素数の音楽

素数の音楽 (新潮文庫)

素数の音楽 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

2、3、5、7、11…素数は謎に満ちた存在であり続けている。19世紀半ば、「数学界のワグナー」リーマンは、雑音としか思えない素数に潜んでいる繊細なハーモニーを耳にした。数学界の「巨人」ヒルベルト、「審美家」ハーディーと「用心棒」リトルウッド、「革命家」コンヌ…。世紀を越えた難問「リーマン予想」に挑み、素数が奏でる音楽を聴こうとした天才たちの姿を描くノンフィクション。

 リーマン予想をめぐる話。フェルマーよりもずっと重要で、現実世界にも影響を及ぼす素数についての仮説で、これが正しければという前提で成立している定理が何千(!)もある。リーマン予想が証明されれば、巨大な素数を直ぐに探し出すことが出来る。だけど、それができるようになると、イービジネスのセキュリティーでは素数が使われ、またその安全性は素数に関する基本的な問題、つまりリーマン予想が解けないと云う事実によって保障されている。なので、リーマン予想が解き明かされてしまうような事態が起こると、インターネットで使われる暗号の安全性、そして国家安全部局などで使われている暗号の安全性が損なわれるなど、現実世界への影響も大きい問題。
 フェルマーが自分が発見したと証する証明の数々の詳細を述べなかったのは、当時は『明らかに、理論的な説明を提供することには感心がな』く、『当時の数学者たちは、研究対象に実験的にアプローチすることで充分満足していた。世の中が機械化されていく中、研究結果が実際に応用できればそれで充分だった。』(P86)そんなことを聞くとフェルマーの最終定理の証明を残さなかったのもある意味時代的な側面もあるのかな。まあ、最終定理を実際にフェルマー証明していたかは怪しいけどね(笑)。
 19Cガウスが活躍した時代あたりから数学において証明の価値が重くなり、それ以降その姿勢は今日まで続いている。
 リーマンについて書かれている3、4章は数学的な話が多くて(風景がどうたら言われてもさっぱり)すっかりわけわかんなくなってしまったので、読むペースが著しく落ちてしまったな。
 リーマン、学校に馴染めなかったが校長が彼の数学的才能を見抜いて自分の読書室に自由に出入りしていいといって、リーマンはその数学書の立派なコレクションがある読書室で人間関係に煩わされず、数学の世界にどっぷり入り込んだ。素数の個数を数え上げる関数と対数関数の間の奇妙な関係があることについて書かれた本859ページもある数学書を6日で読んで、本を返しに来たときに校長に『これはすばらしい本です。ぼくは、この本を暗記しました』(P125)といったというのは凄まじいな。数学の本を読んで素晴らしいと思えること自体が個人的には理解の範疇外なのでただただ尊敬し、仰ぎ見るしかない。
 ガウス「アリトメティカ考究」数論というジャンルの独立を告げた本であることや、簡潔な文章のため難解だった。ディリクレはその本に魅了され夜寝る前には翌朝とつぜんそのほんのいみがりかいできるように祈りながら、枕の下にこの本を入れるのが習慣だったというエピソードは好きだ。
 リーマンが39歳と若くして死亡した後、未発表の文書を「仕事熱心な」家政婦が火にくべて廃棄したというのはもったいない!彼は完璧主義で証明について公表できる段階にないと詳しく書かなかったため、彼の死の50年後に家政婦の手を逃れた文書が出てきたときにリーマンは公表したものよりもずっと多くのことを証明していたようだが、リーマンが理解できたように思うとほのめかしたものについて書かれた文書は家政婦の手で永遠に消えてしまったようだ。
 気難しく数学ゲームに熱心な数学者ランダウ、彼が指導していた学生が新婚旅行に行くときに列車が駅を出る寸前にプラットホームに駆けつけてきて、『最新の著作の原稿を窓越しに学生の手に押し付けると、「戻ってくるまでに、校訂をすませておいてくれたまえ!」といった』(P227)このような数学者たちの個性的なエピソードを見るのは楽しいし、こういうエピソードを読むために、数学は全然分からないけど、この本みたいな数学についての本を読んでいる。数学(に限らず、学問)に魅了されている人たちの話が好きなんだなあ、その中で数学者というのはその成果が永遠ということで、特に純粋に思えるから数学者の話は好きだな。
 ガウス、リーマン、ディリクレ、ヒルベルトランダウなどゲッティンゲン大学には綺羅星のような超一流の数学者たちがいた伝統のある世界の数学の中心地であったが、その伝統はヒットラーによって数週間で打ち壊され、亡命した数学者たちはアメリカはプリンストンの高等研究所に移り、そして世界の数学の中心もプリンストンへと移行した。
 リトルウッドガウスの評価が素数の実際の個数よりも小さくなることがありうると発見したが、それは観測可能な宇宙の原子よりも大きい数のときにその現象が現れると云うのはえらく壮大で、その数の大きさのインパクトには圧倒される。
 ジーゲル、リーマンの殴り書きのメモを熟読して、そこに書かれている方程式の片方の辺など、バラバラのところにかかれたものを構成しなおして、リーマンの手法を再構成した。その再構成によって、リーマンの死後65年経っていたが、その当時使われていたたリーマンの秘密の小道のゼロ点を見つける手法よりも洗練された賢い方法をリーマンが使っていたことを発見した。何十年もたっていて、リーマンの論文でその成果の一部を見ているはずなのに、彼が当時使っていた方法が一番洗練されたものだということはいかにリーマンが天才なのかをよく表している。
 そのジーゲルのリーマンの手法の「再構成」によって、それまでリーマンはアイディア・直感の人だと思われていたのが、しっかりとした計算をしていたことが明らかになった。ただ、完璧主義者だったからその計算方法がまだ公表できる段階にないと公表していなかった(65年後でも最高のものだったというのに!)。そしてその計算方法に限らず、いくつもの発見も同様に。
 そしてゼータ関数のゼロ地点についてのリーマンの考えが書かれているかもしれないと推測される小さな黒い手帳が行方不明で、現在はそのノートの発見に100万ドルがかかっているというのはすごいわ。単に偉大な数学者の書いたものというわけでなく、もしかしたら新たな発見があるかもしれないという期待感もあって賞金が設定されているのがすごい。
 科学系の学問は数十年すれば他の人が気づいただろうというものが多いだろうから、たまにこういう何十年経っても「彼」が見つけなければ、100年見つからなかったかもしれないというものが実際にあった、あるということをしると思わず身震いするほど感動してしまう、その才能に、その天才に!
 7章ではプリンストンについて説明がされているが、数学について詳しくなくても知っている名前がごろごろとでてくるから、他ではありえない豪華な面子で、その面子からもその場所が世界の数学の中心地になったということがよくわかる。
 7章の終わりのほうにゼロ点の○×%が線上に乗っていることを証明した云々という話があったが、そうした%という数字で表せるということにちょっと吃驚した。しかしそれが98.6%証明したと思っていても1箇所だけミスっていたら34%までさがるというのは数学ってシビアだなあと思う。そのようにシビアな世界だからこそそこで偉業を成し遂げた数学者たちは素直に尊敬できるのだが。
 理論上全ての素数を導き出す式が発見されたが、26個の変数を使ったその式で答えが負になると素数でないことになるが、この法的式の値はほとんどが不になってしまうため事実上役立たずだった。
 かつて数学、特に数論が全く現実では役に立たないことをハーディーはある種の誇りを持って語っていたが、1980年以降ビジネスの世界の核心、電子的なセキュリティー、で利用されることになった。
 暗号解読に使うコンピューターは高速化され、それに対してRSA社が使う素数もどんどん大きくなっていっているので、携帯装置の性能限界をはみ出す。そこで使われているのが楕円曲線による暗号。ある数論学者が楕円曲線についての暗号の解を探すヒントが得られる予想を立てた、そのことを楕円曲線による暗号のアイデアを考案した数学者コブリッツに対して3週間後の会議でその論文を配ろうと思うとメールした。もしそれが有効な手法だとイービジネスの危機であったが、そうした事態に直面した数学者コブリッツはそれに対して、考え抜いて2週間たたないうちに、その予想がまだ計算として実現不可能で安全性に問題ないことを証明した。そうした数学上の話が、現実の携帯での買い物などの安全性にも直接影響してくるというのは驚きだし、この話はそうした数学での話が現実世界のイービジネスの安全性に直接関わってくるスリリングなもので面白い。
 モンゴメリーが調べていたゼロ点の間隔の分布が量子物理学、カオス理論といった全く違うもの、ある種のランダムドラムの振動数と繋がっているというのは面白いな。カオス、量子物理学、素数という3大テーマが一つに。『素数のおかげで数学の従来無関係とされていた分野を隔てていた扉が開かれた。数論、幾何学解析学、論理学、確率論、量子物理学、リーマン予想を解くためにこれらのすべてが結集した。そして、数学には新たな光が当てられ、数学者たちは、数学の各分野が驚くほど深く関連しあっているのを知って驚嘆することとなった。数学は、パターンの学問ではなく、関係の学問になったのだ。』(P609)
 「訳者あとがき」に著者は本書執筆当時37歳と現役バリバリの数学の研究者だと書いてあって、ちょっと吃驚。『多彩な数学者たちの逸話をそこここに配して、素数研究の歴史を人間臭い物語として描き出して』(P612)いたので面白かった、こういう数学について書かれた本は、個人的にそうした逸話が魅力的だから読んでいるから。