終物語 下

終物語 (下) (講談社BOX)

終物語 (下) (講談社BOX)

内容(「BOOK」データベースより)

“それがきみの―青春の終わりだ”大学受験当日の朝、北白蛇神社へ向かった阿良々木暦。彼を待ち受けていたのは、予期せぬ笑顔と最終決戦の号砲だった―。すべての“物語”はいまここに収束する…。

 ついに本編最終巻。やたらと読むのに時間がかかってしまったけど、ようやく読了。ただ読みにくいとかじゃなくて、もう最近はページ数が400とかになると長く感じて読む手が遅くなってしまうことが主な要因。まあ、ページ数は400ないけど2段組だから、文庫版に直したら400ページオーバーだろうから。
 冒頭の八九寺と久しぶりに再開して、地の分で以前とは違う大人になったんだと長々と言い訳・前振りをしてからの一気にいつもどおりの犯罪的なコミュニケーションをする流れは読めてたけど、前振りのあまりの長さには思わず笑ってしまった。
 「浪白公園」という名称の読みである「しろへびこうえん」というものが、この町の歴史、そして現在のような状況下になった一因だったとは思いもよらなかった。もちろん名前の読みについて何回か触れていたので、なにかあるかもなとは思っていたが、それが思いのほか大きかったから驚いた。しかし「しろへび」は読めんわあ、想像付かんわあ(苦笑)。
 しっかし物語シリーズが地獄とか死後の世界が実在する世界観だとは思わなかったわ。そして賽の河原での石積みは永遠に続いたり自力で高速に石を積み上げる必要があるとか出なく、いつか地蔵菩薩によって救済されるというものなのだということを今回はじめて知った(笑)。
 そして臥煙さんは死後の世界、地獄でのことまで計算づくだなんて、彼女は思った以上に手の届く範囲が広いなあ。
 忍野メメはどこにも属さない風来坊のようでいて、臥煙さんのネットワークの幹部クラスというのはかなr意外だ。なので、正弦の「あの男ほどに、幹部という言葉が似合わない奴もいない」という言葉には自然と首肯してしまう。
 無理やり逆バンジーにつき合わせて、八九寺を現世に連れて行くとは無茶するなあ。こうした命綱なくて、落ちたら確実に死ぬ(まあ、既に死んでいるけど)という描写は文章を読むだけでも恐怖を感じてしまう。しかもこの場合は足場がないから尚更、そう感じる。
 斧乃木ちゃんが忍が完全復活したから、幼女状態に悪態をついてきたけど身の安全を確保するために態度を豹変して低姿勢をとる体勢に入っているのは笑った。
 「『正しいことだけをする』というのは、とても難しいです――正しいことをしようとすると、付属して、間違ったこと、正しくないこともしなくちゃあならなかったりします。正義を追い求めるあまりに不正に手を出す例など、新聞をめくればいくらでも載っていますよね。』(P205)この扇ちゃんの言はいいなあ、思っていたけど言葉にあらわしたことも、あらわしたものを見たこともたぶんないので、こうして簡潔にそのことを言ってくれている文章を読むとなんだか少しうれしくなる。
 影縫やファイヤーシスターズなど正義の味方は、正しいことをしているというより、間違いを正して、糺しているというのは言葉遊びなのかもしれないけどちょっとなるほどと思えた。
 扇ちゃんと話していて記憶や認識が色々と変えられているように感じたのは、彼女が阿良々木くん自身でもあったからだったのか。それから忍野扇が阿良々木くんに厳しかったのは、彼自身の自罰的傾向故のことだったということがわかり、そうした部分は今まで単に不快だったのだが、なるほどと合点がいく理由が説明されたことで、不快だったその分だけそうしたきちんとした理由がわかったときに爽快感を感じる。
 扇が生まれたのは初代の忍のパートナーとの戦い(つまり前回の内容)の後か、刊行順が時系列どおりでないから、細かい時系列の順序が良くわからなくなっているなあ。
 最後にちょろっと忍野メメが再登場したのは、名前は出てくるけど最後まで結局登場しないと予想していたのでちょっと意外に感じた。
 阿良々木暦は幸せになるために試行錯誤でチャレンジと後悔を繰り返していくんだという姿勢を持つようになった。それは、ある意味常識的で目新しいことのないことだが、今後ぶちあたる準備不足が当然という状況で果敢にチャレンジしていき、楽なショートカットを探そうと無為な時を過ごさずに、つねに課題と向き合って多くの後悔をしながらも幸福を目指すというのは大変なことだろう。たとえ暦が怪異と向き合った一年の後に得た認識や姿勢が、そうした模範解答的なものであっても、それは十分に刺激的でチャレンジしがいのある大くて目指すに足る目標だと思うよ。でもまあ、なんというか暦は精神的に大人になったのだなあと感じて、ちょっとさびしい気持ちだ。