ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史

内容(「BOOK」データベースより)

自分が描いたということにこだわらなかった「鳥獣戯画」の作者たち。人も文字もデザイン化された白描画の快楽。「伝源頼朝像」を見た時のがっかり感の理由。終生「こけつまろびつ」の破綻ぶりで疾走した雪舟のすごさ。グーグルマップに負けない「洛中洛外図」の空間性。「彦根屏風」など、デッサンなんかクソくらえと云わんばかりのヘンな絵の数々。そして月岡芳年や川村清雄ら、西洋的写実を知ってしまった時代の日本人絵師たちの苦悩と試行錯誤…。絵描きの視点だからこそ見えてきた、まったく新しい日本美術史。

 これもHONZで見て少し気になっていたが、この間「日本建築集中講義」を図書館で読んで他に山口さんの本をないかなと探したらこの本があったので、この本が山口さんの著作だとは知らなかったが、ちょっと気になっていた本だったので早速読みはじめた。
 大きくカラーで本文中で言及されている絵が載せられているのは嬉しい。
 「鳥獣戯画」かつて上手すぎてあまり好みではなかったが、『わざとらしい個性、ニュアンスを出したもの』に比べれば『しっかりと技術のある人が描いた絵は、上手さへの志向が素直で、とても潔いものであると感じられ』『そのように見てみれば気取りやがってと感じられたものが、次第に好もしく思えてきた』(P16)と宗旨替えした。うん、個人的にもわざとらしい個性よりも普通にうまいほうがいいな。
 また鳥獣戯画は甲乙丙丁の4巻あるが、それぞれ作者が違い、書いた年代も違う。前の巻の存在を知って自分でも色々と書いた、同人誌的なもの。
 『中国だったら場面が変わる際には、薄墨を入れてぼかしたり、イリュージョニックな空間を描き込んでいくでしょう。「鳥獣戯画」では、そのような事を全くやっていません』(P29)そういうのは中国の巻物とかと同じだと今まで思っていたけど、場面転換を明確に区切らないのは日本独特なものなのか。
 白黒の絵に一点色を入れるのは相当難しく、上手くやらないと色を入れたことで白と黒で保たれていた絶妙なバランスが崩れ、白黒で完成度の高い絵が彩色した絵の一番下のランクに落ちてしまう。そして成功する例は稀ということで、そうした一箇所だけカラーを入れることの難しさをはじめて知った。
 「伊勢物語絵巻」かつては現実にはありえない、ある型押しされた、ポーズを人物に取らせていて、それで絵全体の調和が取れていたが、明治以後「写生」を取り入れたことで、絵全体が空間でなくなってしまった。
 「雪舟」日本風水画の大もとで、後に当たり前になってしまって、彼の個性や新しさが見えなくなっている。『いきなり「天橋立図」をみせられても「なんか、ぼそぼそしているな」と云う印象が強いですし、「破墨山水図」なども、水墨画と云うのは何が描かれているのか分からないと揶揄される元となっているような絵です。つまり、西洋画の歴史を知らない人がキュビスム以降のピカソの絵を見て、「これの何がいいんだ」というような感じです。』(P84)雪舟の良さが正直今まで分からなかったけど、そう感じるのが当たり前のように書かれていてなんだかほっとした。それから巨匠というイメージがあるので、つねに前のめりで新しいものを取り入れようとしていたので『ある完成しきっていない部分がある』というのも意外だった。「慧可断臂図」この絵で描かれている達磨と慧可の2人のような、ああいう目は不思議な目だとは思っていたが、横顔だが目は正面から見たように描かれているという指摘は、そういう書き方としかおもっていなかったので、目から鱗。また、この絵の慧可の耳は後ろから見た耳ということで、色々な方向から描かれたパーツが合わさっているようだ。晩年の絵でも雪舟の絵はまとまってないが、そのまとまってなさから、前のめりで新しいものを探し続ける姿勢が見え、それが魅力とあるけど、それはそうかもしれないけど「まとまってなさ」と書かれるとそれはいいのかと思わず苦笑いしながらクビをひねってしまうような気分になる。
 「洛中洛外図」日本史でも2個くらい別々のものが出ていたから複数あるのは知っていたけど、室町時代から明治に至るまで長い年代で数多く作られてきたとは知らなかった。
 雲で途中を省略することによって、京都のめぼしい建築物などを限られたスペースで書くことが出来る。京都全部を書くのではなく、雲で途中を省略しつつ描いている。ただ京都の全体巻を出すために民家も大幅に省略しながらも他の建築物の脇に少しだけ書いている。
 「松姫物語絵巻」室町時代には『割合お金持ちの人が、良い紙に良い墨、良い絵具で、地なども能書家を雇ってちゃんと書いているのに、絵だけをどうしようもない素人に描かせるという趣向がどうもあったらしい』(P152)というのは面白いなあ。子供っぽい絵だが嫌いじゃないよ、これ。『室町時代が面白いのは、狩野派、土佐派と云った高度な技術に支えられたカチッとした絵がある中で、こうしたぐだぐだの絵にわざわざお金をつぎ込むと云う、その美意識のあり方です。大陸から来た障壁画や墨絵などを愛でる一方で、「待つ姫物語絵巻」のようなものにも価値を認めていた。/後の時代の侘び茶や、後の文学や浮世絵などでの「やつし」などにつながるような意識が、その頃にもあったのかもしれません』(P164)室町時代からそのようなものがあったとは知らなんだ、でもそういうのを楽しめるメンタリティーを持っていたということで、室町時代人にちょっと好感が持ててきたかも(笑)。
 「岩佐又兵衛」『岩佐又兵衛の特徴は、なんと言ってもその絵の暑苦しさ、クドさであり、人物がいように「キャラ立ち」している事です。』(P174)この人物の紹介を聞いて、あっ、そういえば「へうげもの」に出てきていたなと思い出したが、画人としての彼がどういう人だったかについてはほとんど知らなかったが、こういう紹介を見るとこの本に載っている絵だけではなく、他の絵も見たくなってくるな。
 ジャポニズム、日本美術の影響の大きさよりも『むしろ、あれだけの写実帝国を築き上げながら、一小国の美術に目を向けた西欧の感受性に目を留めるべきであり、自らの屋台骨をぐらぐら揺らしながら方向転換を図った行動こそ見るべきなのです。』(P183-4)今まで、そうした西欧が日本美術に目を向けた感受性なんかについて考えたことがなかったが、改めて考えると全く自分の国とは全く違う日本の美術の良さを感じることができ、更にそれらに影響されて新たな表現を作ろうとした人が幾人もいたというのはとてもすごいことだな。
 「河鍋暁斎」近世日本絵画の保管庫のような存在。