日本建築集中講義

内容(「BOOK」データベースより)

先生役に路上観察眼をもつ建築家・藤森照信氏、聞き手に平成の絵師・山口晃氏。その二人がニッポン各地の名建築13件を見学してあれやこれやを発見したり、建築の魅力を語り合う対談&エッセイ漫画。脱線上等?!愉快な妄想も暴走?!時に大マジメに、時にユーモアたっぷりに、眼のつけどころが違う二人が伝統建築の魅力を再発見!


 HONZでその存在を知ってからちょっと気になっていたが、最近いつも行く図書館に入ったようなので読了。
 ある建築物を観てから対談でその建築物について語るという構成。流石に建築の専門家と画家というだけあって、感想が具体的だし表現が卓抜。そういう人たちがその建築で良いなあと思っている部分を語っているのを聞くのはとても面白い。それにその建築が魅力的に語られて見に行ってみたくなる。単なる建築の解説ではないこういう建築についての本が他にもあったら是非読みたいと思える本。
 「法隆寺」。縄文時代は材木に栗を使い、檜を使い始めたのは弥生時代から。檜はカビが生えたり分解されたりしないが、油分が多いから燃えやすい。そのため『檜を建築に使う国は日本だけでしたからね』(P12)でも「でした」ってことは現在はどうなの?そこが少し気になるな(笑)。
 藤森『「法隆寺の建築はエンタンシスで、ギリシャとつながっている」という話をしていたけどあれはウソ。』(P13)エンタンシスは上に行くほど細くなるが、法隆寺の柱は真ん中がが膨らんでいて太い「胴張り」という法隆寺しかない技術。
 エンタンシスと呼ばれているのは、辰野金吾の弟子の建築史家伊東忠太法隆寺を見て、ギリシャ神殿から来たと直感したから。しかし伊東忠太が3年かけて中国からギリシャまでの地域を探しても証明できなかったことが、いくら先駆者の直感とはいえ、現在まで巷間に流布しているというのは面白いな。
 「日吉大社」。山口「見どころばかりで、見るものすべてがシャッターチャンス状態」藤森「至るところが庭って感じ」。水と苔と樹木と建物全てがとてもマッチしているようなので、行ってゆっくりとそこで一日潰してみたくなった。
 「旧岩崎家住宅」。藤森『住宅にベランダを造ることは、ヨーロッパでは基本的にはしない。ベランダというのはもともとは、インドとか東南アジアで生まれた植民地的なもの。』(P56)ベランダがインドや東南アジアで生まれたものだとは以外だった。しかし『風通しもいいし。暑さを凌ぐために、寝るとき以外はそこでご飯を食べたり昼寝したりしていた。だから、イギリスみたいな寒い国には基本的にないんですよ』(P56)元々そうやって暑さをしのぐための場所ということだから、ヨーロッパ生まれではないというのにも納得だ。
 「投入堂」。観に行ったときは雨上がりで天気が良くなかったようだ。山口『天気がよかったり光線が強いと、ものの表面で乱反射が起こって、実際よりも白く見えちゃうんです。今日の投入堂では、葉も岩肌も色が反射せずそのものにピタッとくっついたような見え方をしていました。』(P71)しかし投入堂、あんな変わった形であるのに自然と一体化しているというのは是非一度生で見てみたくなってくる。
 「聴竹居」。何から何まで細部にいたるまで作りこまれた建築を見て、藤森センセイが『作品を見るのはいいけど、こういう建築家とは友達になりたくないね。』(P89)といっているのがちょっと面白かった(笑)。
 「待庵」。茶室研究の最高峰の先生でも洞床の構造がわからず、二度と元に戻らない可能性があるから解体修理が行われないというのは面白い。どれだけ特殊な構造なんだと驚くわ。
 畳を切って、炉を埋め込んでいるが当時畳は高級品だったから、それを切るのは革命的だった。
 茶事は4時間だそうだ。だから、『その人の持っている教養から何から全部出ちゃう』。藤森『無口で、教養もめちゃくちゃあって、すごく上手に茶を点てるわけだもんね。僕がむしろ感動するのは、秀吉がそれについていけたってこと、あの人、教育なんかまるでうけてないんですよ。それが国際都市・堺の商家出のインテリで禅の修養もした離宮と世時間いて、逃げ出さずに済むばかりか、彼を最も愛し、理解するまでにいたったんだから、そういう意味では日吉丸はすごい。さすがに時には「この野郎」と思っただろうけど(笑)』(P125)そう言われると秀吉すごいな。
 「修学院離宮」。桂離宮。藤森『洲浜から上陸したところがあの世ですから、洲浜はあの世の外観を示す数少ない例。で、謎なのが、洲浜という海洋的なイメージがあることです。もちろん中国にもインドにもヨーロッパにも例はない。』『清浄な砂石=あの世とこの世の接点としてのイメージとされてきた。』『伊勢神宮もそう。境内に全部意思がしいてあって、一個一個きれいな巾で全部清める。』(P135-6)知らなかったけど、そういうのがあの世の日本的なイメージなのか。
 「箱木千年家」。藤森『縄文時代、今より温暖だったからマラリア蚊がいた可能性があって。その場合、蚊を避けるための方法は、煙を焚くしかない。私は自家用縄文住居を造ったことがあるんだけど、室内で焚いてた火が途絶えたとたんにかがブワァーと来る。』『で、ちょっとでも煙が出ている間は来ない。だから常時火を焚いていた可能性があるでしょうね。』(P184)蚊対策で囲炉裏で火、煙を焚いていたのかもという推測は面白い。そして家の火を絶やさぬという風習はそういった理由からもきているのかなとちょっと思った。
 「角屋」。青貝の間には青い土壁に螺鈿細工があるというのは吃驚してしまう。「角屋」の室内写真が載った本があるということだから見てみたいな。新品で入手できて高すぎなければ買おうかな。
 「松本城」。当時の城は行き当たりばったりに作ったので、梁の上に柱があるとか平気でやる。姫路城なんて一番大事な柱が梁の上に載っていた。しかし材を大量に使っているからかなり頑丈。
 「西本願寺」。照明が低く据えられているため、山口『金箔でも金泥でもみんな絵の奥のほうからやわらかい光が差し込んでくるような効果を生んでいて圧倒されました。』(P260)そういった奥行きを生む金の効果、一度見てみたい。