英国王室史話 上

英国王室史話〈上〉 (中公文庫)

英国王室史話〈上〉 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

伝説の賢王や名高き悪王、王位をめぐる愛妾の陰謀…。ウィリアム1世征服王から、中世イングランドの最も偉大な王エドワード1世、ばら戦争に巻き込まれた各王、王妃を6人とりかえたヘンリー8世イングランドの栄光時代を築いたエリザベス1世まで。史実と伝説があやなす王室2000年の人間ドラマ。


 何年か前に購入してからずっと積んでいたが、ようやく読了。上巻しか買っていなかったから、そのうち下巻も買って下巻も読もうと思うが、なるべく早めに読みたいとは思っているけど、いつになるかな。
 1707年までイングランドスコットランドはまったく別の国というのは、何回四でも少なからず驚いてしまうな。
 あとヴィクトリア朝ヴィクトリア女王が血統的には256分の255がドイツ人の千田というのもびっくりしてしまう。
 貴族や聖職者の多くは、墓像という、木彫や石彫あるいは真鍮版に刻んだ平面像で生前の姿を表現したものが作られているようだが、ウィリアム1世の長男ノルマン公ロベールの墓像(12世紀)の写真が載せてあるけど、白黒の写真だからよりそう感じるのかもしれないが、それがかなりリアルでちょっと驚いた。日本の中世でもそうだが、絵は独特の形式があっても、彫刻というのは中世でもかなりリアルなものがあるんだね。
 イングランド王家がライオンの紋章を使い始めた当時は、同じデザインだけど、ライオンではなくレオパード(豹)ということになっていたというのはちょっと笑った。なんで同じデザインで表す動物が変わるの(笑)。
 マグナ・カルタは有名だが、ジョン王が承認させられたというが、実際はジョン王、貴族、教会、人民の言い分をそれぞれ盛り込んだものであるとか、調印後2ヶ月で破棄されたというのは知らなかった(復活するのは時代のヘンリー三世から)。
 エドワード一世、一度制定された法律が停止されたり、破棄されたりするためについても立法を必要とするという「画期的な」定めを作り、法制の定着化に大きく貢献した。至極当然のことのように見えるが、言われてみれば確かに王の恣意で法律が破棄されないというのは、画期的だ。
 エドワード二世の章での「いかに愚王であったとしても、一つぐらいは救いがあって然るべきと思うが、虫眼鏡で探しても無駄であり」(P147)という冒頭の説明には思わず笑ってしまう。
 註にロンドン市長は現在でもギルドの組合長による互選で選ばれているとありビックリしたが、wikiを見てみると、現在はそのほかに公選の大ロンドン市長が行政を担っているとあり、やっぱりそうかと腑に落ちた。でも、大ロンドン市長が作られたのが2000年と書いてあり、それ以前の行政はどうなっていたのだろう、いつまでギルドから選ばれたロンドン市長が行政権を持っていたのだろうか、と心底疑問に思う。
 ヘンリー六世の王妃マーガレット、夫である王が捕まってもリーダーシップを発揮し、各地で転戦して、その後、王を救出してスコットランドに逃れた。それだけに留まらず、その10年後ヘンリー六世を一年だけとはいえ、王に復位させたというのはすごすぎるわ。彼女のことは今まで知らなかったが、今回こうしたエピソードを見て興味がわいてきた。
 ばら戦争では相手方の町や建物を破壊せず、一般民衆を殺戮しなかったというのはちょっと驚きだ。
 ヘンリー7世(テューダー朝初代)の時代は、彼の王位継承の正当性が薄かったということもあり王を戦勝する人物が色々と出てきたようだが、僭称王シムネルは、クラーランス公ジョージの息子エドワードだと偽り(実は本物のエドワードは既にロンドン塔に監禁されていた)、エドワード六世と名乗って蜂起したが、あっさりと鎮圧され、王は寛大さを国民に示すために、王宮の厨房係に取り立て、後には鷹係にまでしたというのはちょっと面白い。
 他にもパーキン・ウォーベックは王の血筋でないにも関わらず、フランス王やスコットランド王、さらには神聖ローマ皇帝ヨーク公リチャードと「認めて」彼が王になるために支援していたとは驚きだ。こういう人間が追うとなっていたのならどうなっていたのだろうと、(他人〔国〕事だから)妄想力がたくましくなる。
 ヘンリー八世、男児出産の望みをかけていたアン・ブーリンが流産したら、既に他の女性を妊娠させていてその子が男児であったら、嫡子として生まれるために邪魔だからという理由で、流産の数ヵ月後に、流産前までは期待をかけていた女性を処刑させたというのはゾッとする。彼の狂気じみた嫡男を得たいという執念をかいまみる思いだ。