写楽 閉じた国の幻 上

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎―。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは…。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。

 この本は「改訂完全版 占星術殺人事件」を読む前に、文庫版が発売したときに、いつ出るか、そもそも出るのかもわからぬ「改訂完全版 占星術殺人事件」を待ち続けて、ずっと島田さんの本を読めていないから、そろそろ読まなければなと購入していたのだが、その後もでもなあ……と迷っているうちに「改訂完全版 占星術殺人事件」が出てそちらを読み終えて、ようやくこの本にも逡巡することなく取り掛かれるようになった。とはいえ、その本を読み終えてからこの本を読み始めるまでちょっと間が空いてしまったんだけどね(笑)。
 「現代編?」
 事故が起きたあとの対応を見ると、息子が死んだ直後に主人公の佐藤を責める態度を露骨にとるなんて、妻も妻の父もとんでもない奴だなあ。第一にそんなことを口走るなんて、彼らの人格がよくわかるよ。しかし妻の父は、娘を他にいい人が居ないからといって見合いで主人公とくっつけたが、そんな投げ売りめいたことをした。妻は彼と結婚したことについて憤懣を抱いているのに、自分をそんな男と結婚させた父の代弁者で操り人形めいた感があるのは、ちょっとだけ哀れだ。それに妻千恵子は、人格がアレだけど主人公の両親の介護にも行ってくれていたようだから(たとえ人間の真価は極限の状況で出ると俗に言われても)単純には責めることはできないけどね。本来だったら他の人がなだめたり、普通に離婚すればいいのだが、父親が権力を持っていて父もその意見に同調しているから、彼女の態度や言動が非常に暴力的なものと化している。
 片桐教授、最初のうちは父娘の回し者かなにかかなと疑ってみたり、そうでなければ普通の人から見た探偵の傲慢さや不気味さを感じさせるような人物かなとも少し思ったが、主人公佐藤が彼女を受け入れていくにしたがって、そんな疑いが薄らいでいった。そして現代編は魅力的な人物が居ないなと思っていたが、片桐教授は魅力的なキャラクターだと思えるようになってきた。
 なんとなく勝手な印象なんだが佐藤と片桐教授が会話しているシーンを見て、なんとなく西之園萌絵森博嗣S&Mシリーズ他)が事件関係者に話を聞いているみたいに思えてきた。話し方とか性格とかなんとなく似ているような。彼女は魅力的だけど佐藤とくっつくことはないだろうなあと思うし、佐藤を犀川と見るには流石に無理があるからね。
 写楽はデビューした当初から黒雲母刷りという、超一流の人気絵師並みの、特別の待遇を与えられていた。浮世絵師として活動していた期間が短期間だったということはしっていたが、最初から特別な待遇が与えられ、またその期間中に出した浮世絵の量も非常に多かった(2日に1枚くらいのペース)とは知らなかった。たしかにそれは謎だなあ。しかし写楽の謎を知れば知るほど、そんな特別なことをした蔦屋の見る目はすごいと感じるようになっていくな。
 そして他の浮世絵師たちについては『有名無名を問わず、どのような絵師も、おおよその素性、すなわち生地や生年、生い立ちや絵師になるまでのエピソード、板元と知り合った敬意、風貌、人柄、性癖などが、大なり小なり後世に伝わっている。ところが東洲斎写楽に限っては、こうした情報が皆無』(P382)無名の絵師でも分かるところが、それなりに江戸にインパクトを与えた写楽についてはわかっていないとは本当に謎めいているし、異様だなあ。
 浮世絵に書かれた外国語をどの国の言葉だろうと思っていて、それがオランダ語で「福は内、鬼は外」と気づいて驚いているけど、最初にオランダ語を調べるべきだろうとちょっと思ったが。まあ、調べる前に息子が死ぬ事故が起きて、その後は精神的余裕もなくなっていたし仕方がないか。佐藤は、福は内、鬼は外と蘭語で書かれていることで福内鬼外=平賀源内を連想し、興奮していたが、しかし写楽が登場する15年前には既に源内は死亡していたと分かり意気消沈する。しかし他の浮世絵師の没年がポンポンと出ているし、近藤重蔵がいつ頃蝦夷地探検に言った時期についてもパッとでてくるのに、源内については没年を調べるまでさっぱりだったようなのは不思議だな。話の都合といわれたら、そこまでだけど。
 妻の父が孫(佐藤の息子)の死を大きく騒ぎ立てているが、そのせいでビル側の人の親戚である浮世絵道楽をやっている人が、ビルの所有者であるミツワが倒産すると自分が道楽できなくなるから、被害者の父である佐藤の本の厳密性について重箱の隅をつつき、週刊誌の紙面を買い攻撃した。そのことで被害者側への同情を多少とも減らそうと試みた。しかし息子の死後、あの父娘のせいで佐藤は散々だなあ(他にも彼が経営している塾にまで、カメラを入れて同情を誘う演出をしたりしたため、塾の講師や生徒の親に迷惑がかかり、その塾を休まざるを得なくなるなどの被害が)。
 ただ、厳密性についてあれこれ言われているのに、彼の本を出した出版社の人に勧められたからといって写楽=源内説(その説で話題をさらって、批判をかきけす目論見)で本を書こうとしているのはどうかと思う。大体万が一、億が一写楽=源内説が真実だったとしても、それがまったく新しい説であるならば、相手が難癖つけられるところを増やすだけの結果にしかならないと思う。それに息子が死んで直ぐに本を出すのも相手方がつつけるところを増やすだけだと思う。そう考えると、この編集者はひょっとしてビル側の回し者か、なあんて流石にそれは穿ちすぎかな。
 しかしこの無謀ともいえる、写楽について素晴らしい本を出版して話題にさせて、相手を黙らせる作戦について、後にそれを聞いた片桐教授がきちんと批判をしてくれていたことには、その本さえ出せば、その批判も終わるなんて事が自明の前提として話が進んだらどうしようと思っていたので、安心した。
 振袖火事、振袖が原因というのは創作でとなりの老中の屋敷から出火したようだが、幕府の威信のために隣の本妙寺に火元を引き受け入れてもらい、そのことで本妙寺は火事以後大きな寺院となった。たしか以前にも読んだことがあったと思うんだけど、すっかり忘れてしまっていたよ。
 「江戸編?」
 鱗形屋という江戸の版元が「早引節用集」という本を、盗作発刊したので、それを盗作した手代が「家財没収の上江戸十里四方追放」、主(あるじ)も監督不行き届きで「罰金二十貫の罰金」を受けたというのはそういうのを幕府がそういうものを摘発するとは思わなかったので驚き。まあ、盗作された側の訴えがあり、また民事と刑事の境目が曖昧だったから、こうした刑罰めいたことがされているということなのかな?
 江戸編。京伝、蔦屋と(名前だけしか知らないが)有名人が出ているので読んでいて楽しめる。当時の地口や言い回しなどが自然に多用されて書かれているのは、江戸町人の洒落っ気をもった雰囲気がよくでている気がするし、この調子が良く小気味いい台詞回しは好きだ。まあ、ちょっと意味がよく理解できないようなものも含まれているけど、注がないから所々で疑問符が頭の中に浮かぶのを避けることはできないけどね(笑)。しかし彼らのような知識人みたいな階級でもあんなに威勢のいいような口調をしているのは、(実際どうだったかは知らんが)驚くな。蔦屋などが「万事茶でなくっちゃいけねぇや」といっているが、その中の「茶」は柔らかな着想という意味のことと「現代編?」になって説明されて、ああなるほどとようやく合点が言った。
 老中田沼。「歌舞伎役者顔負けの美男子」だった、たぶんその情報を以前にも読んだことがあったと思うけど、「風雲児たち」のキャラのイメージがあるから美男子という情報が記憶に定着しない(苦笑)。
 「カピタン」という言葉は実はオランダ語ではなく、ポルトガル語。日本はポルトガルと親しくしていたときに責任者をカピタンといっていたので、オランダ側が日本人に配慮してカピタンで通していた。
 シーボルト収集品が発覚したあと、国外追放の際に『持ち出そうとしていたご禁制の品々、大半がシーボルトに返却される(中略)つまり持ち出しが許され』(P490)たというのは非常に不思議、なんでだろう。