薔薇のマリア 21

内容(「BOOK」データベースより)

ついに“世界の終わり”に到達したマリアたち。だが、地獄帝王の御所“終わりの果て”はいまだ遠かった。繰り広げられる悪夢のような戦い。死力を尽くして突き進む仲間たち。現実が引き裂かれ、叫び声は途切れ、溢れ返り涸れる涙、その行く先に待っているものとはいったい―!?すべての謎が明かされ、世界の真実がもたらされるとき、マリアたちは究極の選択を迫られる!ロングヒットファンタジーシリーズ、ここに堂々完結…!!

 ついに最終巻。このシリーズは最後のほうは駆け足気味だったけど、すごく面白い大好きなシリーズだったから、終わるのは悲しい。
 最近は、今まで読んでいたライトノベルのシリーズに終わるものが多く、現在追っているライトノベルのシリーズはweb小説から書籍化されたもののほうが多くなっているな。そうじゃないのは「デュラララ」と、物語シリーズ(これも本編終わって、あと1冊でシリーズ完結だが)、それから「アクセルワールド」(いや、これも一時webで掲載されていたんだったっけ?)くらいになってしあったのかな。こうやって数えてみるといかにも少ないので、そろそろ新しくシリーズを読み始めるかなあ、有名どころで気になったものでも。
 今回マリアは、本物の劫火という刀を手に入れたから、その能力のおかげもあり珍しく活躍している。しかし途中で適材適所と思いもっと戦える人間である秩序の番人のコンラッド・アシャーに渡したのだが、劫火の能力である炎を生み出しても刀を手放さなければ所有者は炎に焼かれないということを伝え忘れた、そのミスで刀を取られまいとしたコンラッドが共に清でも刀を渡すまいと味方に投げ渡した結果、本来ならば死なずにすんだ彼まで死んでしまうという事態が起こり、マリアは深く悔やむ。最終回であってもマリアが単純な活躍ができない、ビターな結果が混じってしまうのは、このシリーズらしいといえばらしい話だ。
 『ようやくわかった。俺が手に入れてきたもの、捨ててきたもの、失ってきたもの、その全部に意味があるんだってことを。正確に言えば、意味なんかなくても意味を持たせることはできるし、意味を持たせられるってことに意味があるんだってことをね。』(P40)SIXはかつて悪党だった過去を受け入れて、背負って、その悪行のせいで彼を嫌っている人たちを守りたいと心底思っているようだ。改悛して、悪党であったことを忘れて再スタートというのではなく、その過去を背負うというのはなんと言う覚悟だろう。そして自分が被害を与えた人間への献身を行い、許してもらおうなんてかけらも思っていない、自分が心の底からそうしたいから彼らのために尽くすという行為で持ってその覚悟を示しているのは、ちょっと心を動かされる。
 ベティは師匠であるマチルダから離れることを決心したのに、彼女から必要だといわれれば、「もう!勝手なんだから!」と言いながらも彼女に従うなんて、想像以上にこの魔術師師弟の関係性は強いものなのだね。
 しかしF-42という戦闘機をばたばたと撃墜しているのは、魔術師というものは想像以上に強いのだな。この世界のトップの実力者たちは、本格的な現代兵器の群れが出てきたら対抗できるどころか、余裕で撃滅できる実力を持っているとは流石に予想外だよ。
 最終巻となってもヨハンやSIX、ピンパーネルというまさか死ぬとは思わなかったキャラクターまで退場されるとはなんつーか、やっぱりシビアだなあ。このシリーズ。最後ぐらいメインの脱落者を出さないでくれという思いも無きにしもあらずだけど。
 この世界自体が人によって作られたもので、この世界の人間、そうした元の破滅した世界の人間たちを元に勝手に世界の管理機構が作り上げたもので、グッダーやジュジらはこの「間違った」世界を解体してもう一度やり直すことを試みて、今回の大擾乱を起こした。
 しかしこの世界の人間(「人間」)も数千年以上の長い年月を、世代を積み重ねてきたのに紛い物扱いする、グッダーら元となった世界の住民(登録者)たちの傲慢さにはむかっ腹が立つ。
 管理者の暴走により、過酷な世界で生きるのを余儀なくされ、世界の創世から現在(あるいはごく最近)まで生き残っている登録者はわずか7人だけで、そうして残っている登録者の多くは、トマトクンとりりぃを除いて、もう一度世界をやり直そうとしている。そうした登録者の多くが、「人間」をモノ、駒としか見ていない(今思えばかつてのSIXもそうだったな)のは、狂っている。しかしそういう「こんなはずじゃなかった、何がなんでもやり直さねければ」というような妄執を持った人間だからこそ、人には耐え難いほどの長い年月を生きてこれた、初期の苦しい状況にも耐えられたのかなあ。
 マリアは「鍵」で、それがなければ世界を改変できないというモノであったようだ。しかしアジアンとマリアが惹かれあったのは、アジアンがルヴィー・ブルームによって作り出された「鍵」の失敗作だったからだというのは衝撃だし、本人の思いは本物でも、それが彼らの出生、体質にかかわるものだったということを聞くと胸が痛む。本当に惹かれあう「運命」だったというロマンティックな解釈もできるけど、それを結果としてだが利用されていたのは、彼らの想いが汚されていくようで、悲しい。
 最後の1/4は後日譚というか、最終決戦に出てこなかったキャラたちや、最終決戦を生き抜いた人間たちの数年後が書かれている。人類の生存範囲は非常に狭まったようだが、それなりの均衡が得られたようで、一時のものかもしれないが戦後の穏やかな日々を過ごすキャラを見ていると、死んでしまったキャラにも生き残って平穏な生活に戻ってほしかったという想いが湧いてきてしまい悲しい気分になってしまう。
 しかし本当にファニー・フランクは新生太陽王国を建国したのか!しかもカタリは彼の下で外務大臣なんてやっている。しかし王国の閣僚の名前を見ていると、さまざまなグループの人間がかかわっているのでオールスターにも思えるが、その半面で秩序の番人の人間が閣僚に入っているので、それに亡くなったヨハンの名前がないことで彼の不在を強く感じてしまう。
 そして最後、マリアと再会できたんだね、アジアン!だけど、マリアの姿かたちは変わっているのかそうじゃないのか少し気になる(せめて人間形態ならいいけど)。でも、再会できて良かった。本当に良かった。