街の灯

街の灯 (文春文庫)

街の灯 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昭和七年、士族出身の上流家庭・花村家にやってきた女性運転手別宮みつ子。令嬢の英子はサッカレーの『虚栄の市』のヒロインにちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶ。新聞に載った変死事件の謎を解く「虚栄の市」、英子の兄を悩ませる暗号の謎「銀座八丁」、映写会上映中の同席者の死を推理する「街の灯」の三篇を収録。


 大正ロマン、昭和モダンの時代を舞台とした小説が読みたい気持ちが高まってきていたので、4年ぶりくらいに再読。連作中短編集。
 ベッキーさんシリーズ1作目。ベッキーさんは探偵を操る(正解へと誘導する)ワトソン役なので、麻耶雄嵩の「名探偵 木更津悠也」を連想した、まあ、アレはすごい極端な形だけど。
 「虚栄の市」『座席から身を乗り出し、運転席との仕切りの、ガラス窓に顔を寄せる』(P9)と冒頭にあるが、現代の車も当時の車も詳しくないからよくわからないから的外れな感想かもしれないが、なんだか珍しい。単純に後部座席との仕切りが着いているのは、強盗対策かなにかでアメリカのタクシーが付けているといった印象しかないからそう感じるのだと思うが。
 当時上流階級を考えるとき、〜をしていた、豪遊していたということでよりも、華族の御夫人方は日傘はさしても雨傘は自分ではささないというように、日常的な動作をそもそもしないということに現代との差異を大いに感じるよ。
 有川家、雛の宴の子供たちの集まりのためにおそらく伝統とはいえ、屋敷の電気を切って家までの道にわざわざ篝火を焚くとは随分大掛かりで、こうした些細なことでそれだけの手間や金をかけられるとは流石上流階級だなあという感じ、呼ばれた人がそのことに驚いていないことまで含めてね(友人だから単に慣れなのかもしれないが)。
 別宮と壮士風の輩との戦いの折に「わたし」に園田が、戦いの解説みたいなことをしているのがなんだか妙に笑える。
 それから主人公は父に別宮が運転手になるが「お前。何か、珍しい玩具でも貰ったような気になるんじゃないよ」と釘を刺されたが、そういわれて「そういうところがなくもない」と素直に思えるところは大人っぽくもあり、そうした気持ちが抑えきれないところは子供っぽくもある。まあ、前者(反発しないの)はもしかしたら当時の父/親の権威の大きさの表れなのかもしれないけど。
 この時代はまだまだ平穏ではあるが、一部では以前より締め付けが強くなり後の歴史を知っている身から考えると、その予兆のような不穏さがわずかに漂う。けれど、そうしたことを露骨に漂わせているのではなく、極自然にさらっと描いているのはいいね。
 主人公の家に電話室があり、そこで電話しているが当時は電話がある家には電話室があるのは当然のことだったのか、それとも裕福な家だから電話室を作っているのだろうか。まあ、後者っぽい気がするけど。
 「銀座八丁」元大大名の桐原家では昭和の御世でも、使用人が100人以上も居るというのは凄いなあ。まあ、当時はそこまで裕福な家でなくても使用人が居る時代だから、そんなに不思議とまでは思わないけどさ。
 『私たち学生は、毎日、通信簿というものを携帯する。成績を記すものではない。それは書状で家に送られて来る。通信簿は、学校と家との間の連絡に使われるものだ。』(P120)とあるけど、毎日って先生はそんなに書くことあるのかと心配になる。それとも持っていくのが毎日というだけで、何か問題が起こったらそれを出させて書くとかそういうことなのかなあ?
 大家の奥様や令嬢がお抱え運転手と恋仲になってしまい愛の逃避行をする例が当時幾つかあったというのは、へえ、やっぱりそういうことあるんだとなんだか感心(笑)。
 「わたし」は桐原大尉と別宮の会話に割って入って、ベッキーさんを守ろうとしたのは、ベッキーさんにとって見ればわざわざ割って入らなくてもいい場面だったと思うが、わざわざ守ろうとしてくれたお嬢様は頼もしいというよりも微笑ましいような行動なんだろうなあと和む。
 『何かと物騒な世の中だ。軍人ならずとも護身用の銃を持つ方はいる。女性用の、装飾品をかねた豆拳銃さえあると聞く。』(P144)この文章を見る限り、現代と比べたら銃を携帯している人も多かったようだね、それは上流階級の人やその護衛に限られることなのかもしれないけど。
 『彼女にとって、今、一番大切なものは、守るべきあなたでしょう。いや、そうである筈だ。だとしたら、覚悟がないわけがない。そして、その覚悟が――自分自身、心地よい筈だ』(P152)もし守りきれなかったら自決をする覚悟があり、そうした覚悟は「心地よい」というのは考えたことがなかったからハッと目を見開かされような思いがある。
 「街の灯」当時の軽井沢は家族と外国人の姿が目立つ特殊な場所なので、そこではご令嬢であっても「自転車を飛ばして、≪町≫に買い物に行く」ようなことができたということで、それはなかなか自由になれない彼女らにとっては非常な喜びだっただろうなあ。
 『皇族と大名家族の男子は、いやおうなしに陸軍士官学校海軍兵学校に入らなければならない』(P201)というのは恐らく慣習なのだろうが、そういう学校はエリートしか入れないだろうから、そうした人たちには下駄がはかされているのかねえ。
 『別荘生活では食事のできた合図に、銅鑼を鳴らす家がある』(P219)というのは、別荘の優雅なイメージとはいまいち合わないので思わず笑ってしまう。
 しかし再読だけど、こまごまとした幾つかのシーンは覚えていても、内容はすっかり忘れていたので「街の灯」で死者が出ていることに少し驚いた。