薔薇のマリア 20

内容(「BOOK」データベースより)

“原子の極大魔術士”キング・グッダーに導かれ、九頭竜型超弩級飛行戦艦マキシマムAMドラゴンに乗りこんだマリアたち。危険から脱したと安心する間もなく、グッダーは大量のエルデン市民を乗せたまま地獄へ逆侵攻する。目指すは“世界の終わり”。そしてそこにいる地獄の支配者である帝王を倒すこと。成功すれば悪魔の統率が乱れて侵攻が止まると信じるマリアたちは、最後の力を振り絞り、またしても過酷な道をゆくのだが―。

 来月に連続刊行で最終21巻が発売(わりと読んで直ぐに感想を書いて、ブログにあげた気になっていたが未だにあげていなかった〔苦笑い〕)。前回次が最後といっていたが、ボリュームが上がったことで2冊にわけたようだ。なんにせよ大好きなシリーズである「薔薇のマリア」の、この世界観を、この物語を少しでも多く味わえるようになるということは幸せなことだ。
 今回は色々と隠されてきた情報が明らかになってきたので、盤面が見えてきて面白いけど、明かされた情報が多いこともあってちょっとちょっと説明回みたいな、骨ばった印象を受けてしまう。そしてマリアたちの行動が、ずっとノ・インにのってるばかりであまりない、グッダーの物語に巻き込まれてしまって、ZOOの面々、エルデンの人間の影が薄くなってしまったこともあって、前回に比べてちょっとものたりなさも感じるな。
 マリアは身体から異形の者どもを出しているベティを見て、強くなるには素質がないのならばそこまで手段を選ばず、さまざまなものを犠牲にしなければならず、今までの自分の精一杯の努力は正道で常識の範囲内のものだったことを知る。そうして強くなった彼女を見て、胸の痛みを感じるが、それでも自分の歩んできた道に悔いがないと、強がっているのかもと自分で感じつつも、そう思おうとしている肯定性はなんかいいよね。
 今回竜人ヴィシュクラトーも言及したように、以前にも古強者たちの言葉の端々で匂わしていたが、マリアの特殊性については結局最終巻まで持ち越しなのかな。そしてクルルも何か役割がありそうな感じだけど、それもまだ明かされないのか、そこらへんの事情は来月発売の最終巻にて明かされると思うから、今から楽しみだわあ。
 ファニー・フランクの「そう、わかっている。これは片思い。あくまで片恋だ。イヤイヤ恋ではない。恋などではなくて、彼は軍師を必要としている。軍師なしでは何もできないロクデナシ以下のロクデナッシーなのだ。それゆえに結婚してもらうしかないのだ。逃がさない。逃がすわけにはいかないのだ。」(P42)というモノローグには笑った。
 崩壊するエルデンの中でダリエロがクラニィの息子を探しているシーンは、口の悪いダリエロが毒づきながらも彼を可愛がっているのがわかるのでなんだか少しほっこりとする。
 キング・グッダーがロボになったナ・インをゲームコントローラーで操作して悪魔たちを蹴散らしているのを見ると、もう緊張感がどっかいってしまうわ(笑)。しかし彼は爺から、蘇りによって子供の姿になったが、子供の姿のほうが性格的にあっているので、爺の姿での彼の言動に対して感じた不快さはなくなった。
 グッダーだったり、ジュジは、人界を統べようとして、妥協点が見出せない地獄の帝王を打倒するため、ふた(エルデン)を開いて地獄の主戦力を人間界に解き放ってから本拠地に突撃して、帝王を撃破するという計画のもとで、エルデンを中空に浮かせて、世界に惨事を作り出したのか。しかし以前にたしかジュジだったりが一国を制圧して、その国が勢力を拡大していったみたいな描写あったと思うけど、あれの目的はなんだったんだろうか?
 しかし今回はランチタイムの面々とかがぬるりと、あまり見せ場もなく死んでいってしまうというのはちょっと悲しいな。
 ランチタイムのヨグが死んで操られたナツコを見て、彼女との思い出を想起して、以前ああしとけばと後悔の念を覚えつつも、彼女の身体をヒト(悪魔)の能力を使って食べる、彼女の姉が悲しまぬように、あなた(ナツコ)を忘れないように食べるというシーンはいいなあ。
 結果的にではあるもののりりぃとジュジが同じ陣営で共闘することになろうとは思ってなかったので意外だった。
 そしてナ・インにつれられて、エルデンにいた面々は死ぬ以外にはそれしか選択がなかったという選択を重ねることで、押し流されるようにしてジュジが、ダッダーが演出する物語のクライマックス・シーンに出演する破目に。