死の家の記録

死の家の記録 (新潮文庫)

死の家の記録 (新潮文庫)

内容紹介

思想犯として逮捕され、死刑を宣告されながら、刑の執行直前に恩赦によりシベリア流刑に処せられた著者の、四年間にわたる貴重な獄中の体験と見聞の記録。地獄さながらの獄内の生活、悽惨目を覆う笞刑、野獣的な状態に陥った犯罪者の心理などを、深く鋭い観察と正確な描写によって芸術的に再現、苦悩をテーマとする芸術家の成熟を示し、ドストエフスキーの名を世界的にした作品。


 監獄物をなにか読みたいなと思って、かなり久しぶりに再読、読書メートル記録以前だから少なくとも5年ぶり。しかし「イワン・デニーソヴィチ」を読んだ記憶が鮮明で、また同じロシアということでそれと比較してしまうから環境が緩く感じてしまった。いやあ、枷を付けられ頭を罪により一定の髪型に剃られたり服装の配色が罪により変わったり、例えば上衣が全部灰色で袖だけ暗褐色とか上衣が灰色と暗褐色が半分ずつ(ズボンも同様に変な配色に)、など厳しいのではあるが、やはりソ連時代と比べるとね。あと「イワン・デニーソヴィチ」は監獄の日常の中の些細な幸せを描写していたり、とても厳しい環境で自力で上手くやっているのが面白かったけど、この本では貴族だからそれらに期待ができないという主人公の違いもあるが、この本では様々な印象深い囚人たちのエピソードが描かれていて、それがとても面白かった。
 序章でこの本の内容である手記を書いたのは、嫉妬に狂って妻を殺して流刑にされた男という設定だったと書いてあるけど全然生かされていないなあ。どちらかというと第二部四章「アクーリカの亭主の話――ある囚人の話――」で語られたシシコフの話がそれっぽい感じがする。しかし嫉妬に狂っての妻殺しも不幸なできごとと思われ同情されるという当時のロシアの民衆の精神的風土はかなり独特なものが、少なくとも現代から見たら少し理解しがたいものが、あるように感じる。
まあ、他にも解説にも書いてあるように最初は「妻殺しの男の苦悩」の物語にもなる予定だったが、その「主題は脱落して、シベリアの監獄のスケッチの記録だけが残り、長編小説の構想は心理的な習作やエピソードを含む一連のスケッチに分解した」ということのようだ。しかしその主題がなくなったのに、あからさまにその主題をほのめかしている序章はそのまま残っているというのは、現代の小説ではありえないだろうことでちょっと面白い。
 一応小説ではあるけど、解説によると『鏡に映るがごとく現実を再現するというロシア・リアリズムの政道を踏み、緻密な観察者の目を通して描かれた作品』(P563)とあり、大きなストーリーはなくエピソード、スケッチがメインの作品なのでおそらく細かな修正はあったとしても全ての話に大元の事実はあり、まるきり虚構のエピソードはないのだろうな。だから、非常にリアリティがあるから読んでいる途中でうっかりと一応小説だということを忘れていて読んでいたら、ふいに、そういえばこれ一応小説だったと気づいてちょっと驚いた。
 冒頭のシベリアの良さを列挙している場面で「気候は素晴らしいし」と最初に気候をあげて、更に土地が肥沃だと語っていることには、シベリアには不毛の凍土のイメージを強く持っていたので、ちょっとえっと驚いてしまう。そんな描写を見て、以前テレビか何かでロシアの何処かで永久凍土があるおかげで豊かな森林があるというのをチラッと見たことがあるけど、あれってシベリアだったのかしらと思ったりした。
 しかし地理とか歴史に詳しくないから知らないけど、シベリアとロシアは別みたいな書きかたをしているが、実際にロシアとは違う民族の地だったのか、それともあまりにも辺境だからそういう書き方をしているのかどっちだろう。
 父殺しの罪で流刑にされた貴族出のある囚人は、道楽息子で借金を子さえており父はそれにたえず叱言しており、また父は金があると見られていて、その金欲しさに父を殺害した。その後放蕩の限りを尽くしたが、一ヵ月後父が行方不明だと警察に届け出たが、警察が彼の留守中に調べたところ、下水の中に死体を発見したが、その死体は服を着せられて首が切られているが胴体にくっつけておかれ、その下に枕があてがわれていた。そしてその罪で20年の流刑を処されたが、常に上機嫌ではしゃでいた。そして自分の家系が代々体格がよく身体が頑丈という話から、「たとえばおれの親父だが、死ぬ間際まで、どこが悪いなんてこぼしたことは、一度もなかったよ」(P30)といっていたというのはひどく印象的で、ちょっと理解できない思わず恐れが沸くような人格だ。だが後に真犯人が別にいることが判明して、彼が無実の罪のために十年間監獄にいたことを知るとまた別の感慨が呼び起こされる!しかしそのことを最初の部分を書いた後に知ったからなのか、その後に知った事実を書いた部分はやたらと弁解するように、手記の著者は手記に『もちろん、わたしはこの犯罪を信じなかった』(P467)という言葉が書いてあるといったり、悲劇だと嘆じたりしているのがちょっと笑えてくる。そして解説の最後に彼がドミートリー・カラマーゾフを思い起こさせると書いてあり、ああ!なるほどと感じると同時にドミートリーのその後はこんな風に監獄の中でも明るかったのかなと思ったりした。
 囚人は道具類を持ってはいけなかったが、実際には隠し持ってそれでひそかに仕事をして、監獄で職人になる人も多かったというのは、「イワン・デニーソヴィチ」に出てきたソ連の収容所みたいな感じで面白いが、ある意味伝統なのかなあ。金を手に入れると囚人も気持ちも安まったが、検査のたびに所持品は没収された上に罰を受け、また多くの金を持っていることは(盗まれる危険もあり)難しいので、ひそかに監獄内に持ち込まれた酒を酔いつぶれるほど飲んで、大事に溜め込んだ金を一気に浪費するというパターンが多かったようだ。特にそうして金を放出する日は祭日などである。祭日用に新しい服を買って着て、そして牛肉や魚を買いシベリア風ペリメニを作ってもらって食べ、その後酒をかっくらい、新しく買った服をはした金で売って酒を飲むという浪費をするというのは、一点豪華主義というか、一日豪華主義というか(苦笑)。
 監獄の食事については、野菜スープは粗末だがパンは特別に美味しく、また牛肉も金を払えば入手することができた。おそらく牛肉や魚などは黙認されているだけで本来は許されない行為だろうが。それにしても冬には牛肉500グラムが半コペイカで買えたというのは、当時のロシアの貨幣価値が1コペイカが現代でいえばいくらくらいなのかは知りませんけどすごく安い、……と思う。例えば毛皮外套は3年に一度支給されるが、3年が経過して下げ渡された粗布と化し、つぎをあてて惨めな姿になった外套が40コペイカほどで売れたというのだから(もっとも「粗布」というのは貴族である「わたし」の印象だから、実際のところがどの程度のものか不明だが)。しかし「わたし」は毎日牛肉500グラムを買っていたというのは、本当に金があれば腹が減って困るということはなかったようだ。
 風紀取締りのために獄中に居住している下士官や廃兵は、そうした祭日に行われる酒宴などを大目に見ていたようだ。
 酒は良く洗った牛の腸に入れて「身体のもっともかくされた部分に」巻きつけて持ち込むというのはなんだか、読んでいるだけでいまいち飲む気がしなくなるような(笑)。
 大人しく純朴な男だというシトローキンは徴兵されて新兵として過ごしていたとき上官に虐められ続けていたので、自殺しようと思って二度ほど重厚を胸に当てて引き金を引いたが両方とも不発で自棄になって、その気分が収まらない30分後に隊長がやってきて怒鳴りつけたから、銃剣をそいつに刺して殺したというその殺しの顛末は非常に現代的というか、容易に理解や共感ができる理由なので、シトローキンに少なくない好感を覚える。
 自由社会でどん底の暮らしをしている人が苦しく窮屈な自由社会から逃れるために、わざと罪を犯す人がいる。そんな人にとっては監獄はパンもたっぷりあるし、祭日ごとに牛肉が出て、施し物にありつけ、ひそかに仕事をして小銭を稼ぐこともできるから心地よい場所だというのもまた非常に現代でも問題になっていることが既にこの時代にも発生していたのかと驚くべきか、それから150年経ってもいまだ解決されていないどころか、現代的な問題となっていることを嘆くべきか。
 逃亡兵上がりの札つきの強盗で顔色を買えずに老人や子供たちを惨殺したといわれるオルロフは強い気力によって肉体を押さえているような人間で、主人公が彼の話を聞いて、彼の悔恨の情をさぐりだそうとしていることに気づくと『さも軽蔑しきったような傲慢な目で、じろりとわたしをにらむのだった。まるで、わたしが急にばかな子供になってしまって、大人なみに話の相手もできない、とでも言いたげである。その顔には、わたしをあわれむような色さえうかび、そして一分ほどすると、大声をあげてからからとわらうのだが、それはじつにすかっとした笑いで皮肉のかけらもなかった。きっと彼は、一人になってから、わたしの言葉を思い出しては、何度かにやにやしたにちがいない』(P106-7)彼は悪党であるが、開き直りでも図太いのでもなくただ良心がなく、一般的な価値観が自身の倫理規範として根付かなかったというようなその型破りさにはある種のすがすがしさを感じ強い印象を与える。
 美しく純真なイスラームのチェルケス人アレイにロシア語を教えてあげて、彼はとんとん拍子でロシア語を習得して、そのことでアレイが「わたし」にわっと泣きながら抱きついて「あんたはおれにどれほどのことをしてくれたか、どれほどのことを」と言ったというエピソードはアレイが純粋な勉強の喜びを覚えていたというのが伝わってくる。そうした勉強に喜びを感じているエピソードは、なんかひどく純粋でこのうえなく美しいもののように感じるから本当に好きだなあ。個人的には勉強なんて嫌いなんですけどね(苦笑)。
 囚人たちは作業自体が有益で価値がありノルマが決めてもらえそうだとなると熱心にそのノルマをこなそうとするが、囚人たちを遊ばないように何の目的もないような仕事にノルマもなくつかせると、文句を言いながらだらだらしていた。しかしそんな仕事でもノルマを決められると、そのノルマが少し難しくとも(また難度を高めるだけで意味がなくとも)それをこなすために張り切り、熱心に立ち働いていたというのはなかなか興味深い。
 囚人たちは上官を敬いたい気持ちを持っているから、あまりなれなれしく、親切すぎる態度をとられるのを好まない、彼らが好むのは風采が立派で、堂々としていて、公正で、威厳を保っているというようなことを好む。というのは、まあ、囚人じゃなくても普通そうなんじゃないかな。
 ペトロフは滅多に口争いもしないが、脚絆という小さなものの分配でもめて口論になって彼が本気で怒ったら、血の気が引いた顔で何も言わずに相手方に近寄ずいていったというのは怖いな。しかし近寄ってこられたほうも怖いと重ったのか脚絆を投げてよこしたのだが、それだけでは格好がつかないから相手方は罵倒していたが、ペトロフはその罵倒は馬耳東風で脚絆を拾って満足のていであったというのはいいね。個人的にこうした普段は大人しいけど、やるときにはあらゆる枷を設けずに本気でやるというようなキャラは結構好きなんだな。こういったキャラを好きになった理由には物語で主人公とかがやり込められているのは好きじゃないということもあるかな。あと、個人的には自分の性格の駄目さは変わられないけど許せない一線には毅然とした、どうしてやっても引かない人になりたいという一種の願望、憧れがあるからかな。
 ユダヤ人イサイ・フォミーチ、監獄をついた早々でこわごわとした様子なのに、早速彼から金を貸りようと質草を持ってきた男に対して、その質の価格とか利息についてとかは声が震えてもしっかり主張しているのはすごいわ。元々宝石工で金貸しでもないはずなのに、なんだねそのプロ意識みたいなものは(笑)。所作が滑稽で無邪気であるため、彼は金貸しをしていたけど囚人みんなから愛されていたというのは凄いな。でも、彼のエピソードを見ていると決して憎めないというのが良くわかる、マスコットキャラ的な可愛さのある男だ。
 クリスマスは仕事も休みになって、町から不幸な人たちに多くのパンや菓子の贈り物がなされそれが皆で等分にして、そして食事についても野菜スープ日一人当たりほとんど一ポンドの牛肉が入って、キビ粥も煮られてバターもふんだんに入れられていた。
 クリスマスのときに、ワルラーモフが「わたし」から酒代を貰おうと同情を得るために、ちょっと講じたが、その日は彼の後ろにブールキンという彼と普段全く接点がない(また、外見も正反対といった感じ)のに朝からずっとついていて、ワルラーモフが何か言うたびに嘘だ、嘘だと声を張り上げていたが、ワルラーモフは彼を全く気づいていないかのように振る舞い無視していたが、「わたし」から金を貰って酒屋へ行こうというときに、彼はブールキンに「おい、行こう!」と親しげに声をかけているのだが、ブールキンのあまりの振る舞いに同情したのかもしれないが、なんだかそういう芸風で2人で酒代を集めているようにも見えてしまい何だか笑える。
 そしてクリスマス休みに囚人たちが自分たちで演劇を企画して、前から練習していた芝居を何回か公演したが、娯楽に飢えているということやクリスマス独特の雰囲気もあっての、どの会も大入りで、割れ木を壁際においてその上に登って前の人の肩に手をかけてその格好で芝居を見るという人や出窓の上から芝居を見る人がいた。その芝居をわたしはチェルケス人アレイと共に見ていたようだけど、彼が楽しんでいる姿があまりにも魅力的だから、何か面白い場面があったら彼のほうを見ていたというのはなんだかいいなあ(笑)。まあ「わたし」だけでなく、いつもはしかめ面をした不平屋の年輩の男もにこにこと笑いながらアレイのほうを見ていたというほど、アレイは純真さを持ち魅力的な人間のようだ。
 サディストのジェレビャトニコフ中尉は笞刑前に、同情してもらい手加減してもらおうとする囚人に対して、情け深いことを言い理解を示すふりをする。しかしながら笞刑を行う段になると、兵士たちにやつを打ちのめせ!思い切り打て!と声を張り上げて叫びたて、それで悲鳴を上げている囚人をみながら両手で腹を抱えて背をまっすぐにできないほどに爆笑しているというのは、ゾッとするような情景だが非常に印象的だな。
 シシコフは気が小さく弱いが気まぐれで、熱心に話していたと思ったら別の話に言ったり、あるいは話を止めたりするような人間で、そんな彼が夜中に病院で隣のベッドにいる囚人に、自身が妻アクーリカを殺した顛末について語っている。アクーリカは金持ちの家の娘だったが、アクーリカとかつていい仲だったフィリカという男が良心が死んで転がり込んできた財産を放蕩しながら、アクーリカと婚前交渉したと町中で言いふらして、彼女の評判を地に落とした。そのことでアクーリカの老父が、彼女と結婚させようとしていた年嵩でしっかりした町人には結婚することを断られた。シシコフも彼にくっついて酒宴などの馬鹿騒ぎに混じって金を浪費していたので、彼の母はキズモノと評判になっていたアクーリカを嫁に貰えば、評判が評判なのでついでに金もつけてくれるということで、目先の金に釣られてシシコフは彼女を娶った。しかし彼女は実際には処女だった、それなのに彼女は悪評に何も言わずに耐えていた。しかし彼がその後フィリカとあったときに、フィリカに馬鹿なことを吹き込まれて、彼はアクーリカに殴ってしまう。またその後も散々フィリカはシシコフに会うたびにアクーリカのことでなんやかんやといってくる、そのたびに彼はDVをしていると、それが癖になってしまった。その後のフィリカはある町人の身代わりとして徴兵される代わりにその家で傍若無人に振舞っていたが、彼は徴兵に行くときにアクーリカに愛していると告げ、彼女もそれを許した。そしてシシコフがフィリカに対して優しい言葉をかけたことをなじると、彼女は「いまはあのひとが、世界じゅうのだれよりもすきなんだよ!」と言い放った。そして、その日の日暮れにシシコフは彼女を殺したというのはなんというか救われない話だなあ。結局シシコフは余計者だったということかなあ。勝手な推測だけど、フィリカはアクーリカが別の男と結婚することを阻止して、キズモノと見せかけて散々に悪評を立てて、自分のところに大金と共に彼女を手に入れるためにこんな変な芝居をうったのだろう。そしてアクーリカは悪評を立てられる前は依然として彼に好意を抱いていたのではなく、既に彼への恋情が冷めたあとだと思う。だからフィリカはあんなに大騒ぎして、傷つけようとする反面、再び自分のものにしようとあんな本気の芝居をしたわけだと思う。そして結局アクーリカは金目当てのシシコフに掻っ攫われて、フィリカがアクーリカに本当に愛していると述べられたのはいよいよ軍に入るとなった最後の最後のときというのは、彼はひどい人間ではあるが、最後のその場面だけはいいな。
 ゴミや汚物を運び出すための馬が死んだので新たな馬を買うということになったときに、どの馬を買うかを囚人たちに任せたのだが、あたかも自分たちが自分たちの馬を選べるということで、囚人の誰もが真剣にそしてうれしがりながら馬を見定めていたというエピソードはなんかちょっと良いな。
 「わたし」が子犬の頃に拾ってきて育て、可愛がっていた犬が、その毛並みを皮なめしを仕事(内職)としている囚人に関心を示され、殺され毛皮にされたが、その犬を殺した囚人がその毛皮を半長靴の裏皮として使い、それをわざわざ「わたし」に見せてきたというのは、説明することで恨みを抱かせずに気分を鎮めようとか、そうした心積もりだったのだろうけど、それはひどくグロテスクだ。
 食事がワンパターンで貧弱なものになったので、それに囚人たちの多くが抗議しようと集まっていたが、「わたし」はそれを検査か何かのためにあつまっているのかと思って、そこに加わったら、胡散臭げに見られて嘲笑されつつ、他の貴族や抗議を無意味と思っている連中や炊事夫がいる調理場へとすごすごと連れて行かれたら、「わたし」がそこへ一度行ったことに驚いたMが「わたし」にその集会について説明している場面はなんか好きだな。しかし貴族たちは単なる自分たちは金を払って、牛肉とかを購入できるからということだけでなく、彼らが参加すると首謀者と見なされてきつい罰を食らうという理由もあるのね。
 しかしこの監獄で主のように振舞っていた少佐が古い罪状まで暴かれて、全財産を持っていかれてしがない文官にまで落ちぶれたというのは、このエピソードも実際にあったというものなら実に小説的なエピソードで面白いなあ。
 シルキンは監獄から脱走囚が出たという疑いを抱いたときに自分が脱走囚の仲間だと思われて、罰を受けるのを恐れて、脱走の疑いを報告するまでの心のうちで色々と考えているのは面白いなあ。そして脱走した人間が出たと知ったときの獄中の興奮ぶりとつかまってからの落ち込みは極から極へと行くね。しかし脱走に賛同した兵隊のコルレルが、今度は自ら囚人になるというのは、脱走が成功してもろくにリターンがなかっただろうだけに、その転落は当然のことでもあるけど哀れだなあ。
 「わたし」は出獄近くなると、色々なことが緩くなったので、町にいるかつての知り合いから手紙をやりとりでき、更には本を手に入れることができた。そのとき数年ぶり(!)に本を読んだときの喜びと集中はいかほどであっただろうか!