燃える平原

燃える平原 (叢書 アンデスの風)

燃える平原 (叢書 アンデスの風)

内容(「BOOK」データベースより)

生涯たった二つの著作しか残さなかったフアン・ルルフォ。寡作にもかかわらず、おびただしい数の評論や論文、研究書がメキシコの内外で次々と書かれ、今やラテンアメリカの最も重要な作家のひとりであるという評価を得た伝説的な存在である。本書は、メキシコの大地で喘ぐ農民たちの愛憎、人間の孤独や狂気、欲望や宿命を、余分なものを徹底的に削ぎ落としたストイックな文体で描き、神話的な物語にまで昇華した、奇跡的な短篇集。

 「ペドロ・パラモ」の著者フアン・ルルフォの短編集。2冊しか残さなかった伝説的作家。「ペドロ・パラモ」はどこが面白かったとはいえないが、なんかすごく面白かった。2回読んだ。ただ3回目に時系列と登場人物がどうなっているのか、ちまちま記録しようとしたが、面倒くさくなって途中で止めてしまっているが。
 「追われる男」「犬の声は聞こえんか」「アナクレト・モローネス」なんかは面白いと思うけど、基本的にやっぱり僕は長編の方が好きだな。期待値が高すぎて、楽しもうと気負って読んだからちょっと辛く見ているかもしれないから、そのうち気楽にもう一回読んでみようとは思っているけど。
 「おれたちのもらった土地」不毛な荒野を貰った男たち。ブラジルとかの日系移民たちのように、不毛の土地を割り当てられた人たちの話だが、どうして貰ったのか、どうして国がそんな土地を与えたのかが、よくわからない。うーん、少しでも農作物を増やすためとかそうした土地を押し付けて税金を取ろうという腹なのかな?メキシコの現代史に詳しければああ、あの出来事、政策を題材にしたのねとわかるのだろうけど、生憎知らないからわかんないな。ただ次の「コマドレス坂」で農地改革という単語が出ているが、これかな?もしそうなら、誰か偉いさんが、肥沃な農地を分けたくなかったから使いようのない土地を分け与えたという可能性も考えられるな。
 「コマドレス坂」トリコ兄弟と仲がよかったといっているが、短編の最後に実はトリコ弟を殺したのは語り手自身だと明らかになるが、正当防衛だとしても中のよかった人間を殺してなんらの痛痒も感じていない語り手の精神の鈍さ、とは言いたくないから、平常心さに驚く。トリコ兄弟は農地改革の際にコマドレス坂を貰って、そこの地主となっていた。しかし彼らの扱いが横暴で、小高い場所から小作人たちの畑を見張って、多くのものをとっているから彼らが監視することを止める、夜になって家畜を洞窟から出し、穀物を夜に干すほどだった。そんなわけで死ぬ少し以前から、農民が徐々にこの土地からひそかに去っていっていた。そして、彼らが死んだ後も戻らなかった。それだけでなく、トリコ兄弟はロバ追いを殺して積荷を奪うという野党じみたこともやっていて、語り手も1回それを手伝ったこともある。街に言った際にトリコ兄がトリコ兄弟に恨みがあるものらにリンチされて殺された。そのときに彼と一緒に行っていた語り手が殺したんだとトリコ弟に思われ、手斧を掴んで向かってきたので殺した。死体を埋葬もせず、投げ捨てたというのは本当に仲がよかったのかと甚だ疑わしくなるな。まあ、語り手のキャラクターらしいといえばらしいが、だって籠でトリコ弟の死体を運んで、今後もその籠を使うから何べんも彼の血を見たくないから洗い流したと地の文で語っているような人ですし。
 「おれたちは貧しいんだ」姉たちが商売女になってしまって、それが貧乏のためだと思った両親は末の娘ターチャのために将来の持参金として苦労して子牛を買ったが、しかし大雨で子牛が流されていってしまった。周りの人も語り手であるターチャの兄も彼女の将来の堕落の予感を覚える。
 「追われる男」逃げている男、追っ手の男の家族を彼が一家を皆殺しにしたことで逃げていることが追っ手の男の、殺された息子へ語りかけている独り言で明らかになる。結局逃亡者は必死に逃げて、のたれ死にをして、彼の素性を知らず死体が出たと通報しに来た男がその男の死に様を喋るが、殺人犯を匿った罪でひっとらえると脅されて怯えて本当に知らなかったといっているところで終わる。必死になって逃げていることが実にリアルに伝わってきて、追っ手側の視点での追い詰めて言っているという実感があり、ようやく復讐なるだろうとほとんど確信している描写があったのに、結局逃げ切ったが、川を無理して渡ったことがたたった結果逃亡者が死んだという単純な復讐で終わらないオチも味があっていいね。
 「明け方に」ドン・フストの旦那に怒られて、蹴られた使用人の爺さんがちょうど彼を蹴っているときに発作を起こして死んでしまって、そのことでその爺さんが殺したのではないかと疑われるという掌編。
 「タルパ」全身がただれて、膿が出た状態になって何年にもなる兄、兄の妻と密かに不倫をしている弟、そしてその兄の妻で、病気を治していくれるというタルパの聖母にお参りに行く。夏で熱気が厳しく、そしてその道のりにも病んだ兄はきっと帰ってくるまでもたないだろう、そして死んだら兄の妻のナターリアと結婚しようと考えている弟が、途中で帰ろうとする兄を引き止める。タルパまで行き着いたがそこで兄は帰らぬ人となった。実際に兄が死んだ、殺したことで、自分たちがとんでもないことをしでかしたことを知り、ナターリアも兄の死を痛み、かつてあった弟である語り手との恋人関係がすっかり消えうせた。そのうちきっと共犯者である互いを恐れるようになるだろうというところで締め。
 「マカリオ」知的障害を持つ語り手による一人称。フェリパと性的関係にあるようだが、どういう関係、かつては健常者でその時娶った妻なのか、それとも単にフェリパが彼を慰み者としているのか、あとはどんなことが考えられるだろうか。
 「燃える平原」表題作。群雄割拠している山賊のような反乱軍の栄枯盛衰。捕虜の兵隊などに毛布を一枚渡して、反乱軍の棟梁が二本のナイフで牛の真似をしながら、突進していって殺すという遊びは、上手く避けていた奴相手には、結局いらだって牛の真似を止めて殺すのだから、グロテスクだ。その反乱軍の下っ端の一人が別の罪で刑務所に入り出てきた折に、かつて町を襲ったときに拉致して(その時彼女の親父を殺した)、情婦としていた女性が彼の息子を連れてあらわれ「この子は山賊でもなけりゃ人殺しでもないよ。ちゃんとした堅気の人間だ」といった。その後、彼女と結婚したというのは、たとえ連れ去られてそばに置いていた時期に何があったのだろうと、父を殺され自分の人生をめちゃくちゃにした相手を、ろくでもない男とわかっているのに赦し、結婚するとは、彼の視点からだから神々しく見えるし、究極的な赦しの心、キリスト教の根幹を体得している人物に見える。
 「殺さねえでくれ」かつて殺した男の息子が軍で出世して、彼が逃げていた語り手に復讐を果たす。殺した罪は、殺して以降常に不安に思って、肩身狭く生きていたことで充分罰は受けたなんて身勝手なことを言って殺さないでくれと、見苦しいまでに哀願している。しかし父を殺された男の息子のずっと下の配下に、語り手の息子がいる。彼と父が会話をして父は何とか殺さないようお願いしているのに対して、息子は一度行ったが、殺されずに済む見込みがなさそうで、これ以上死を免ずることを願ったら、自分の命までかかるし、そうすると妻子がどうなるかと心配して行動に移せない。しかし父が死んだ後、密かに死体を運び、その数多の銃弾を受けた父の死体を見て、少し動揺して、その死体に話しかけているところで終わる。
 「ルビーナ」老人と女しかいない、貧しい土地にある廃村すれすれの村の話し。村が消える、歴史が終わるという物悲しい、さびしい雰囲気の小編。
 「置いてきぼりにされた夜」強行軍で逃げている最中に休もうと散々いったが仲間はそのまま歩き続けて置いておかれた男が生き残り、仲間の二人は死んでしまったという皮肉な掌編。
 「北の渡し」我欲が強く、息子の事なんかどうでもいい父。息子はなんとか妻子を父に預けて、メキシコからアメリカへ密入国して出稼ぎをしようと思うが、途中で見つかり送還させられる。しかし父の家に戻ってきたら、おそらく父の扱いに耐えられなくなったのか妻は牧童と駆け落ちしてしまっていた。そして父は息子の家を生活費の足しにうっぱらって、さらにその契約にかかった30ペソを返せよという。それでも息子は、父の行いを仕方ないと諦観を抱いて文句一つ言わないのは、そのあまりに健気で泣ける。
 「覚えてねえか」酒屋で、殺人を犯したウルバノ・ゴメスという子供のころに同じ学校でつきあっていたやつの話を覚えているかと尋ね、語っている側は色々なエピソードを話しながら思い出させようとするが、聞いている人間は一向に思い出せない。
 「犬の声は聞こえんか」瀕死の傷を負った息子を背負って、医者に見せるために町へと歩を進める老父。色々と背中の息子に今までの彼の行いについて説教をしつつ、それでも息子が殺人を犯している不肖の息子でも、息子への愛情を持って、自分の体に鞭打ってでも町へ連れて行って医者に診てもらおうとしているが、息子は町まで持たずに息を引き取った。死んだ息子をそのまま最後まで背負って町が見えるところ、そして町の犬の声が聞こえるまで行って「おまえってやつはこんなちっぽけな希望さえわしに与えちゃくれなかったな」とポツリと息子の死体に向かって話しかけているのは泣けてくる。
 「大地震の日」震災の見舞いに来た知事一行を、支援を多く貰えるように被災者がもてなす。そのもてなしで大騒ぎとなって、住民の多くも酔いが回ってところで喧嘩が勃発して、射殺により死者が一人。
 「マティルデ・アルカンヘルの息子」母が息子を庇って死んだことで、息子を恨み続ける手ひどい虐待をしている父。そんな中で反乱軍が来たときに息子は反乱軍に入り、その後に政府軍が来たときに息子を大手を振って殺せるためか、それとも彼が去ってようやく肉親の愛情がわいて、政府軍にはいって何とか連れ戻そう、そうでなくても自分が入ったことで処刑されないようにしようとしたのか。最後は語り手が、息子が父親の死体を馬の背にかけた息子を見たところで終わり、それは人目に晒して見世物にするという復讐なのか、それとも息子なりの敬意なのか。色々と解釈ができるような作品。それは単に読みが浅いだけだといわれたら何もいえないけど。
 「アナクレト・モローネス」若い女性を誑かしていた、怪しげな教祖アナクレト・モローネスを聖者として列するための運動をしている信者の女たちが、娘婿である語り手の家に彼も運動に引き込もうと訪ねてくる。舅であるアナクレト・モローネスはペテン師だということを語るが、信じず彼に嫌気をさして帰っていく。最後に実はアナクレト・モローネスを語り手が殺していて、その死体が庭の一角に埋まっていることが明かされる。