たった独りの引き揚げ隊

内容(「BOOK」データベースより)

1945年、満州。少年はたった独りで死と隣り合わせの曠野へ踏み出した。41連戦すべて一本勝ち。格闘技で生ける伝説となり、日本柔道界・アマレス界にも大きな影響を与えた男・ビクトル古賀。コサックの血を引く男は「俺が人生でいちばん輝いていたのは10歳だった」と言う。彼は1000キロを独りで踏破し引き揚げたのだ。個人史と昭和史、そしてコサックの時代史が重なる最後の男が命がけで運んだ、満州の失われた物語。

 序章は引き揚げ時の10歳の頃の1シーン、サンボの選手として国際戦41連勝を達成(しかも監督として遠征のはずが、選手をやっていた時期の階級の選手が怪我をしたため急遽出場を決めてソ連の選手相手に、ソ連で30秒で一本勝ち)したシーン、そして現在とそれぞれ数ページずつ、シーンをパパッと切り替えているのはいいね。それぞれのシーンがすごく魅力的だから、この本への期待が一気に高まる素晴らしい冒頭だ。それに面白いとは聞いているが、題材が題材だから悲惨で読んでいて頁をめくる手が止まらないか懸念していたが少年ビクトル(ビクトル古賀・古賀正一)は逞しく、序章で引き揚げ後にスポーツ選手として活躍して現在もお元気だということが書かれているので、そうした懸念が序章を読んだだけで一気に消し飛んだ。
 序章、日本への帰路、独りで列車から放り出されたのに諦観交じりながら、不安を感じさせず「太陽が一個、ナイフが一本。それさえあれば、生きて、歩ける」と悲嘆にくれずに黙々とするべきことをしているという感じなので子供だけど格好いいと思う。そのタフさを最初に強く感じさせてくれたので、彼の行動を最初から最後まで不安がらずに読み進めていけそうと思えるから、こういうシーンを序章に配置してくれたのは嬉しい。
 自分が住んでいたハイラルの町の直ぐ近くに敵軍が急激に迫ってくる、そんな状況下で家族のことも忘れ、ただ本物の戦争が見てみたいという好奇心で町を歩いたというのはなかなか衝撃的だが、非常に率直だし、そうした強い好奇心でそのほかの事象の一切を気にしないという心性は非常に子供らしいなと感じる。
 コサックの浅野部隊がロシア軍相手に一矢報いようと混乱状態の町まで来たのに、連絡が届いていなかったせいで敵のロシア軍が来たと思い込み、味方の彼らを日本軍が撃ってしまったというのは悲劇だし、心が痛む。少しのミスでそんな結果が生まれるのは戦争の悲劇性よな。
 またロシア軍が急激に迫ってくるハイラルの町の混乱やその時のほかの人たちの反応は、ビクトルの小学校での同級生だった人の証言や、そのときの混乱で離れ離れとなってしまったビクトルの母や弟たちの視点での話しも見ると、どれだけの緊迫感が胸中に生じたかやどのような出来事だったのかがよくわかる。ビクトル視点の話だけだと少年ビクトルが豪胆というか好奇心が旺盛だから、そんなに緊張感が伝わらないからなあ(苦笑)。そして母や弟たち視点があることで、母親が離れてしまったビクトルのことをどれだけ心配していたかということも良く伝わる。ビクトル本人はそれを楽観というよりもなるようになるしかないと思っているのか、あまり気にしてないけどね。軍隊に招集された父親に関しては輪をかけてそうで商売人だから戦場で生き残るのは難しいだろうなあと考えてそれ以降あまり考えず、祖父についてはあの人の気質なら死んでしまったろうなと思っているから、比較級では一番心配しているんだけどさ。祖父は結局モスクワに連行されて銃殺されたが、その情報を聞いて、名誉ある死に方だったから少年ビクトルは流石だと祖父に対して尊敬の念をあらたにしたようだ。
 とりあえずビクトルはハルビンの別宅まで一人で行ったが、そこには苦手な親戚たちが終結していた。さんざん他でもいわれるが親戚の人らからも、日本の子供とは違うと一々言われているのはやはり苛立たしい。確かに母方の祖父からコサックとしての教育は受けているけど日本人なのに。
 第2章で学校があるから全てとは行かないが、半分はコサックとしての教育を受けていた子供時代のことが書かれている。この2章は好きだなあ、コサックの村の生活が魅力的に描かれていて。ビクトルが生まれたときに、初孫誕生の知らせを受けた母方の祖父であるフョードルが馬を飛ばして駆けつけ、「この子はラーパルジン一族の子だ。立派なコサックとして育てる。」と宣言したシーンはいいなあ。
 ロシアの内戦から多くのコサックが国境を超えて満州へ逃亡し、残ったものは農業集団化の強制によりコサックの共同体は息の根を止められた。その折にもまた多くのコサックが満州に逃げ込んだ。
 祖父フョードルは革命軍によりフョードルの軍は壊滅して満州に逃げ込み、フョードルたち敗残兵を関東軍は逃亡してきたコサックたちの村へと引率した。そして関東軍はコサックの力をロシアへの情報収集や防衛の部隊を組織させるなどをして使っていた。
 元々、ビクトルの父である仁吉が満州に来たのは彼の実兄が浄土真宗本願寺は宗主である大谷光瑞伯爵(いくら大きな宗教といえど、宗主が爵位を持っていたというのは驚きだ!)の命を受けて、西本願寺の末寺をハイラルに開設するため満州に渡り、そこで暮らしている内に兄は軍服の需要が伸びることを看破し、弟二人を呼び寄せてその製造販売の仕事をやろうと持ちかけた。その誘いを受けて仁吉は満州へとやってきて、彼はベンチャービジネスの才覚があり、また如才なさもあったため、たちまち軍とつながりを持ち防寒衣を一手に引き受けるようになり商売を大きく成長させていった。そして狩猟者として優秀なコサックから毛皮を買い付けるためにコサックとつながりを持った。
 フョードルは日露戦争時に捕虜となったが当時日本は捕虜を厚く遇したため日本びいきとなり、仁吉は商人だが柳川藩主・立花家の流れを組む士族(サムライ)の一族で、ロシア正教への改宗にも同意したため、娘クセーニアとの結婚を許可した。
 しかし兄ははじめに浄土真宗の寺を立てるために満州に行ったのに、その兄の誘いを受けて満州に来た弟がロシア正教へと改宗したというのはちょっと面白いな。
 コサックの子供たち、子供時代から馬に慣れ親しみ、お互いの馬に同時に飛び移るというような曲芸めいたことすら子供のうちに習得するというのは純粋にすごいな。
 『草原に行くときには、弁当も水筒も持参しない。小さな袋につめてきたカラチ(乾パン)をほおばり、サワークリームをなめた。腹がすけば、こんもりした森に入った。森ではいくらでも木の実が採れた。ミツバチの巣を探し出して、蜂蜜をなめた。そして必ず川へと向かった。魚釣りの道具は、ぬかりなく用意していた。』(P105)草原でそうやって自由に食べ物とかを取れるというのは遊牧民だなあ、そうした世界は馴染みがないから少し驚くよ。「乙嫁語り」でもイチジクをおじさんの家に行く途中で採取していたけど、勝手に取っていいのか少し気になっていたけど、町の外ならそうした樹木の果実を当然に採取できる、それが彼らの常識なんだと今回この本のこのシーンを読んで納得した。
 母は仁吉の故郷で日本語を吸収したから、九州の男言葉がが飛び出し、仁吉のロシア語はクセーニアから吸収したものだから女言葉だったというのはちょっとクスリとくる。
 帝政ロシア人出身の難民には「ナンセン・パスポート」という国際身分証明書の発行が定められたが、満州に住む白系ロシア人でそのパスポートを持っている人は少数だったというのはへえ。
 ビクトルがハイラルから移ってきたハルビンの街は9月上旬まで日本人の男は片っ端からソ連軍に連行されていたため、男たちは息を殺していたが、ビクトルは親戚の人から家に居なさいといわれていたが、そんなことは構わず街を歩き回っていた。
 そこでビクトルは不良少年たちの仲間に入った。彼らはバザールでかっぱらいをやっていたが、ビクトルそれをやりたくないのでその代わり、その盗んできた品をソ連兵のところに売りにいっていた。彼は「調子よくて人なつこいから」高い値段で買ってくれたので、他の連中よりも多くの分け前を貰っていた。
 ソ連軍から迫撃砲の弾を盗み、その弾を使って川でたくさんの魚を取って売っていたが、町へ帰るために歩いてうちから売ってくれ、売ってくれと人が寄ってくるほどよく売れた。しかしそれを20回以上はやっていたというのは、なんという度胸だろう。
 また日本兵の遺体から金歯を盗ることもやっていた(金歯をしていたのは日本兵だけだったから)。
 彼らのように混乱期で子供の一面の本質である不敵で悪行でもためらわず行うタフな子供たちの行跡を、彼らの視点で見ている分にはなかなか楽しいから好きだよ。
 仁吉とハルビンに滞在中に再会できたが、感動の体面というわけでもなくわりとあっさりしているのはなんだかなあ。まあ、元々父とはあまり合わなかったようだけど、その感動が薄い理由には、男の親族の生死についてはあれこれ気に病むのは見苦しいみたいな意識があったんだろうか。
 中国人や朝鮮人は生き生きしているのに日本人は沈み込んでいたといっているけど、まあ単純に敗戦国ということもあるだろうし、この街では日本人の男狩りで片っ端から連行され(あまり時間経たずに必要ないと開放されたようだが)もしたから、そら違いが生まれるわとも思うが、まあ、そうではなく本質的に日本人は精神的に弱いというのも戦後の話を色々と読むとさもありんとも思うが。
 そんな中で仁吉は肖像画家に転身して、スターリン毛沢東肖像画を書いた。そして得意の人脈作りも功を奏してその肖像が下記の商売も大いに繁盛してアシスタントも雇って工房のような形となった。しかし満州屈指に成功した商人だったのにへこたれずに、肖像画書きになるのだから仁吉もかなりタフだなあ。そういったタフさは父子揃ってのものだね、ただ母のクセーニアもタフだから両親、そしてコサックの仲間や祖父から、受け継いだ美質なのだな。
 何回目かに迫撃砲の弾を盗む際に、銃撃を受けて、日本人もたくさん居た共産党軍の野営陣地になんとか行って倒れこんだ。ビクトルは泣かなかったので、そこで衛生兵をしていたヒロセさんに偉い、強いななどと褒めら続けたので、麻酔なしで銃弾を摘出する手術をされたが、泣くに泣けなかった。古賀さんは、その手術に踏み切った衛生兵ヒロセさんのことを今でも嬉しそうに呼ぶというのは、よっぽど褒められることに飢えていたのだなと思いちょっとホロリとくる。
 仁吉はひとまずハルビンに残ったが、ビクトルは日本に帰ると強弁して、結局父親が折れて、他の日本へ帰国する隊に入れてもらい帰国することになった。悲壮な雰囲気の中で彼だけがそうしたムードとは無縁だったから、難癖をつけて下ろされて、さらに荷物まで奪われたということには憤激してしまう、あまりにも酷すぎる。それに「ロスケのガキ」と難癖をつけているが、本当にロシア人だとしたらこんな行動には決して出ないということはわかるのでなおさらその大人どもの卑怯さに軽蔑の念を抱く。
 列車から放り出されてもビクトルはもう気持ちが南へと向かっており、それに恐らく仁吉はしばしば訪れて来るロシア人女性と「新しい暮らし」をしているだろうから、帰る気にもなれず、他のいくつかの隊に入れてもらおうとしたがそれも叶わなかったため、結局一人で曠野を南へと進む。
 途中で共産党の兵に合流して一時期付いていったが、そこには日本兵も幾人かいた。彼らのような『終戦後、何らかの形で共産党軍に入り込んだ元日本兵は、農民の集まりだった共産党軍を戦闘集団に返信させるのに大きな役割を果たした』(P237-8)というのは全く知らなかったので、そういう人らが居たというのは驚いたわ。国民党軍が終戦後に日本軍の将校とかを利用したことは知っていたが共産党もか。
 少年ビクトルは線路の周辺は物盗りが多いから、視界に線路がぎりぎり入るところを移動していた。コサックの訓練をしていたということもあり、彼は目も良かったので普通が日本人では線路が見えない場所を歩き、かなり線路から離れて移動していた。
 彼は歩いている最中によく風景を観察してどこに木の実があって、どこに川があってということを見極めて、雨が降る前に察知してそれを避けるためにどこかに隠れて、突発的な事態に備え体力のぎりぎりまでは使わないとそういう判断を10歳、11歳の子供がしていたのはすごい、そのたくましさは純粋に尊敬できる。
 歩いている最中に靴が壊れるので、死体に行きあったらそのしたいから靴を取って、日本まで帰るまでにいくつもはき潰した。そしてその死体からはタオルや、布類、食べ物なども頂いていた、必要なことだったとはいえ壮絶な体験だな。。
 普段よりも聴覚が研ぎ澄まされているから、夜にはどんな小さな音も聞き分けられた。『風に乗る木の葉の音、草に揺れる音、虫の声……全部が生きているんだ。すごいなあと思いながら聞いていた。』(P255)
 ビクトルは日本へと南下している途中で、ロシア人の家があったらそこを訪ねた。ロシア人の家はかまどの煙が白樺や石炭を燃やしているため軽くてまっすぐ立っているからわかったようだ。まず家に入れてもらったら、挨拶もそこそこに祭壇に向かって十字を切り自分の十字架に唇を当てるという所作をするとすっかり信用されるからまずそれをして、ふだんよりも大人しくいい子に振舞った。そうして岩塩や手ぬぐいなど必要な物資を少し貰って再び曠野に出て歩き続けた。ビクトル少年がこの時にロシア人の家で同情して色々世話を焼かれているのを見るのは、それまで余裕のない日本に帰る大人たちからは邪険にされ一人で厳しい旅路を続けているので、読んでいてなんだか嬉しくなってくる。
 十字架云々も信頼されているためにわざわざやっている面もあるけど、宗教心を持っているし、誰も居ない一人の朝にも神に感謝をしているので好感がもてる。宗教をないがしろにしている人がそんな演技をしているのだったら子供であっても嫌悪感を覚えてしまうので、そうでないと分かりホッとした。
 ビクトルが子供の頃ふらふらしていたから、列車に乗るのが送れ、列車のドアの鍵が閉まり母子二人で列車の外にぶら下がる格好になり、母は自分と列車の間にビクトルを押し付けるとそのまま次の駅まで凍傷が出来ながらも我慢していたというのは母の愛だな。しかし「あのときは楽しかった」というビクトルの後日の感想には思わず笑ってしまう。
 日本へと帰る船の中で船員と会話していて、独りで歩いたり少し列車に乗ってここまできたことをいうとほめられたが、日本の大人から褒められたのは初めてだったから嬉しかったというのは、だれか褒めてやれよ。そしてやっぱりビクトルは褒められたかったのね、彼を褒めてくれる人が居て本当によかった。
 親戚連中はどうして遅れたのかなんて何も聞かずにただ心配させてと叱責するだけで褒めもしないのはムッとくる。それはビクトル少年が彼らのことを好かないのも納得だわ。
 父親は当時再婚していたが、父とは別に母や弟たちも日本に帰国した。
 仁吉は中国で肖像画書きでいい暮らしをしていて、日本に帰ってくるときには稼いだ金で買ったシャガールなどの高価な絵画20枚ほどと一緒に帰ってきた。そして日本に帰ってきてから中国から買ってきた高価な絵画を売って資金を作って、会社設立の資金にして土木会社と設立したというのだから仁吉は本質的に上手い商売人でタフな人間だな。ビクトルは社会にでてから幾つかの職場を経た後、仁吉の起こした会社に腰を落ち着けて、そこで自分たちのレスリングチームを作って、少人数ながら全日本選手権で好成績をあげていった。そんな彼らに仁吉はチーム運営の協力を惜しまなかったと云うのだから、父子仲はそれなりに良好だったのね。
 サンボとレスリングという二つの競技を平行してやりながらどちらでも活躍していたというのはすごいな。それにサンボで彼が編み出した「ビクトル・ブラソク」(ビクトルがやる”投げ”)という技がサンボの定番技となったというのは格好いい。
 巻末の番外編においてはコサックの歴史が書かれている。コサックの馬は丈が短く軽量というような小さい馬だった。やっぱり馬の体格の良さというのは、軍馬としてはあまり意味のないものなのかという思いを強くした。競馬のように限られた距離を早く走るというのならそれに特化した体躯の大きなものが必要だとは思うが。