名将の言葉

内容(「BOOK」データベースより)

上杉謙信は「不覚をとらぬことが大事だ」と告げ、徳川家康は「リーダーこそ前に出て戦え」と説いた。伊達政宗は考え抜くことの大切さを語り、宮本武蔵は仏神にすがるなと言い放つ。歴史学者が、時代を創った男たちの言葉から後世に残すべきものを選び抜き、鋭く簡潔な解説を加えた。


 言葉を1ページ、その言葉についての解説とその発言をした人物についてで1ページという見開き2ページと短く区切られているし、文字数も少ないので非常にサクサクと読み進めることが出来たが、副題とはあっているのだが教訓的な、啓蒙的な発言が多くて、そういうのを読むのは好きではないので心に引っかからずにただ読んだというだけになってしまったな。本郷さんの歴史の本は「武士とはなにか」が面白かったので、文庫になったかのだからこれも買おうと思って、興味が持てる内容かなんて考えず著者の名前で買ったのが誤りだったな。いつも、それなり以上に読みやすい歴史学者の本が文庫化したなら、とりあえず買ってしまうが今度からちゃんと内容も考えて買おう。
 『律儀・正直にばかり覚えて 心が逼塞していては 男業はなるべからず。』(鍋島直茂)律儀・正直に心が行き心が小さくなると男の仕事はできない、時にはホラを吹くくらいの大胆さが武士には必要。現代日本も、自分もそうだが、大胆さを持っている人はいないからちょっとオーバーラップ。まあ、そうした生き方が悪いことだとは全く思っていないけど、大胆な行動ができる人がいないと先細りというか緩やかな地盤沈下しかないので、大胆に事を進める人が一定数必要とは思っているが、自分ではそうした冒険をすることができる人にはなろうとしないどうしようもなさが我が事ながらちょっと淋しい。まあ、この言葉を放ったご当人も秀吉に「勇気と知恵はあっても、大気がない」と言われているようだから、自分がそういう人間というわけでもないようだけど。
 柳生宗矩、『人を斬る殺人剣ではなく、人を活かす活人剣を提唱した。また、その著書である『兵法伝書』に「兵法は人を斬るとばかり思う葉、ひがごと(あやまり)也。人を斬るにあらず、悪を殺す也」』(P34)「るろうに剣心」の活人云々というのは、ここが出発点で剣心の独創というわけではないのか、今まで知らなかったわ。
 島津忠良『いにしえの道を聞きても唱えてもわが行いにせずば甲斐なし』(P36)それは至極当然のことだし、それを認識しているのは重要なことだと思うけど往々にして忘れがちなことだ。
 細川忠興、『家来どもに二度までは教え申し候。三度目には切り申し候。』(P72)あなたの家来は行儀が良いがどういう教育をされているかについて聞かれ返答した言葉。『「切る」はまさか「斬る」ではあるまい。解雇する、とも取れるが厳しすぎる。罰を与える、と解釈しておきたい。ただ、忠興は気性が激しかったので、解雇の可能性もある。』(P73)とあるが、「まさか」といっているが「斬る」も完全には否定しきれないように感じてしまうのは、僕の忠興への偏見(しんらい)かな(笑)。
 熊谷直実の『哀れ、穢土ほど口惜しきところあらじ。極楽にはかかる差別はあるまじきものを。』(P160)との言葉が『日本史上で初めて、「差別」への意義が明瞭に申し立てられた瞬間であった』(P161)ということは、なんか毎回そのことを見るたびに驚いている気がする、記憶にどうにもとどまらない(苦笑)
 本多忠勝『それがし家人らは形物好よりして、武士の正道に入るべし』(P174)『武士はただ志さえ正しくあれば、形が悪くてもよき武士だと云う教えがある。これも悪い教えとは言えないが、わが家は違う。わが本多家は、形から入る。形を良くして真の武士になっていく』(P175)少し前にあった(現在の話はテレビも新聞もろくに読まんので知らんが)内面を非常に強調するような言説が食傷気味になっていたということもあり、こうした「形」を整えてこそ〜という話は案外好きだな。
 石田三成の斬刑に書せられる前の言葉が2つ載っているがどちらも気迫を感じさせられるいい言葉だ。それに単なる教訓的な言葉でなく、散り際に堂々と述べた言葉というだけあって、収録されている他の言葉とは本気度が違うから、この言葉は魅力的に輝いている。
 戦国時代の武将森長可は「鬼武蔵」の異名を取ったらしいが、よく考えたら「武蔵」ってどういう意味なんだろう?今までは武蔵というのは、宮本武蔵からきているのかなとぼんやりと考えていたが、この人はそれより前の人だから、武に優れている人への尊称のようなものなんだろうけど意味とか由来がさっぱりわかんないな。
 足利尊氏の『わが身の苦は天地に溢るる程こそ、あるべけれ。』(P198)という言葉の解説の文章に『尊敬していた天皇(後醍醐)を追放し、親しんでいた弟(直義)を殺し、信頼していた部下(高師直)を見捨てる等々の敬虔が言わせた言葉かもしれない。』(P199)とあるのを見ると、尊氏が悲しい人に見える。
 結城宗広のいつも死人の首を見ていないと気分がくさくさするという意味の言葉は強烈だが、『男衾三郎絵詞』にも庭の隅に生首が耐えぬように切りまくれという言葉があるように、全くの彼独自の心性ではなく、当時の武士には、稀であったと願いたいものだが、そういう気質を持った人もいたのか。しかし、ここまで現代からは想像が付かない心の内というのはないな。