買い物の日本史

内容(「BOOK」データベースより)

官位や身分に敏感で、それにかかわる情報を熱心に集めていた中世人。彼らはどのような経済感覚を持っていたのか。ばくち好きの侍、公文書を偽造した役人、勧進にはげむ地方土豪兼好法師―。「一遍聖絵」に描かれた市場での日常品から、朝廷の官位にいたるまで、中世人の購買行動から、当時の価値観や道徳意識、信仰心のありかたに迫る。政情不安な時代の生々しい実情と、人々の心性を浮かび上がらせる、新しい日本史。


 タイトルからして、とても読みやすくて面白そうだったので歴史の本としては珍しく買って直ぐに読み始めた。
 冒頭で「日本霊異記」の説話の1つから、奈良時代?(778)は野外あるいは差し掛け小屋があったかもしれないが、ちゃんとした宿泊施設もないところで一泊しなければ、市に来れないほど日常とはかなり遠い、孤立した場所にある特別な場所だったというのがわかる。しかし当時の市は現在から見たら貧弱で、互いに交易品を持っての物々交換が主だったようだが、当時の人には市は特別で豊かで活気あふれる場所に見えたんだろうなあと想像するとなんだかわくわくしてくるから、そうした古代の商業のシーンが光る小説があったらぜひ読みたいなあという気持ちが湧き上がってきた(笑)。
 「一編聖絵」に一編に剃髪をしてもらっている女房の姿が描かれているが、鎌倉時代の尼は髪を切ってショートにするだけといったイメージを持っていたが、この時期でも剃髪する人もいたのかとちょっと驚いた。ショートにする人と剃髪する人とでは区別があるような気もするが、ショートの方が俗に近いのは容易に想像がつくけど、性格にはどういった区別をしているのだろうなあ。
 冒頭の「日本霊異記」の市は孤立した場所にあったが、鎌倉時代末には市は背後に発達した町や村が存在しており人々の生活との関連度も増した。そうした市は土地としては不安定だが、交通の便が良い河川敷などに設置された。そうした市は、現代で言うとガード下の商店街みたいなものという譬えがあって、そうした場所に市を立てた理由もなんとなくで少しだけだがわかった気になった。
 中世の貨幣、銭一貫(銭1000枚)=米一石と一般に言われ、現代の価値に換算すると10万から20万円だが当時は貧富の差が大きいため、下の階級になるごとにその重みは増していく。中世のお金は高額貨幣が存在しなかったため1貫で3・5キロと重く、かさばるものだったため、金融業や信用取引が発達した。
 そして朝鮮沖で引き揚げられた日本へ向かっていた沈没船(新安沈船)には8000貫の銅銭が積まれていたというが、8000貫という数字を見るとそんなに凄いとは思えないが、その8000貫の銅線の重量を見ると28トン(!)もあると知り、非常に驚く。
 鎌倉時代に公卿に仕える侍の妻が別の公卿に仕えているなんてのを見ると、当時の公家社会は既に金がなかったんだなということがなんとなく察せてホロリとくる。
 中世ではそれなりに金を持っている人は位階・官職を得るために金を出したが、僧侶も僧位・僧官という同じような序列が存在して、僧侶も僧位・僧官を得ることを望んだ。それは『中世社会では聖俗を問わず、社会の正式な構成員としての立場をかためたと自認する者にとって、官位はその地位を示してくれる道標のようなものだったと考えられる。日常的に属している人間関係の輪の外に出たときに、一定の普遍性をもって認識される社会的記号として機能したのである。』(P69)というように、小さなコミュニティを超えた日本国内で普遍性のある価値・地位を得るために、中世では誰もがそうした肩書きを望み、その肩書きのために金を払った。そして中世の人たちは他の部分は現代から見るとルーズに見えても、官位や身分についてはそれを知らないと日常の応対や書類や手紙をやり取りする際の礼式にも関わるため非常に敏感でかつ熱心に情報収集をしていた。
 任官功は受領成功に比べて比較的小額の経費で下級の官位を得ることができた。そうした成功という売位・売官があったからこそ、官位への関心が社会一般に共有された。
 12世紀初頭までは任官の順番待ちが長期化しているなど、官位の希少性が保たれていたが、源平合戦で朝廷の集金力が落ち後鳥羽天皇即位は成功のみが財源となり価値が低下したが、更に承久の乱を境に成功価格の下落がひどくなった。朝廷の金の逼迫のためにどんどん官位が乱発されていき官位の価値は低下したが、同時にそのことが官位というシステムが広く普及する一因ともなった。
 承久の乱以前は左右衛門尉の任料は150貫程度だったのに、鎌倉時代の13世紀半ばには左右衛門尉の任料が7〜8貫と切ないくらいに価格が低下していった。 しかし鎌倉幕府御家人の任官管理の統制のためにも、御家人が官位を得る際には以前の官位の価格を出すようにと指導していたが、当然同じ官位でも普通ならずっと安く買えるので自由任官で安く官位を買うという行為が絶えなかった。
 しかしあまりの価格の下落が起こった理由には下級官人では分割払いを受け入れられないから価格が安くなったという理由があったので、金を持っていて分割払いを受け入れられる財力がある寺社とも協力することで、ある程度官位の価格を高く保つことができた。また、寺社がその官位売買に関わることで、以前は『成功金を支払うことによって、朝廷の主催する公事の一端を担うという一種の社会的充足感をも買っていた』が、『寺社が前面に出てくることによって、かれらの支払いの目的はさらに明確化し、神仏に寄与するという宗教的・内面的な性格をおびてきたのである。文書のやりとりや金銭のうけわたしを行うたびに、寺社側の担当者は神仏の功徳を語り、御家人の信仰心をかきたてるよう努めたであろう。神仏への畏敬は、幕府―御家人成功システムを維持するについて、より普遍的な動機づけとなった』(P148)ようである。
 幕末の時期では下駄屋や魚屋などが金を払って7位、8位に叙任してもらったので、そのくらいの位階では宮廷内では軽んじられたというのは納得だが、そうした低い官位でも持っていることで少しばかり悪いことをしても、与力同心が踏み込んで召し取ることができなかったというのは意外だ。
 『とにかく中世人は、余剰エネルギーのかなりの部分を神仏にかかわる分野にささげていた。さまざまな規模で催される法会や祭祀、興行などは、非日常の世界をあじわうことのできる貴重な機会だったといえようそれらに接すると、人々は感激し、すぐ泣くが、そのなかでも説経の占める位置は大きく、一流の説経師は聴衆を自在にひきつけ、だれもが感きわまって泣き出すところまでもっていたのである。』(P234)しかし説経に『感激して泣いてしまうのはまちがいないのだが、肝心の説経の内容が記されていることは、実はほとんどない。言語化されたものに心をうたれるというよりは、音楽を聴いたときにうけるような、非常に感覚的な心のうごかされ方だったようにみうけられる。』(P237)日記を書くような貴族階級の人たちですらそうなのだから、民衆ならより一層そうした感性的な感動であるんだろうなあ。
 京周辺に住むあまり身分の高くない女がひょんなことから仏舎利を手に入れたと称して、様々なショーをして当時評判になっていたようだが、中級貴族の平経高はその評判を聞いて、その女から仏舎利を売って、更にもう少し絞れると思ったのか夢で尼になれと啓示を受けたと彼女は述べて、彼女自身が出家する手筈を経高に整えさせた。前半は確実に商売としてやっているとわかるが、後半の部分は彼女は人の信仰心を商売にしているけど案外宗教心も持っていて資金も出来たことだし尼になろうと思ったのか、それとも正式に出家して尼姿になったほうが商売がより一層設けられると思って尼になったのかどっちだろうかと少し気になる。
 中世で鎌倉時代の浄土宗の僧侶信瑞が、本地垂迹説から神も贄を望んでいないと主張したが、神に獣肉を供えないと神罰が下るのではないかという恐れを表明したので、そうであるならば獣肉を供えるにしても自分のために殺されたわけでもない、市場の肉を買ってきて供えよと助言しているが、やはりこの時代の人でも自分が殺したわけでないということで、そうした市場で売っているものを買うことと、それを殺すこととは別個に考えていたのが、ああ現代と同じく肉は食うのに屠蓄と別個なものとして扱うなんて、この問題は随分と根深いものなのだなあと改めて考えてしまう。