若き日の哀しみ

若き日の哀しみ (創元ライブラリ)

若き日の哀しみ (創元ライブラリ)

内容(「BOOK」データベースより)

第二次世界大戦中に少年時代を送った旧ユーゴスラビアの作家ダニロ・キシュ。ユダヤ人であった父親は強制収容所に送られ、帰らぬ人となった。この限りなく美しい自伝的連作短編集は、悲劇をアイロニーと叙情の力で優しく包み込む。犬とこの上なく悲しい別れをする少年アンディはあなた自身でもあるのです。


 解説を読むと、この小説で描かれている出来事は、著者が体験したもののようだが、ユダヤ人である父がアウシュビッツに送られ死亡するなど、苦しいことも多かったことは想像に難くない子供時代ながら、そうした背景があっても、小説にはそうした苦しさを前面には出されていない、「悲劇的な事件の数々に直接焦点を合わせることは、注意深く避けている」(P214)ので読んでいて重苦しく感じないのはいい。
 この本は瑞々しく鮮やかで子供らしい感情の動きを詳細に描いているのが魅力的だ。しかし、忘れていた子供の頃の感情の動きや揺れが実に見事に描写されていることには、純粋にすごいと感嘆してしまう。
 「遊び」祖父の職業だったガチョウの羽売りの真似をしながら(最後に母が寝る前に話した創作寓話を見るに、おそらく祖父の職業を少年は知らない)一人で遊んでおり、それを見て、非ユダヤ人である母は、この時期に迫害が始まっていたのあるだろうが息子をユダヤ人ではないのだと思いたかったが、その遊びを見てユダヤ人の血を感じてショックを受ける。
 「略奪」ユダヤ人が経営する商店からの略奪をしている人の群れに、少年は好奇心やこれを見れば何かがわかるという気持ちを持って混じっていた。そうして焦点が略奪されたが、商品を何も手に持っていない少年を見て、「心優しい女の人」が自分がとってきた商品をいくつか分けてくれたが、それをどうすることもできず呆然と立ち尽くしているというラストが印象的。
 「陽のあたる城」牛を見ているように頼まれていたのに、一頭の牛がいなくなってしまい、この世の終わりみたいな気分になり、どうしようどうしようと思って、「見つからなければ、旅に出て二度と戻らない」とか「見つからないうちは戻らない」とかとても大きく責任を取るようなことを考えて、悲壮な気分になるとともに、そんなにも仕出かしたミスよりもずっと大きく自分を罰する想像をすることで、そんな悲壮な気分になっている自分を哀れんだりする、そんな感情の動きは自分の子供の頃のことを思い出して懐かしくて、アンディ少年のことがぐっと好きになる。そして最後に牛が見つかったことを知り、膨らんだ妄想がパチンとはじけて少し残念な気持ちになっているのも、ちょっとわかる。
 「野原」手の指の間に疥癬ができたが、金がなく、診察料を額面ばかり大きくなって価値がなくなった紙幣をそ知らぬふりで、医者に差し出すことを母に言われた。優しいお医者さんだったから、薬の代金や診察料を取らずに薬を出してくれたが、その貨幣の無価値さを知りつつ演技をしなければならなかった恥ずかしさを覚え、子供ながらに恥ずかしく苦しい時間が過ぎて過去になることのありがたみをはじめて実感した。