パリ・ロンドン放浪記

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

内容紹介

インド帝国の警察官としてビルマに勤務したあとオーウェル(1903-50)は1927年から3年にわたって自らに窮乏生活を課す。その体験をもとにパリ貧民街のさまざまな人間模様やロンドンの浮浪者の世界を描いたのがこのデビュー作である。人間らしさとは何かと生涯問いつづけた作家の出発にふさわしいルポルタージュ文学の傑作。


 オーウェルは「1984」以外読んだことがなかったけど、ノンフィクション作品でも面白い物が多いようだから、いずれ読みたいとは思っていたけどようやく読めた。
 解説にもあるが後半のロンドン編は前半のパリ編よりも「明るさや活気はない」ので前半のパリ編の方が面白いな。
 序盤は貧乏談で、まあ貧困というもののルポといえばルポだが、告発的なルポタージュになって、ああそういえばこの本ってルポ作品だったなと思い出すのは、ホテルに職を見つけてから。パリ編の後半は当時の高級ホテルやレストランの不潔な内情を詳らかにしている。
 オーウェルが物書きとして身を立てられる前の時期に、パリでスラムの安ホテルで暮らしているところから始まる。『変わり者もいた。パリのスラムは変わり者の巣窟である――孤独で狂ったも同然の人生に落ちた結果、ふつうのまともな人間になることをあきらめてしまった連中だ。金が労働から解放してくれるように、貧乏は人間を常識的な行動基準から解放してくれる。』(P10)
 最初は節約や貧乏を見るためこのホテルに滞在したようだが、そのホテルで泥棒に金を盗まれてから本当にこの安ホテルに泊まるための金やその日の食事にも汲々とすることに。
 使わない服を質屋に入れたが、質屋がケチでろくな金にならなかったので(どうやら午前中は店員の機嫌が悪いのでその時に行ったことが失策で、昼食をとった後に行くべきだったことを後に知ったようだ)、本当に金がなくなったので以前亡命ロシア人の友人でウェイターをしていたボリスに職がなかったらオレが紹介してやると約束してもらっていたことを思い出して彼なら皿洗いの職くらいは照会してくれると思い、彼の元にいくが、ボリスは脚が悪くて仕事にありつけず、食事も食えない有様で、以前金を貸したヤツの安ホテルに転がり込んで毎日少しの金を貰いながらかろうじて生きているという自分以上に酷い状態であった。
 そこで彼と一緒にホテルでの職探しに出かけるが、ボリスはそのときにシャツの穴をタイで誤魔化したり、靴と靴穴から覗いている素足を見えなくするためにインクで素肌を黒く塗ったが、それでそこそこ見た目が整うとはすごいな。といっても「ついさいきんセーヌの橋の下で寝ていた男」とは見えないということだから、そもそもの基準が低いからかもしれないけど。
 大恐慌の年であるということもあるのか、職がなかなか見つからず、少ない金で、毎日少量の食糧を買い、オーウェルのホテルでアルコールランプでスープを作ったが、皿がないからシチュー用の鍋とコーヒー沸かしにわけて食べていたが、どっちがどっちを使うかで毎回譲り合いになったが毎回ボリスの方が先に折れるから、たくさん入るシチュー鍋を取ってしまうことにひそかに怒っていたというのは少し笑ってしまうが、本当にそのときは食べ物が充分に食べられていなかったのだなと同情してしまう。
 パリのロシア人亡命者で高級レストランである公爵はそこに出入りして、昔ロシアの将校だった男は居ないかと探し、食事が済むとそのウェイターを親しげにテーブルに読んで、彼の所属した部隊とかを褒めて、あいにく財布を家に忘れてきてしまったから金を貸してくれないかといって大金をせしめていたが、ウェイターのロシア人は『詐欺にあっても気にしなっかったのだろう。公爵は公爵なのだ。たとえ亡命中だろうと。』(P42)そうした感覚はなかなか理解しにくいものがあるなあ、どういう心境でそうしたことを当然と思えたのだろうと知りたくなるな。
 ボリスが社会主義系の秘密結社があって、モスクワの新聞ともつながりがあり、彼らは英国の政治についての記事をほしがっているという情報を友人から得てきて、ボリスとオーウェル社会主義者のふりをして彼らと接触を図り、オーウェルが記事を書いて原稿料をせしめようとしてかなりいい額の原稿料を払うと約束されるが、実は彼らは洗濯屋の一部を借りて共産党系の秘密結社を装って入会金として金を巻き上げる詐欺師集団で、騙したつもりがだまされたというのは面白いな。しかしボリスが入会金値切ったおかげで、とりあえず内金で本来の入会金の1/4しか払っていなかったから損が少なかったことは彼らにとっては僥倖だったな。しかし共産党系の結社を装い入会金を騙し取った詐欺なので、告発しようにもできないという安全性をもった、実に眼の付け所のいい詐欺だし、細かなディティールまでリアリティがあって憤るよりむしろ感心してしまうよ。
 金が底をついて寝ているほか諦観が混じり、何も食べ(られ)ずただただ寝ているほかすることがなく、そうしていたら夜にボリスがやってきて、ホテルで下っ端(カフェトリー、食料準備室)の仕事だが仕事が見つかったことを脚が悪いのに、彼に3キロ歩いて報告しに着て更に、そのホテルでくすねた食料を持ってきてくれたのは彼らの友情が感じられて思わずニンマリ。
 そしてオーウェルもボリスからの紹介でそのホテルに入ることになる。仕事場の連中は仕事中には罵倒をするようなやつら(一番忙しいときには狂気染みた作業量で怠慢を罵倒しまくることで、なんとか能率を維持しているという面もあるようだ)だが、勤務時間外は平等な関係で仕事での上下関係を引きずらないのがホテル勤めのエチケットだった。
 彼らが勤めたホテルXはパリでも十指に入る高級ホテルであったのだが、彼が働いた食糧貯蔵室では床は夜まで掃除する暇がないので吐き気がするほどの汚さで、パン入れにはゴキブリがたかり、バターを触る前に手を洗いたいというと笑われた。しかも厨房は更に汚く、ステーキを検査するのにコック長は指でつまんでその指をなめまた、ステーキになめた指で触るということを繰り返すし、そのチェックが終わった後もウェイターが運ぶときに彼のポマードのついた髪をしじゅう触る指が肉汁に突っ込む。またトーストがおが屑だらけの床に落下しても、忙しときには新しいトーストを焼く暇がないので、おが屑を取り除いてそのまま客に出すし、それが習い性となってわざわざ新しいトーストを焼くという考えがなくなっているのだろう。
 ホテルの労働は重労働だから、自室の窓の下の歩道で殺人事件が起こっているのを見ても、あまりの披露でそれに関わろうとする気もなくそれを見て3分後にベッドに入って寝たというのは凄まじいな。ホテルでの労働は眠りの価値、単なる必要でなく逸楽であるということを教えてくれた。肉体的欲求は社会的な常識をやすやすと超越するということがこれを見るとよくわかるな。
 ホテルでの仕事のあとボリスとともにロシア人が新しく開店したレストランに移ったがそこは資金繰りが最初から厳しく、不潔さもホテル以上だった。そこでは食品置き場がなく、屋根が途中までしかない中庭の小屋に野菜や肉がむき出しの地面に転がして置かれ、ネコやネズミの食い放題だった。
 また厨房も小さく、忙しいときには上手く回るはずもない場所で、更に労働量がホテル以上に増え一日十七時間(!)も働く羽目になっていた。そんなわけでコックと彼の間で喧嘩が起きて、疲労の極地においてオーウェルも悪質な冗談やからかいを平然とするようになっていた。こんな酷い労働環境だと、教養のある人間であってもこういう風に節度がなくなるのかとおののいてしまう。環境の人への影響力とは甚大なものなのだと改めて思う。
 しかしそんな酷いレストランであるのに「成功」したという事実には困惑してしまう。
 パリから帰ってきたイギリスでは仕事が出来るようになる時期がくるまで、少ない金で生活することになり、安宿や浮浪者臨時収容所(スパイク)などを渡り歩く浮浪者生活をすることになる。
 スパイクではベッドなんてものはなく床で寝返りをすればぶつかるような至近距離で寝なければならない。
 そうやってイギリスでどん底生活をしているときはパディという男と一緒になって色々な安宿やスパイクを渡り歩いていた。そのパディがマッチをケチるということを説明するのに、『マッチを擦るくらいなら三十分もタバコを吸わないことさえあった。』(P203)とあるけどタバコを吸う人の感覚が分からないから、まして昔は現代よりもずっとタバコを吸っていたころの人の感覚はわからないから、30分吸わないことが驚かれるようなことだということに驚きだよ。
 道路に絵を描く大道芸人のボゾ、浮浪者であっても星見に楽しみを感じているが、何かに興味を持つのはこういう生活では容易ではないとオーウェルが言うと、彼は『その気になれば、金があろうがなかろうが、同じ生き方ができる。本を読んで頭を使っていさえすれば、同じことさ。ただ、『こういう生活をしてるおれは自由なんだ』と自分に言い聞かせる必要はあるがね』(P220)と言っているのは素敵だな。詩想の中の浮浪者って感じで。ただ、そういう人がいるからといって、それを基準にしてそういう人でない浮浪者は怠惰な愚か者と決め付けて批評するとか、そうでない浮浪者を軽蔑するというようなことを普通のそうした体験をしたことがない人がしたり顔で言うのは許せないけどね。こういう生活でそうしたメンタリティーを持てるのは奇跡的なことで、現在まともな生活をしている人やお偉方連中でも、ボゾのように『着ているものがボロで寒かったとしても、いや餓死しかけてさえいても、本を読み、考え、流星を観察』できるような心境に慣れるのは、きっと現在の浮浪者の中でそうしたメンタリティーを持っている人と割合はそう変わらないと容易に想像が付くので、そうした想像力のない阿呆な浮浪者に対する暴力的な言説は想像するだけでむかっ腹がたつので。
 物乞いで他人に近づいて2ペンスくれということが法律で禁止されているため、わざわざマッチを売るような体裁を整えている。マッチ売りって物乞いの一種だったんだ。改めて考えれば確か似そうかと思えるのだが、物乞いと関連付けて考えたことがなかったので少し驚いたな。
 侮辱や罵詈雑言の言葉は、本来の意味は忘れ去られ、ただ侮辱や罵詈雑言の言葉という意味だけになる。そういうものはどこでも同じなのね。
 お茶やパンを貰うために教会に来るが、礼拝が始まると会衆が浮浪者より少なかったということもあり、浮浪者たちは嘲笑し始めたこともあったとはあまりにも酷い。『慈善を受けるものは、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ――それが人間性の抜きがたい性癖なのである。』(P246)うーん、それまでの本を読み進めて、基本的に(一般に使われる意味としての)性善説という考えは苦手だけど、案外ぼくは人というのがもっと善意をもつものだと思っていたな。そういう意味ではまだまだ僕も人間性に対して甘い認識だったのだと思うような文章を読む機会が最近多いな、なぜか知らないけど。まあ、この状況は酷いものだと感じるけど、今までのずっと堪えていたことが、たまたまこの時がはけ口となっただけで単純にその教会が気に入らないのではないだろうけど。
 ただ、気が小さく、挨拶をしてただ食事券だけをさっさと配り、礼を言う暇も与えずに帰っていった牧師には浮浪者みんなが感動して、あいつはいいやつだと口々に言っているのはいいな。これを読んで、誰だって自分の零落した姿を認識させられるのは嫌う、普通の人と、特に慈善をしに上から彼らと相対している人と相対するとそれを強く認識させられるから憎しみが生まれるのかなと気づいた。
 慈善として食堂の食事券を渡す人も多いけど、その券では食堂が指定されているが、そうした食堂では額面よりも下の食事を出して、浮浪者から搾取していたというのは許しがたい。ただでさえ弱い立場の人間から当然のように掠め取るというのは酷いわ、しかもそういう奴が浮浪者よりも自分の方が当然のように人間として上だと思っているのがまた酷い。
 他から見れば浮浪生活を送っている人でも、以前の常識がこびりつき、普通の生活をしていた頃の浮浪者に対する悪意を持った見方を持っている人も多いというのは痛々しく悲しい。
 浮浪者は、もう長らく女と縁がないので普通の若い女には興味を示さず、売春婦以上の女を欲しいとは思わなくなってくる。そして浮浪者になるのは男が圧倒的に多い(9割くらい)ので、同性愛がはびこる。
 ベンチに座り前に張ってあるロープに寄りかかって眠る、ハングオーヴァーは「やる夫 ヴィクトリア朝」で見たことがあったけど、1930年ごろになっても未だにそういう宿泊施設があるというのは驚愕した。