1950年のバックトス

1950年のバックトス (新潮文庫)

1950年のバックトス (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

「野球って、こうやって、誰かと誰かを結び付けてくれるものなんだね」忘れがたい面影とともに、あのときの私がよみがえる…。大切に抱えていた想いが、時空を超えて解き放たれるとき―。男と女、友と友、親と子を、人と人をつなぐ人生の一瞬。秘めた想いは、今も胸を熱くする。過ぎて返らぬ思い出は、いつも私のうちに生きている。謎に満ちた心の軌跡をこまやかに辿る短編集。

 短編集。思ったよりも短い短編が多くて、苦手なショートショート風味なのがいくつもあったのが誤算だ。ただ、最初にいくつかショートショート臭いものがあったが、思ったよりもそうしたものが少なかったのは僥倖だった。ショートショートはなぜ苦手なのか、いまいち自分でも把握しきれていないけど、ブラックな落ちとか人物が平坦でテンプレであることや、人の悪意をことさら見せたり、あるいは短いページで突飛な事件が出てきて設定を覚えるのが面倒だったり、さらに短いから話の筋だけって感じにも思えるみたいな様々な苦手な部分がいくつもある作品が多いからかな。
 この本の中では、舞台が現代日本でオカルトやSF風味がなく、また後味も悪くない、日常の一部を切り取ったような小品は、普段文学読まないのでそういった部分に力点を置いて描写している作品を見ることが少ないから新鮮に感じられたと云うこともあり、面白かった。
 「百物語」終電がなくなったため女を家に止めることになったが、始発まで起きていると彼女が言ったので、それまでの暇つぶしとして百物語をして、ろうそくの代わりに部屋の電気や電化製品を一つずつ消していく。最後の彼女の話で、ある家系の娘は眠ると得体の知れない化け物に変化するという話をした。それが終わって彼女は最後に残った懐中電灯を消したが、そうしたら安心したのか彼女は寝入る。しかし彼女が居るはずの場所から嫌な気配がしてきた。ひょっとしたら最後の彼女の話は、というところで幕。最後に懐中電灯を消したのだから、手を伸ばせば懐中電灯に手が届き自分の懸念がどうなのかを見ることができる、彼はどういう選択を取ったのかを示さずに読者に想像させる終わり。
 「雁の便り」オカルトかと思ったら、ショックによる精神的な均衡を失った話と思いきや、あるいは妄想ではなく本当かもしれないという具合に図がくるくる変わる。
 「真夜中のダッフルコート」落語風の語りで、山の中にダッフルコートがかかっているという実際にあった不思議な出来事を、まあ色々と大幅に変えながらもその山のダッフルコートという謎に理由付けるという変り種の短編。
 「昔町」昔なつかしの子供時代を体験するために、自分たちだけのためのテーマパークのような町自体を作る計画に賛同し、そこで昔を懐かしむ老境に入った大人たちの話。設定はありがちではあるが、そこで主人公のおじさんが昔を、そして母を懐かしんで泣いているのはこっちもほんの少しうるっと。
 「百合子姫・怪奇毒吐き女」完璧な優等生の生徒会の副会長の家でのギャップ、彼女に恋する後輩と彼女の弟の2つ視線から。多少口調が荒くなるとかそういうレベルではなくて、相当な数の猫をかぶっているのには笑う。
 「ふっくらと」3ページの掌編ではあるが、メール嫌いの祖父が孫娘のメールに見入っているのにはなごむ。
 「小正月」生死の境目をさまよっていた母が口にした言葉について、回復した母に尋ねてみると母自身ほとんど忘れていた、子供時代の正月行事の言葉で、その行事について回想しているがその過去の情景は、今はもう既にやらなくなっておりかつそうしたことを体験している人も彼女が生死の境をさまよったことから、どんどん死んでいき人の記憶から消え去っていくものだということを意識させられるから、なんだか少し物悲しいが美しく感じる。
 「1950年のバックトス」表題作。タイトルから戦後の野球をしている子供たちが描かれる短編が入っていると思っていたが、1950年の話はかつてあった女子プロ野球でしかもそれが描かれる分量は1/4弱と思いがけぬ短さだったけど面白かったからいいや。表題作は基本的に孫の野球の試合を見に来たお祖母ちゃんが、思いがけぬ野球に対する知識を見せて、またその試合を見たことでかつてあった女子プロ野球に所属していた時代の憧れの先輩に再会する。孫のプレーを見て、かつてあこがれていた人の孫じゃないかしらと考えて、実際そうなのはちょっとご都合的すぎてなえるが、こういう老人の思わぬところで生き生きとした一面を見せるような話は結構好きだな。