獄窓記

獄窓記 (新潮文庫)

獄窓記 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
政治家の犯罪。それは私が最も嫌悪するものだった―。三十代の若さで衆議院議員に当選した私は、秘書給与詐取事件で突然足元を掬われる。逮捕、そしてまさかの実刑判決。服役した私の仕事は、障害を持った同囚たちの介助役だった。汚物まみれの凄惨な現場でひたすら働く獄中の日々の中、見えてきた刑務所の実情、福祉行政への課題とは。壮絶なる真実の手記。新潮ドキュメント賞受賞。

 わざわざ無駄に難しい言葉を使って表現していることがしばしばあるのは、大げさに感じてしまい、可笑しみを感じてしまう。それは「文庫版あとがき」によると『次数制限という障壁が合った獄中生活の中で見につけた作文術』(P515)ということのようで、当時使った言葉を重視したから変更を加えなかったと書いてあるけど、失礼なことかもしれないがそれでもやっぱり個人的には変えていただいたほうが良かったのになあと思ってしまう(笑)。
 秘書給与搾取、秘書を名目上家族にして、その給与で他の人を多数雇うような行為は、当時は一般に国会議員にままある行為であり、管さんのようなそれなりの大物もまたそうしたことをやっていた。そして現在はそれで山本さんが逮捕されたことなどを受けて、そうした行為が事実上合法化されたというのは、制度を実情に合わせるというのはまあしょうがないことかもしれない、まあ、立法者が法をないがしろにしているのが常態になっている(議員の2割がそのような行為をしていた)のも、それが状態になっているからかえるというのはよくないことだけど、それでもトカゲの尻尾きりの様な形で逮捕されて悪人にされた山本さんはかわいそうだ。だから、辻本清美に同種の疑惑が出たときに山本とは違うと、山本さんが私的にお金を着服したと印象付けるような出任せ(実際には辻本も山本さんも同じように私設秘書の給金を払うのに使っていた)を言ったというのは許しがたい。
 山本さんは控訴しなかったということもあり1年6ヶ月の実刑で刑務所に入ったが、そうした短い期間なら執行猶予(執行猶予が付くと例えば執行猶予2年なら、2年の間犯罪とかをしなければ刑務所に入らなくてすむ)があるものだと思っていたが、必ず執行猶予が期間がつくというわけではないのかと少し驚いた。そして保釈金は担保のような形で、変なことをしなければ戻ってくるようなものだとはじめて知ったよ。
 刑務所に入ってから、あまり経っていないが、ボールペンや便箋そして家族からの便りが届いたことにとても喜んでいるが、こういう純粋な喜びを見ると読んでいるこちらも嬉しくなる。そしてその山本さんの奥さんの手紙が引用されているが、そこに父の姿を探してぐずりだす赤ん坊について書かれているのを見ると、思わずうるっときてしまう。他にも届いた手紙や、逆に山本さんが書いた手紙も載せられているのが、それらの手紙は本物なんだから当然だが真に迫っているから、素晴らしく読み応えのある文章。
 刑務所の面接官が懐疑心を持ち合わせていないように見えるのをみて、『受刑者にとっての一番の望みは、一刻も早く仮釈放の許可を受け、外の自由な空気を吸うことだ。そのため、自分の処遇を判断する人間に対しては、必要以上に媚びへつらうことになる。いかに、みっともなくても、背に腹は代えられない。きっと彼女は、受刑者に阿諛追従されることの連続なのではないか。そんな中で、相手を疑うという感覚が鈍化してしまったのではないか』(P136)と考えたという、その観察には説得力があるし、独特の秩序内で懐疑心がなくなっていく過程をありありと見るようで、ちょっと面白かった。
 それから夏に刑務所の部屋にうちわが配布されたというのは、それがどうしたのだというほどの小さなことかもしれないが、自分でもいまいち言い表せないが、なんだか少し意外だ。
 そして同じ受刑者の人たちに国会議員時代に培った知識を生かして、Fさんにダウン症の息子が成人になるときに障害者年金がもらえることを教えてあげたり、受刑者たちが関心を持っていた年金についての説明をしてあげることで、教えることへの喜び、役に立てる嬉しさを感じて、そうしたことを今後の服役機関にもやっていこうと決意し、そう自分で決めたらやる気が湧いてきたというエピソードはなんだかとても素敵。
 山本さんは寮内工場に配属され、そこで身体障害者知的障害者などの介助をする仕事をした。しかしそこでの先任のAさんは、元は精神病院にいた人だが、その病院は暴力行為で患者を死なせたというところ、山本さんも「この人事をおこなった刑務所側の神経を疑った」と書いているが、ちょっと目を疑うような話だ。しかしAは口は悪いが汚れ仕事も嫌がらず(他人の排泄物を素手で処理する)、しっかりと被介助者たちの世話をして人一倍働くという仕事ぶりを見て、感動して、同囚を蔑むようなAの態度に嫌悪感を覚えていた自分が恥ずかしくなったというエピソードは感慨深い。
 しかし刑務所内でも刑事ドラマの犯人逮捕シーンでは歓声をあげ、勧善懲悪のわかりやすいドラマを好むというのは面白い。まあ、ドラマで主人公役に感情移入するのは極当然の心理作用だけど。『私たちは(自分が「何ものであるか」を忘れて)実に簡単に「テクストを支配している主人公の見方」に同一化してしまいます。それが「現実の私」の敵対者や抑圧者であってさえ。』(「寝ながら学べる構造主義」P124)例えば「寝ながら学べる構造主義」では追跡者から逃れるために奴隷を積んだ船が黒人を次々と投げ入れ船を軽くして逃れようとする映画を見て、黒人の観客が喝采を上げるというような事例があげられていたと思う。しかしわざわざ勧善懲悪のドラマ(一番人気は「水戸黄門」)を見ることを望むのは不思議。
 『刑務所の中には、顔にケロイド状の傷を負っていたり、無毛症で眉や頭髪がまったくなかったりと、外見的障害のある看守が少なからずいたのだ。/「彼らは、刑務官を転職だと思って、本当に、一生懸命がんばってるよ」』(P327)そういう人たちが普通の職業よりも多いのは世間では苦労があることを感じるし、そんな中この職を天職だと思ってやっているというのは、そのひたむきさに少し感動した。
 身近な人が逝去して心で落ち込んでいるときに、Nに声をかけられ、所内機関紙にはそうした悩みを書いている人もいるし、同じ悩みを抱えていることがわかるからと、そうした機関紙を薦めた、その機関紙内の幾つかの文章が引用されているが、そのどれもが泣けてくるような記事だなあ。
 しかし刑務所内で食中毒と思われる症状が700人近くに出ても、その事実を隠すようなそぶりをして、2週間後にようやく外から食べ物を持ってくるようして、炊事工場が消毒されたというのは遅すぎる、他の受刑者も山本さんも思っているように「人道的にいっても許されない」ようなことが平然と行われているという事実にはへこむ。現在は100年以上前にできた監獄法から、受刑者処遇法に変わったようなのでよくなっているとは思いたいが。
 あと解説にもあるように刑務所での障害者たちの処遇も良いものとはいえないのに(一般の囚人からすれば緩いが、介助的な意味で言ったら充分には手は足りていない)、塔の障害者たちは刑務所の外ではどこにも居場所がないから、『俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。誕生日会やクリスマス会もあるし、バレンタインデーにはチョコレートももらえる。(中略)ここは、俺たち障害者、いや、障害者だけじゃなくて、恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ』なんていっているのは心に刺さるし、泣ける。