ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 2

内容(「BOOK」データベースより)

圧倒的な軍事力を後ろ盾に、『特地』を統治する帝国との講和に乗り出した日本政府。その一方、冴えないオタク自衛官伊丹耀司ら特地偵察隊は、異世界住人たちとの絆をますます深めていく。そんな中、心を病んだエルフのテュカを救うべく、伊丹は異世界で猛威を振るう巨大炎龍の撃退を決意する。やがて近代兵器を駆使した壮絶な戦いが幕を開けた―。

 読んだのは単行本版で。冒頭はちょっと1巻の終わりから飛んだような印象を受けたので、思わずこの本が2巻で正しかったのか表紙を見やってしまった(笑)。
 外務省の菅原は、現地にいる自衛隊の連中でも意思疎通できる人間はそう多くはないというのに不自由なく会話ができているのはすごいわ。語学のセンスが豊かなのね。本来そうした交渉役はもっと立場のある年嵩の人の方が良かったのだろうけど、彼がそれほどの年齢ではないのに交渉役に選ばれているのは、そうした卓抜した語学のセンス故のことだろうな。
 ピニャはのらくらと繋ぎを遅延したりしていないことや、菅原を帝国の有力者に紹介するのに、余計にくちばしを突っ込まずに黙っているというあくまで仲介者に徹している態度は好感がもてる。日本と帝国の格差を知って、余計なことを言うと帝国自体が危ないというまともな現実認識を持っている。
 捕虜を一部即時に返すということをピニャの仲介者としての活動の対価と位置づけさせて、今後も彼女のラインを使うであろうピニャの立場が悪くならないように注意しているのは、日本もなかなか上手い上手い。
 特地ではちゃんとした人を雇うのにもコネが重要だから、難民たちが自らアルヌス共同生活組合を立ち上げ、そこが窓口となって特地との交易が図られている現状は日本側にとっては願ったりかなったりの状況だな。まあ、アルヌス共同生活組合は最初はもっと小規模に展開していくつもりだったのだから彼ら、彼女らにとっては予想外の多忙さで大変だろうが。
 テュカの精神的な病は伊丹の管轄ではない気がするのに、何も手をつけないことを仮にも看護師でもあり医学的知識を持っている黒川が問題視しているのはいかがなものかと。素人でも精神的な病を素人(伊丹)がぶしつけに手をつけるのは不味いと思うよ。だから黒川はあまりにも浅慮だ、まあ伊丹にも家庭の事情があるようだし、彼がそのことについて強い意見を持っていることを示すために、物語の都合上彼女が文句を言う役に選ばれただけとは思うけどやっぱり腑に落ちないな。
 ロゥリィが伊丹との甘い時間を妄s……シミュレーションしているのがかわいい。からかっているのではなく本当に伊丹のことを好いているのが分かって思わずにやけてしまうわ。
 伊丹が持っていたコスプレの写真集が服飾のデザインの参考とされ、奇抜な服装が帝都で流行るというのは笑う。伊丹、お前!(笑)。
 どうしようもない外道で、その上粗暴で愚かなゾルザス皇太子にはムカムカしていたので、伊丹たちが後先考えずにぶん殴ったのは爽快爽快。日本側の内規としては問題だけど、少なくとも日本と帝国側の関係についてはその後の元老院の建物への爆撃も含めていい薬になったんじゃないかな。
 現代での犯罪被害者、被害者家族のカタルシスは警察が犯人を捕らえ、裁判所が判決を下すことがなされる。犯罪者を許すべきという考えは、被害者側にそれを支える信仰や哲学があって成立し、その場合「許し」が被害者、被害者家族にとってのカタルシスとなるというソーシャルワーカーの言には納得し、深く同感する。
 柳田は伊丹に、自分は必死に努力してきたのにお前はやる気がないのに幸運で同階級に上がって、自分たちは個人では何も出来ないのにロゥリィやレレイのような階級の裏付けなく付いてきてくれる人がいることが腹立たしいという風に素直な気持ちをぶちまけている。この柳田の告白を聞いて、伊丹は柳田にとって強い関係性を持った友人、あるいは長い付き合いではないのかもしれないが腐れ縁のような存在なのだと思った。しかし柳田の伊丹への思いをぶちまけたこのシーンで柳田のことが好きになったわ。
 テュカを騙して炎龍が生息する山の近くの森まで来たときの伊丹とロゥリィの会話で、伊丹が騙したことをテュカに怒られるのは今更だしここにいるのはみんな共犯者だろといったのに対してロゥリィが言った『しょうがないわねぇ。一緒に起こられてやりますかぁ』(P378)という台詞はいいね。可愛い。
 炎龍戦はダークエルフの戦士たちが仲間の敵である炎龍を前に頭に血が上って、伊丹から配られた現代兵器であるLAMについての説明や注意をすっかり忘れて、後ろの安全確認を怠り即座に攻撃しようとしたせいで他の仲間が死んでしまっているというようなどうしようもないグダグダ感に陥っているのがかえってリアリティがある戦闘だと感じさせるので面白い。
 炎龍戦で伊丹の怪我をロゥリィが引き受けたと、炎龍戦が終わってから知るが、ロゥリィはそんなことができるのか。そして自分も別の強敵で同じく亜神であるジゼルと戦っているのに、そんなことをやるとは本当に伊丹のことが好きなのだということがわかり、彼女のことがより一層好きになるな。
 ジゼルを引かせるために伊丹が強いということを勘違いさせようと試みるが、その目論見は失敗し、結局伊丹たちは逃げることとなるが、その直後に自衛隊の援軍が来て、超遠距離からジゼルたちを攻撃しているので、ジゼルはこれがイタミヨージの力か!と驚愕しているのは笑った。僕は勘違い系は苦手なのだが、これを読んでそれは味方や無関係の人に勘違いされるならの話で、相手が敵なら別だということがはじめて分かった。味方に勘違いされないなら、敵にどんな勘違いされようが別にいいのさ。
 亜神が神になったら、自身が使徒をつとめていた神から、その神が受け持っていた○○の神という領域を分けて担うか(例えばロゥリィが使徒をしている神のエムロイは死と断罪と狂気なので、「死」「断罪」「狂気」のどれかを分けて担う)、それとも誰も担っていない新しい事象、領域を切り取り神になるかするようだ。そうしたことをあれこれと周囲の人間(など)が語っているのに対して、ロゥリィがボソリと「愛……なんて、駄目かな?」といったのは可愛い。しかし現状「愛」を受け持つ神が居ないというのが何気に一番衝撃的かもしれない(笑)。思わず一体どんな世界なんだよ、と突っ込みたくなる。