの男に対して強盗を働いたことに、スティリターノはそれが仕事かとさげすんでいるのに対して、それまで立派な体格と声、そして大人という風格のあるアルマンに初めて敬意を表されながら、アルマンが「奴は間違っちゃあいねえぞ。奴さんが相手を選ぶことはいいことさ(中略)奴さんのほうがお前さんたちよりもずっと先へ行っているぜ。奴さんのやり方が正しいんだ」といってくれたことにジュネは強い感銘を受けたようだ。
 『人はすべて行為をその成就にまで続行しなければならない。そうすれば、その出発点がなんであろうとも、終局はすべて美しいはずだ。行為が醜いのは、それらがまだ完全に成就していないからなのだ。』(P326)人の汚いところをほぼ全ての人よりも多く見ているだろうに、それでも成就に至ったら「すべて行為」は美しいといえる確信を持っているということに凄さを感じる。
 男色家を引っ掛けて、ある家に入れてその男から金を取るということをロージェとスティリターノと3人でやっていたとき、ロージェが釣ってくる役をやっていたが、相手が自分を可愛がる時間がないようにすぐに入ってきてくれといっていたが、ある時悪戯心を他2人が起こして、しばらく時間が経ってからその部屋に入ったらロージェが媚態を示している最中だったというのはなかなかインパクトのある情景だな、まあ、引っ掛けたときの演技のまま早く濃いと思いながら媚態を示していたのかもしれないが。しかしスティリターノも男色家から金をとっていることやってんじゃん、それなら強盗で非難していた理由がいまいちわからない。彼が揶揄していたのは縄で縛って放置したからか、あるいは屋外でやっていたということかなと思いもしたが、スティリターノがロージェの兄を装って金を奪っている(美人局的に)から、そういう形式が重要なのかな(嘘でも大義名分が整えればokという基準なのだろうか)、彼にとっては。
 そしてラスト、スティリターノに持ちかけられたアルマンの麻薬を盗むことに協力することを決めたが、アルマンに愛情を感じなくなったわけでなく『たとえ彼がわたしを愛していなかったとしても、彼は私を彼の中に包摂していた。倫理の領域における彼の権威はわたしにとってあまりにも絶対的で、広大であったために、その範囲内での知的反逆を全て不可能にしていた。したがって、感情の領域で行動する以外、わたしには自分の独立を証明する方途はなかったのだ。アルマンを裏切るという考えが、私を眩いばかりの光明で照らした。わたしはあまりにも彼を恐れ、愛していたので、彼を欺き、彼を裏切り、彼から盗むことを欲せずにはいられなかったのだ。わたしは瀆聖の行為に伴う不安に満ちた悦楽を予感した。彼が神であったならば(彼は憐れみの感情を知っていた)、そしてわたしに情けをかけてくれたならば、彼を否認することは、わたしにとっていうにいわれぬ甘美なことだったのだ。』(P403)アルマンを愛していて神のような存在に思っていたからこそ、自己の独立の証明のため、そしてねじくれた愛情のために裏切る結果にならざるを得なかった、そしてその裏切りによって悦楽を感じているという、その歪んだ愛の表出が書かれたこの文章はかなりガツンとインパクトを与えられた。更にその裏切りを決めた後スティリターノに「愛している」なんて言ったのも本心からというよりも裏切りの悦楽、背徳感を味わうために言っているんだろうなあ。